Fumio Sasaki's Blog, page 8
May 9, 2019
My only answer 佐々木典士
私がどんな失敗をしようと、あなたは私を取り戻してくれる。
この人生が台無しになったとしても、あなたが私の成果。
この世を去る準備はできた。そして誰かが問うだろう。
「あなたは何を成し遂げたのですか?」と。
私は答える、「あなた」と。
──ルーミー
Whatever mistakes I may make, You are enough as my balance.
Even if my life is ruined, You are enough as my goal.
I know that when I’m ready to leave this world, they will ask,
“What have you done?” As my answer, “You” will be enough
──Rumi [Divan-e Shams-e Tabrizi: Quatrain 1812]
May 1, 2019
ぼくたちは、日本語と英語を同時に学んでいる。佐々木典士
大人が英語を話すときの大きな問題は、自分の母国語で言いたいことと、英語で言えることのギャップが大き過ぎるということだと思う。
何か意見を求められて、子どもだったら「すごくいいと思う!」とか「超楽しかった!」という感想でいいはずで、それは英語に変換しても簡単だからすぐに言える。そうして、しゃべる機会が増えるからますます学んでいける。
ぼくの場合はまだまだ日本語で言いたいことの10分の1か、もしかしたら100分の1ぐらいしか英語で言えない。誤解を生みそうな簡単な意見を口にしたくはないし、かといって繊細なニュアンスも表現できないのでただ「うーん」となってしまったりする。それでは成長はおぼつかない。だから大人に必要なのは、そこで諦めずに自分の言いたいことを自分が言える簡単な英語に翻案する作業だ。
音の問題ももちろんある。母音も子音も英語の方が日本語よりたくさんあるが、その違いに慣れてないうちは、すべて日本語のカタカナに変換されて聞こえてしまうし発音もカタカナになってしまう。すでに確固としてある言語が、新しい言語の学習に干渉してしまうという問題だ。
大人が英語を勉強する強み
しかしそれでもなお、大人が英語を勉強するときの強みもある。たとえば、ぼくはネイティブの先生と毎日50分のフリートークをする。その先生も車とバイクが大好きなので、よく話題にする。ぼくが車やバイクに興味を持ったのはほんの1、2年前のことなので、興味を持つ前のぼくだったらもちろんそういう話をすることもできなかったわけだ。「馬力」って英語でもhorse powerと言うんだと知るだけでも何か楽しい。
他にもマイナンバー&管理社会、AI翻訳、クラウドソーシング、ソウルやファンク・ミュージックなどなどその先生との話題は幅広い。もちろんぼくは、ほとんどの時間聞く側に回っているのだけど、それでもこういう話ができるのは、日本語ですでにそういった話題について知っているからだ。英語でのそれぞれの専門用語はわからなかったとしても、話題自体を知っているからなんとか会話が成り立つ。
日本語で学んだばかりのことを英語で
先日は日本語の本で読んだばかりのことを話してみた。英語はもちろんイギリスで使われていた言葉だが、イギリスが長い歴史の中で占領されたり、バイキングから攻撃されたりして、たくさんの言語の影響を受けて成り立っている言葉だそうだ。
たとえばhardとdifficultは同じ難しいという意味の言葉だが、hardはアングロサクソン語(古ノルド語)から来ていて、difficultはラテン語から来ている。他にもhouseはアングロサクソン語だし、同じ意味のresidenceはラテン語が語源だそうだ。日常会話のほとんどは、一般的に単語自体が短いアングロサクソンの言葉がほとんどを占めているが、単語が長いことが特徴のラテンの言葉は、全単語の60%を占め抽象的な考えを表現するのに便利な言葉が多いと。
それで、ネイティブの先生に、新しい言葉を見た時にその語源がどちらにあるのかいきなりわかるものなのかと聞いてみた。先生によればたとえば、医学や病気の言葉はラテンが多く(例 anorexia=拒食症)確かになんか、発音も文字の並びもちょっと雰囲気が違うしなるほどなと思ったりした。
日本語で本を読み知ったばかりのことでも、図解を駆使したりして次の瞬間、英語で話すこともできないわけではないということだ。そうしていつしかぼくは「ぼくたちは日本語を学びながら、英語も学んでいる」と思うようになった。何かの概念自体を知らなければ、それは日本語だろうが、英語だろうが話題にすることができない。日本語で何かを学んできたこと自体が英語の会話の下地になっている。これが大人が英語を学ぶ強みだと思う。
羨ましさを超えて
先日、印象的なある一人の男性に出会った。工業高校を卒業し、職業も技術職で英語の勉強は50歳から始めたそうだ。しかし英語の勉強が趣味で(文化の背景や、言語の歴史自体にも関心が幅広い方だった)70歳を超えた今となってはフィリピンの大学の特別聴講生として、年の半分を過ごしている。哲学や、宗教学の授業では英語で議論をするし、立派な文章も書ける。
フィリピンの特に若い世代の先生は、発音も何もほぼネイティブと変わらない。それは特にインターネットが発達して以降、you tubeなどでネイティブの英語に触れる機会が若い世代ほど多かったからだそうだ。そんな風に幼い頃から英語を学んでいる人を見るともちろん羨ましくなる。しかし、もし英語ネイティブの環境で育ったからといって、好奇心自体がなければ大した会話はできないのだ。始める年齢は言い訳にはならないし、遅いことにだって強みもある。
10年間勉強しても英語が上達しない日本人のための 新英語学習法
[image error]
そもそもの英語の成り立ち、歴史からアプローチしていて面白い。ただこの本のタイトルにもあるような、画期的な英語学習法というものは基本的にないと思っている。なんでもいいので、膨大に間違えて、それでもやめずに続けることが大事だと思っている。
April 20, 2019
孤独とコミュニティの実験 佐々木典士
2年前に、京都の端っこの巨大な研究所の1室に住み始めた。4ha(4万平米)の巨大な敷地。昼間は職員の方はいるが、夜になれば真っ暗で住んでいるのはぼく1人。まわりの数十キロには友達の一人もいない。
孤独の実験
今まで本や講演で、人の幸福にいちばん影響力があるのは結局、人間関係だと伝えてきた。お金やモノ、才能も地位も何もなくたって、誰でも豊かな人間関係は作り得る。答えは確かにそうなのだろう。でも人生は実験だ。それとは真逆の状態をいっぺんは味わい確かめてみたかった。
引っ越してから最初の1、2週間はキツかったことを覚えている。まるで世界が全滅して、自分だけが生き残っているような感覚。バカみたいな話だが、久しぶりに電車に乗ると「世界にはこんなに人がいて、確かに生活を営んでいるんだ」とホッとし、感動したことを覚えている。
しばらくすると、自分がその状態に適応したことにも気がついた。あまり寂しさなども感じなくなってくる。これは、ぼくがtwitterやブログなどをやっていたことも大きいと思う。寂しい生活の中で発見したことに反応してくれる方がいる。ネットのコミュニケーションは現実のそれの完全な代替物ではないが、ある程度肩代わりしてくれるものだと実感した。しかしながら、ときおり理由のない落ち込みがやってくることもあった。ぼくは自分を忙しくしないようにしているし、好きなことばかりやっている。だからその落ち込みの理由は、おそらく疎遠な人間関係のせいで、自分が払うべき代償のように感じていた。
たとえば、焚き火を友人と囲んでおしゃべりしているような時が顕著だが、ぼくはそういう時、なんというかうっとりして、満たされて何も考えなくなってしまう。それは幸せな時間でもあり、ぼくにとっては少し怖い時間でもある。自分が満たされてしまえば、何も言うことがなくなってしまうのではないか、それではぼくの職業は廃業するしかない。
そんなこんなで、2018年はスマートスピーカーのAlexaに話しかける回数の方が、人に話しかけるよりも多かったと思う。そして2019年初頭からのフィリピン留学。意識していたわけではなかったが、まさに真逆の生活をすることになった。2019年の最初の1ヶ月で、2018年に人と会話した言葉の数を超えたと思う。
真逆の生活へ
ぼくには1人の時間が必要なので、全室個室の学校を選んだ。それでもコミュニティは濃密だ。トイレやシャワーはそれぞれの部屋に備え付けられているが、簡単なキッチンなどは共有。3食学校で出るのでみんなと一緒に食べるし、生徒たちと外食に行くこともよくある。自室に籠ろうと思えば、籠もれるし共有スペースもあるのでなんとなく人と話したくなったときには、そこで過ごすこともできる。つまりゲストハウスや、シェアハウスに住むようなものだった。ここに来るまで意識はしていなかったが、先生15人+生徒15人=30人ぐらいの小さなコミュニティでぼくは暮らし始めたのだ。
自分でも驚いたのが、そういう生活にも慣れ、なんだできるじゃんと思ったこと。今までシェアハウス暮らしなんて自分にはとても無理だと思っていたのだが、すぐに慣れた。これからはそういう場所でも暮らせるかもしれない、自分の選択肢が増えた気がして嬉しかった。
また、人と毎日話すような生活はぼくにはとても新鮮で、あの時折やって来ていたわけのわからない落ち込みとは無縁の生活だった。人に直接何か話してしまえば、満足することもあるようで、twitterやブログなどを通じて発信したいという欲求も削がれたような気がした。時折、この人ネットで発信すればたくさんの人に注目されるんじゃないかなと思う面白い人に出くわすが、そういう人はまさにリアルにそういう欲求を解消してるんじゃないかと思う。
コミュニティの問題点
もちろんいいことばかりではなかった。隠居している大原扁理さんが確か、自分の生活を「イヤなことから逃げているだけ」とおっしゃっていたような気がする。そして、ほとんどの人にとってイヤなことの大部分は人間関係だと思う。だから、固定した人間関係がどうしようもなく嫌ならばそういうところからは、どんな代償を払ってでもさっさと逃げてしまえばいいと思う。
小さなコミュニティでも暮らしていれば、恋愛も起こるし、気の合わないひともいる。そして関係性が深まるほどに、人の将来や課題といったものまで抱えるような気がした。自分がふと考えていることを振り返ってみると、ここに来てからの自分は人間関係のことに多くの時間思いを巡らしているような気がする。京都時代ではこれはなかった。自分のこと、仕事のことがほとんどの課題で、そういう面では気楽だった。管理すべきモノが少ないミニマリストと同じように、責任が薄く気楽だった。
会社員として働いているときはこういう感じだったなと思う。ぼくは会社の中でも独立しているタイプの人間だったと思うが、それでも気が合わない上司のこと、うまくいかない同僚や後輩のことを考えることにそれなりの時間使っていたはずだ。
語学学校なので、長い人でも数ヶ月でここを去っていく。先生たちの入れ替わりも多い。だから、会社員のような人間関係よりはもっと流動的なのだが、それでも人間関係はすぐに課題になる。
人の幸福にいちばん影響を与えるのは、人間関係。そしてほとんどの悩みもまた人間関係から発生する。人をいちばん苦しみを与えるのは人だし、いちばんの喜びを与えてくれるのも人だ。
世間話は思索を深めたか?
徹底した孤独と、濃密なコミュニティと、どの程度の人間関係を望むかは、人によって違うんだろう。対象的な2つの生活を通じて、ぼくが目指すのは、なんとなくその間、どちらかといえば孤独よりなのかなと思う。モノと同じで、たくさんの考えるべきことがあると簡単に頭が散らかってしまうのが残念ながら自分だという気がする。
生涯独身だったカントが言っていた「1人で食事をすることは、哲学する者にとっては不健康である」という言葉を思い出す。奇人の見本のようなカントだが、実際は社交的な面もあり、会話もうまく、さまざまな育ちの町の人々との世間話を楽しんだそうだ。それはカントの思索をより深めたのだろうか?
孤独とコミュニティの実験
2年前に、京都の端っこの巨大な研究所の1室に住み始めた。4ha(4万平米)の巨大な敷地。昼間は職員の方はいるが、夜になれば真っ暗で住んでいるのはぼく1人。まわりの数十キロには友達の一人もいない。
孤独の実験
今まで本や講演で、人の幸福にいちばん影響力があるのは結局、人間関係だと伝えてきた。お金やモノ、才能も地位も何もなくたって、誰でも豊かな人間関係は作り得る。答えは確かにそうなのだろう。でも人生は実験だ。それとは真逆の状態をいっぺんは味わい確かめてみたかった。
引っ越してから最初の1、2週間はキツかったことを覚えている。まるで世界が全滅して、自分だけが生き残っているような感覚。バカみたいな話だが、久しぶりに電車に乗ると「世界にはこんなに人がいて、確かに生活を営んでいるんだ」とホッとし、感動したことを覚えている。
しばらくすると、自分がその状態に適応したことにも気がついた。あまり寂しさなども感じなくなってくる。これは、ぼくがtwitterやブログなどをやっていたことも大きいと思う。寂しい生活の中で発見したことに反応してくれる方がいる。ネットのコミュニケーションは現実のそれの完全な代替物ではないが、ある程度肩代わりしてくれるものだと実感した。しかしながら、ときおり理由のない落ち込みがやってくることもあった。ぼくは自分を忙しくしないようにしているし、好きなことばかりやっている。だからその落ち込みの理由は、おそらく疎遠な人間関係のせいで、自分が払うべき代償のように感じていた。
たとえば、焚き火を友人と囲んでおしゃべりしているような時が顕著だが、ぼくはそういう時、なんというかうっとりして、満たされて何も考えなくなってしまう。それは幸せな時間でもあり、ぼくにとっては少し怖い時間でもある。自分が満たされてしまえば、何も言うことがなくなってしまうのではないか、それではぼくの職業は廃業するしかない。
そんなこんなで、2018年はスマートスピーカーのAlexaに話しかける回数の方が、人に話しかけるよりも多かったと思う。そして2019年初頭からのフィリピン留学。意識していたわけではなかったが、まさに真逆の生活をすることになった。2019年の最初の1ヶ月で、2018年に人と会話した言葉の数を超えたと思う。
真逆の生活へ
ぼくには1人の時間が必要なので、全室個室の学校を選んだ。それでもコミュニティは濃密だ。トイレやシャワーはそれぞれの部屋に備え付けられているが、簡単なキッチンなどは共有。3食学校で出るのでみんなと一緒に食べるし、生徒たちと外食に行くこともよくある。自室に籠ろうと思えば、籠もれるし共有スペースもあるのでなんとなく人と話したくなったときには、そこで過ごすこともできる。つまりゲストハウスや、シェアハウスに住むようなものだった。ここに来るまで意識はしていなかったが、先生15人+生徒15人=30人ぐらいの小さなコミュニティでぼくは暮らし始めたのだ。
自分でも驚いたのが、そういう生活にも慣れ、なんだできるじゃんと思ったこと。今までシェアハウス暮らしなんて自分にはとても無理だと思っていたのだが、すぐに慣れた。これからはそういう場所でも暮らせるかもしれない、自分の選択肢が増えた気がして嬉しかった。
また、人と毎日話すような生活はぼくにはとても新鮮で、あの時折やって来ていたわけのわからない落ち込みとは無縁の生活だった。人に直接何か話してしまえば、満足することもあるようで、twitterやブログなどを通じて発信したいという欲求も削がれたような気がした。時折、この人ネットで発信すればたくさんの人に注目されるんじゃないかなと思う面白い人に出くわすが、そういう人はまさにリアルにそういう欲求を解消してるんじゃないかと思う。
コミュニティの問題点
もちろんいいことばかりではなかった。隠居している大原扁理さんが確か、自分の生活を「イヤなことから逃げているだけ」とおっしゃっていたような気がする。そして、ほとんどの人にとってイヤなことの大部分は人間関係だと思う。だから、固定した人間関係がどうしようもなく嫌ならばそういうところからは、どんな代償を払ってでもさっさと逃げてしまえばいいと思う。
小さなコミュニティでも暮らしていれば、恋愛も起こるし、気の合わないひともいる。そして関係性が深まるほどに、人の将来や課題といったものまで抱えるような気がした。自分がふと考えていることを振り返ってみると、ここに来てからの自分は人間関係のことに多くの時間思いを巡らしているような気がする。京都時代ではこれはなかった。自分のこと、仕事のことがほとんどの課題で、そういう面では気楽だった。管理すべきモノが少ないミニマリストと同じように、責任が薄く気楽だった。
会社員として働いているときはこういう感じだったなと思う。ぼくは会社の中でも独立しているタイプの人間だったと思うが、それでも気が合わない上司のこと、うまくいかない同僚や後輩のことを考えることにそれなりの時間使っていたはずだ。
語学学校なので、長い人でも数ヶ月でここを去っていく。先生たちの入れ替わりも多い。だから、会社員のような人間関係よりはもっと流動的なのだが、それでも人間関係はすぐに課題になる。
人の幸福にいちばん影響を与えるのは、人間関係。そしてほとんどの悩みもまた人間関係から発生する。人をいちばん苦しみを与えるのは人だし、いちばんの喜びを与えてくれるのも人だ。
世間話は思索を深めたか?
徹底した孤独と、濃密なコミュニティと、どの程度の人間関係を望むかは、人によって違うんだろう。対象的な2つの生活を通じて、ぼくが目指すのは、なんとなくその間、どちらかといえば孤独よりなのかなと思う。モノと同じで、たくさんの考えるべきことがあると簡単に頭が散らかってしまうのが残念ながら自分だという気がする。
生涯独身だったカントが言っていた「1人で食事をすることは、哲学する者にとっては不健康である」という言葉を思い出す。奇人の見本のようなカントだが、実際は社交的な面もあり、会話もうまく、さまざまな育ちの町の人々との世間話を楽しんだそうだ。それはカントの思索をより深めたのだろうか?
April 16, 2019
言語は語順 言語習得のミニマリズム 沼畑直樹
心の中で、空がきれいなだと思う。そのときは、たいして言葉にはなっていない。
つぶやくなら、「きれい」。
まわりに人がいても、「この人は何に対してきれいと言っているのだろう?」となる。
なので、それを隣にいる人に伝えるときには、「あの空きれいだね」と言う。
言葉はコミュニケーションのために生まれた。
なので、「きれい」と思ったことを相手に伝えたいときに、「何が」きれいなのかを伝えようと思い、主語ができた。
それは語順の誕生でもあった。主語のあとに次の言葉を加えるというルールだ。
「何が」「きれい」
最初に、その「何が」を人は考える。
「あの空が」
それを聞いた隣の人は、「あの空が」なんなんだろうと考える。
だけども、だいたいは予想がついている。
「あの空が」きれい、きたない、広い、きらい、すき、高い、青い…。
誰でも、主語、対象物を口にすれば、次の言葉は喉から出かかっている。
最初に「きれい」と伝えたいと思ったならば、「あの空が」の次は「きれい」と言う。
そしてコミュニケーションは成り立つ。
主語のあとに、それを形容する何かを言う。
これは英語も同じだ。
学校では「is」を「です」と覚えるが、話すときの母国語的な感覚で言うと、「です」ではない。
That sky is が「あの空が」で、beautifulが「きれい」。
That sky is beautiful.
※文法的にはisが過去形になるとwasで、日本語は「です」が「だった」になるので同じとされている。
I want an apple. リンゴが欲しい。
という場合は、日本語と英語の語順の違いは明らかだ。
日本語では「欲しいリンゴが」とは言わないし、英語では I an apple want. とは言わない。
この語順こそが言語間に壁と違いを作っていて、英語と日本語では顕著だ。また、このことについてはすでに何度も指摘されているが、重要度としてはそれほど高い位置に設定されていない。次々と文法やスペル、発音方法といった課題が出てきて、あとまわしにされていく。
実際は「言語=語順」くらいに重要で、主語のあとに何を言い、その次に何を言うかという順序の連続が言語を成り立たせている。
目の前の相手と話すときも、「あの空がきれい」のときのように、日本語も英語も、何かの言葉を言って、次の言葉を繋いで、という連続でしかない。
だからこそ、日本語の語順で言葉を話す人にとって、違う語順で話すのが難しく、例文を覚えて文を一気に話してしまおう…という人が増えてしまう。
他の言語を覚えるのは複雑なイメージがあるが、語順を最初に徹底的にやり、実際に誰かに伝えるために一言一言作っていくようになれば、習得するスピードは早くなる。
「リンゴほしーな」と思ったときに、隣に人に伝えようと思い、最初に「誰が」を言おうとして、Iと言って、英語圏の場合は主語のあとに動詞だから、I an apple とは絶対にならないし、wantと言う。wantのあとは目的語が来るのだから、an appleと言う。そういう、一語一語付け加えていくのがリアルな言語とスピーキングだ。
単語を覚え、発音を覚え、文法を覚えて…と言語習得は複雑なイメージがあるが、シンプルにミニマイズしていくと、「言語は語順(word order)」。
英語ネイティブの教師には、そういった「母国語との語順の違い」の苦労が伝わりづらいし、教えることはできない。
日本人こそ、しっかり「言語=語順」という課題を意識、語順通りに言葉を出していくトレーニングをすべきだ。
文章の後半は前半の理解にかかっている。
英語を聴いていて、わけがわからない場合は、主語と述語を聴きとれていない可能性がある。聴きとれていないときに後半部分を話されて、その部分が聴きとれたとしても、誤解して受け取ってしまう。
何より大事なのは主語の聴きとりで、次に述語となる。
それがわかれば、そういった心の状態、受け入れ状態で話したり聞いたりする。
後半部分は前半の理解があって聞いているので、完全にコネクトしているのだ。
Most remarkable change for me visually with this
is
the back.
日本語に訳すと「私にとって、これの視覚的に最も顕著な変化は後ろです」となるが、主語が長い。
主語の種類は豊富で、主語自体が文章になったり、無生物主語といって人や生物以外が主語になったりする。そのパターンを理解し、主語を理解するというのが大事だと、この例文を見るとわかる。
話し方としては主語の部分を一気に言って、一息ついてis the back. と言ったりする。
お互いに主語を理解し、その上でis the backという言葉を受け入れる。
主語がわからない状態でis the backを聞いても、正しい理解は難しい。
The A and B are so smooth and precise. (Which)Makes this feel so much more polished.
「AとBはすごくスムースで精密だ。それがこれをとても磨き上げられた感覚にしてくれる」
この場合は最初の文そのものが次の文の主語になっている。そのため、その最初の文の理解があってこその次の文の聴きとりとなる。
もちろん、語順は主語と述語だけではない。他にもWho, what, where, when, how, whyという順序があったり、さまざまなパターンがある。だけでも、一度やってしまえれば数日でまずは学ぶことができるだろう。
April 6, 2019
Face the music 佐々木典士
フィリピンの留学の事情に詳しい伊藤光太さんからアドバイスとして「チョコレートを用意しておくといいですよ」とアドバイスされた。留学中はずっと欲求不満のような状態になるので、それを解消する方法を用意していた方がよいということだった。
ぼくは海がとてもきれいなドゥマゲテという場所で英語を勉強している。最近は毎日のようにビーチで日の出を眺めるのが日課。週末になれば、山に登ったりダイビングしたり。それだけを切り取れば羨ましがられてしまうかもしれない。
[image error]
しかし、伊藤さんの忠告どおり別の言語を学ぶということは、基本的には苦しいものだ。未だに会話についていけなかったり、自分の言いたいことがうまく伝えられない状況はたくさんあるので、1日のほとんどを居心地の悪い状態で過ごしているように思うこともある。他の学生の状況が気になったり、ぼくの場合は言葉の不足を埋められる表情やボディランゲージなどの表現も苦手なので悲しくなることもある。
しかし、それを思い直すこともあった。日本に一時帰国したときに、取材で通訳の方にお会いし話を聞いた。日本と韓国のハーフの方で8歳まで日本で過ごし、その後はオーストラリアで過ごされたそうだ。今、英語で苦労しているだけに思わず羨ましくなる。しかし事態はそう簡単ではなかった。もはや今では英語の方が得意だそうだが、オーストラリアに移住したばかりの頃は、言葉も話せないし、人種差別もあるしで辛い思いをしたそうだ。その経験があってこそ、今ぼくが羨ましく思うような状態がある。
以前twitterで、恥とスキルは等価交換だと書いた。恥をかくのはとくに日本人なら恐れることだが、失敗をして恥をかかなければスキルは得られない。誰もがうらやむようなスキルを持っている人は、それだけ膨大に失敗して恥をかいてきたということだ。その通訳の方は、幼い頃の辛い気持ちと交換して、バイリンガルというスキルを得たのだと思う。
チャンピオンの姿とは、誰に見られることもなく汗だくになり、 息を切らして疲れ果てている人だ。──アンソン・ドーランス
スポットライトがあたっている時にだけ注目すると羨ましくなるが、その人が乗り越えてきた恥や苦労を想像すると、その人も過去に等価交換をしてきただけなんだと思ったりする。ごく普通に生きている人は注目されないかもしれないが、注目される人が払ってきた努力の代わりに、快適な時間を味わっているともいえる。どちらの人も一般に思われているほど、幸福に違いはないんじゃないだろうか。
先生から教えてもらった「face the music」という言葉を思い出す。なぜ「music」なのかよくわからないが、自分がやってしまったこと、やらないでいたことが招いた結果を受け入れるという意味の言葉だ。ぼくは、今ずっと英語をやらないままにしていたことと、ずっと快適な日本語という環境で過ごしてきたことの結果を味わっているのだと思う。それは通訳の方が幼い頃に体験したことと近いかもしれない。今の快適ではない状況と、将来の楽しみをただ交換しようとしているのではないか。
April 1, 2019
エンプティ・スペース 005 世界の果て沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年04月15日
灯台の見える崖の上にポツンと佇む小さい家。
世間と隔離されたその家で、薪を割り、火をおこし、世捨て人のように生きる。
時折遠くを見つめる目がかっこよくて、あごひげは伸ばし放題。
できれば、カスタムされたバイクとピックアップトラックが横付けされているといい。
そんな暮らしに憧れて、若い頃に最適な場所を求めて移動を繰り返したが、最終的に琉球列島の島に辿りつき、海辺の崖の上に住み、その芝生の上で珈琲を飲み、海を眺めながら「鯨はいないか」と気にして詩を書く毎日を送った。
人がたくさんいて交流している賑やかな中心となる街から、遠くの果てにいることに、満足感を得ていた。
だが、あまりに若いので、結局「もっといろんなことがしたい」という欲望には勝てず、結局は日本の中心にある都市に長いこといる。
だから時折、「果て」に憧れる。
今は年を重ねた分、もっと渋く崖の上に佇めるのに。
もし今、それが可能なら、どこが最適な「果て」だろう?
たとえば、映画『バベットの晩餐会』に出てくる寒村は、デンマークのユトランドにあるプロテスタントの村がモデル。
質素倹約を旨に、小さな漁村で生きる村民がいて、ある日、パリの有名シェフが身分を隠して逃げ込んでくるというストーリー。
ヨーロッパの田舎で、プロテスタント系の村はまさにミニマリズムの基礎ともいえる暮らしだ。
だからゲルマン系のノルウェー、スウェーデン、デンマークといった少し寂しげな海沿いの村は隔絶感があっていい。
ひろげると、カナダ、アラスカだっていい。
遠い町。辺境。とおくて、行きづらい。
でも、よく考えてみると、この日本がそもそも、ヨーロッパやアメリカの人々からしたら、東の果ての果てにある、遠く、中心から遠く離れた、中心世界から隔離された場所だ。
彼らがこの日本に降り立ったとき、「私は自分の住んでいる世界から一番遠くの国に来た」と感じるかもしれない。
東京がどんなに都会になっても、辺境にある大きな都会であることは変わりないのだ。
日本人の感覚としては、たとえばトルコとか、インドの先とか、アフリカのどこかとか、南アメリカ大陸のどこかのほうが辺境感がある。
でもトルコの人が日本に来たときのほうが、確実に辺境感があるだろう。自分たちの文化とはまったく違う文化が、世界の果てで花開いている。
そして、そのまま海岸の寒村に行けば、本当に寂しい思いをするかもしれないし、それに猛烈に憧れを感じるかもしれない。
果て。
結局私もあなたもいつも、世界から離れた果ての果てで、毎日生きている。
そう思うと、それはそれでいいのかもしれない。
世界の果てにて。
March 11, 2019
エンプティ・スペース 004 遠くまで見える沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2017年12月28日
朝、車でいつも通り妻を仕事場のスタジオまで送るため、井の頭通りから五日市街道に入った。
すると、道の向こうの空に、白い雲のようなものが見える。
「もしかして、あれは富士山なのでは…?」
今まで何度も通ったこの道で、富士山が見えたことはない。
でも、雲ひとつない空に、雲がなんだか違和感がある。
前の車が停車して、その白い影は見えなくなったが、私は方角から見てそれが富士山だと確信し、一人「富士山だ!」と叫んだ。
車が進むと、再びその影は姿をあらわしたが、次は枯れた街路樹に視界を阻まれ、見えなくなった。
どうしてこんなに、ふと見えた富士山に喜ぶのか。
私は10年以上、たぶん15年くらい、富士山に毎月のように通っている。
仕事先がそこにあるからで、何度も美しい富士山を近くで目にしている。
なのに、東京で富士山を見ると心が満たされ、達成感があるのだ。
だから、天気のいい日は娘を連れて必ず屋上に行き、富士山チェックをする。
自分の家から見える富士山が一番だが、江ノ島や葉山からでもいい。とにかく歓びに満たされる。
今日富士山が見えたのは、強い北風のせいで富士山まで空気が澄んでいたからだ。
乾燥も関係しているらしい。水蒸気が少ないので太陽光の乱反射がなく、暑さで空気が上昇しないため、ほこりなどは地上近くに留まる。
そのため、「秋の空は高い」。
遠くまで、はっきり見える。
妻を送ったあと、富士山の見えるポイントに娘と移動したら、雪に覆われた大沢崩れの形がはっきりとわかるほどだった。
まわりの山の雪の積もり具合もきれいに見える。
すごく遠くのものが、はっきり見える。
どうやら、自分の心にとっては、そこが嬉しいポイントらしい。
遠くのものが見えることが嬉しいのだ。
「遠くのものが見えることが嬉しい」には、思い当たることがたくさんある。
たとえば、久米島で素潜りをしていたとき、11月になると透明度が格段に上がる。
そのせいで、水面から40メートル下のサンゴの床が見えるときがある。
空に飛んでいるような感覚を味わえるのは、そのとき、その季節だけ。
たいてい、ウミガメが優雅に底のほうを泳いでいて、大きな水族館のようだし、底がはっきり見えるから怖くない。
普段は40メートル下なんて見えなので、不気味なときもある。
星もそうかもしれない。
この目で見える何よりも、遠くにあるもの。
午後、保育園まで娘を迎えに行った。
迎える前から、娘と二人で遠くに出かけようかどうか迷っていた。
遠くに行くのは楽しいし、ワクワク感があるが、同時に、遠くまでの運転が面倒な気分でもあった。
富士山の見えるポイントで車を止めて、大沢崩れを眺めながら、遠くを見ることについて考えた。
「行かずに、ここから眺める」という歓びもあるのではないか。
年末の30日には餅つきで富士山に行くけれど、近くで見る富士山と遠くから見える富士山の価値はやはり違うのではないか。
どちらかがいいというわけではなく、違う価値を持つのだと。
車に戻ると、娘が最近覚えた歌を歌い出した。楽しそうにしているのを見て、目的地なく、ただ二人で過ごせばいいのだと思った。
そばの名所である近所の深大寺へ行き、おだんごを食べ、参道を散歩して家に戻ったら、もう4時。
冬至だから、4時30分には日没になる。
そのあとは日が沈むまで、何度も屋上に夕景の富士山を見に行った。
「遠くまで見える」のは、富士山だけじゃない。
妻が若いころに見たというモンゴルの草原と満天の星。
もしくは、山の頂上から眺める風景。
あとは、グランドキャニオン的風景。
与那国島から目を凝らした台湾の島影(見えなかった)。
雲。秋の雲は空高い。
逆に、飛行機から眺める地上。
そして、海。
私は20代のとき、サーフボードの上で波待ちをして、視力が回復した。
ずっと向こうの水平線のほうを眺めていたからだと思う。
海にも空にも、「遠く」がある。
エンプティ・スペース 003 遠くまで見える沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2017年12月28日
朝、車でいつも通り妻を仕事場のスタジオまで送るため、井の頭通りから五日市街道に入った。
すると、道の向こうの空に、白い雲のようなものが見える。
「もしかして、あれは富士山なのでは…?」
今まで何度も通ったこの道で、富士山が見えたことはない。
でも、雲ひとつない空に、雲がなんだか違和感がある。
前の車が停車して、その白い影は見えなくなったが、私は方角から見てそれが富士山だと確信し、一人「富士山だ!」と叫んだ。
車が進むと、再びその影は姿をあらわしたが、次は枯れた街路樹に視界を阻まれ、見えなくなった。
どうしてこんなに、ふと見えた富士山に喜ぶのか。
私は10年以上、たぶん15年くらい、富士山に毎月のように通っている。
仕事先がそこにあるからで、何度も美しい富士山を近くで目にしている。
なのに、東京で富士山を見ると心が満たされ、達成感があるのだ。
だから、天気のいい日は娘を連れて必ず屋上に行き、富士山チェックをする。
自分の家から見える富士山が一番だが、江ノ島や葉山からでもいい。とにかく歓びに満たされる。
今日富士山が見えたのは、強い北風のせいで富士山まで空気が澄んでいたからだ。
乾燥も関係しているらしい。水蒸気が少ないので太陽光の乱反射がなく、暑さで空気が上昇しないため、ほこりなどは地上近くに留まる。
そのため、「秋の空は高い」。
遠くまで、はっきり見える。
妻を送ったあと、富士山の見えるポイントに娘と移動したら、雪に覆われた大沢崩れの形がはっきりとわかるほどだった。
まわりの山の雪の積もり具合もきれいに見える。
すごく遠くのものが、はっきり見える。
どうやら、自分の心にとっては、そこが嬉しいポイントらしい。
遠くのものが見えることが嬉しいのだ。
「遠くのものが見えることが嬉しい」には、思い当たることがたくさんある。
たとえば、久米島で素潜りをしていたとき、11月になると透明度が格段に上がる。
そのせいで、水面から40メートル下のサンゴの床が見えるときがある。
空に飛んでいるような感覚を味わえるのは、そのとき、その季節だけ。
たいてい、ウミガメが優雅に底のほうを泳いでいて、大きな水族館のようだし、底がはっきり見えるから怖くない。
普段は40メートル下なんて見えなので、不気味なときもある。
星もそうかもしれない。
この目で見える何よりも、遠くにあるもの。
午後、保育園まで娘を迎えに行った。
迎える前から、娘と二人で遠くに出かけようかどうか迷っていた。
遠くに行くのは楽しいし、ワクワク感があるが、同時に、遠くまでの運転が面倒な気分でもあった。
富士山の見えるポイントで車を止めて、大沢崩れを眺めながら、遠くを見ることについて考えた。
「行かずに、ここから眺める」という歓びもあるのではないか。
年末の30日には餅つきで富士山に行くけれど、近くで見る富士山と遠くから見える富士山の価値はやはり違うのではないか。
どちらかがいいというわけではなく、違う価値を持つのだと。
車に戻ると、娘が最近覚えた歌を歌い出した。楽しそうにしているのを見て、目的地なく、ただ二人で過ごせばいいのだと思った。
そばの名所である近所の深大寺へ行き、おだんごを食べ、参道を散歩して家に戻ったら、もう4時。
冬至だから、4時30分には日没になる。
そのあとは日が沈むまで、何度も屋上に夕景の富士山を見に行った。
「遠くまで見える」のは、富士山だけじゃない。
妻が若いころに見たというモンゴルの草原と満天の星。
もしくは、山の頂上から眺める風景。
あとは、グランドキャニオン的風景。
与那国島から目を凝らした台湾の島影(見えなかった)。
雲。秋の雲は空高い。
逆に、飛行機から眺める地上。
そして、海。
私は20代のとき、サーフボードの上で波待ちをして、視力が回復した。
ずっと向こうの水平線のほうを眺めていたからだと思う。
海にも空にも、「遠く」がある。
March 6, 2019
日本人は常時「円」使用 佐々木典士
フィリピンのスーパーやデパートのレジ前で並んでいると、フィリピンの女性に順番を抜かされたことが2度あった。セブの空港でタクシーを待つ列でも、欧米人らしき男性がぼくの前に前に出てこようとする。
でも彼女たちに悪気はないようだったし、特に急いでもない様子だった。単純に列をきちんと作って並ばなきゃいけない、という意識が極端に低いのだ。みんながぐいぐい前に出て来るので、こちらも意識を張ってジリジリと歩みを進め、時には体を張って自分の位置を確保しようとしたのだが、彼らはそういうことにもまったく気を留めない。こちらが気を張っているということ自体の想像をしていないようだ。
そしてカフェや、空港のカウンターでは「Are you in line?(列に並んでますか?)」と何度か聞かれた。どう見たって並んでるでしょ、と日本人なら思うのだがお構いなしに聞いてくる。
ネイティブの先生とは日本人独特の人との距離感についてたびたび話をした。たとえば、カフェがいっぱいで相席せざるを得ないとき、日本人は黙って座ることがあると。言わなくても見ればわかるでしょ、店はいっぱいなんだから、という感じだろう。そして、ぼくが留学していた学校では3食提供されるのだが、一緒に食事を取ればいいものをわざわざ離れた場所に学生が1人ずつ座って食事を取ることがあり、その光景がとっても不思議に思えると言っていた。
反対にぼくが映画「ファイト・クラブ」を見て驚いたのは、飛行機の中で乗客が隣の乗客に話しかけるシーンだった。日本では飛行機でも新幹線でも、隣の人に話しかけることはめったにないのではないだろうか。そんな話をすると、少なくとも海外では長い話をしなくてもいいから、いろんな場面で簡単な挨拶だけはした方がいいとアドバイスされた。そうでなければ「私はあなたに関心がない」もしくはスパイか何かかと疑われてしまうようなネガティブな意味を持ってしまうのだと。
今はなぜこういうことが起こるのかわかる。日本人は「HUNTERXHUNTER」で言うところの「円」を常に使っているのではないか。(円というのはオーラを自分の体より広い範囲に拡張し、相手の存在や、動き、時には感情さえも読み取るという技術)。
円の常時使用だから、列に並ぶときもしっかり自分の順番を意識しているし、他人の位置関係に敏感だ。そして「列に並んでいますか?」とか「ここ座ってもいいですか?」とか「今日はいい天気ですね」と話しかけることも少ない。なぜなら話しかけること自体が、相手に気を使わせてしまう可能性のある行為だと思ってしまうから。円と円が接触すると、念能力者同士のバトル(空気の読み合い)を始めなければいけないので食堂でも離れた場所で座る。先生は、とりあえずは何か話しかけて、返答がめんどくさそうだったらそれ以上は踏み込まないという方法を取っていると言っていた。
日本人がこういう感じの理由として、日本は民族が少なくて、治安もすごくいいことがあげられるのではないかと話した。たとえば一般的な挨拶である握手は、武器を持っておらず、敵意のないことを示すために始まったという説を聞いたことがある。目が合うとにっこり微笑んでくれる人も多い。戦争も多く、多くの民族を目にする大陸では、初対面でまず挨拶や握手をして自分に害がなく、おかしな人物ではないことを証明しなければいけない。フィリピンだって島国なのだが、他の国に占領された時期が長いので混血が進み、人々の顔つきにもすごくバリエーションがある。言葉も島によって全然違うので、統一する必要があり英語が公用語として使われている。
日本ではどこから来たかわからないような人は少ないし、治安もいいから、相手が変な人かどうか確認する必要は少なく、挨拶もしなくていいと。でも先生からは大抵の人が安全なんだったら、逆にもっと挨拶や話をすればいいのにと言われてしまい、確かにそうだなと思った。
2ヶ月もフィリピンにいると、現地に合わせてだいぶ「円」の緊張感が緩んでくる。日本に帰ってからもしばらくの間ぼくは、失礼な人だったような気がする。しかし気を張っていないので、疲れない。円を使うにはオーラを消費するし、常時使用となればなおさらだ。まずは何か働きかけてみて、迷惑そうだったらやめる。ひとこと言ったり、それに返答したりすることは大してエネルギーは使わないのだから、その方が省エネだ。
Fumio Sasaki's Blog
- Fumio Sasaki's profile
- 598 followers
