Fumio Sasaki's Blog, page 6
February 11, 2020
なぜミニマリストがマツダの車に惹かれるのか? 後編 「所有」の価値を再発見する 佐々木典士
[image error]CX-30 チーフデザイナー柳澤亮氏
やなぎさわ・りょう 1969年生まれ。91年にマツダ入社。05年に二代目BT-50(ピックアップトラック)のチーフデザイナーとなり、07年からオーストラリアに駐在した。11年に4代目デミオのチーフデザイナー、16年からCX-30のチーフデザイナーに就任した。
ミニマリストには車はいらない?
ミニマリストとして発信するならば「車はいらないです」というのがわかりやすい。今は車のシェアサービスもあるし、anycaなどの個人間のレンタルサービスも喜んで利用していた。
日本人として始めて「ミニマリスト」をテーマに本を出版し、そのポテンシャルを伝えるために奔走してきた身としては、車という大きな物を所有することに迷いがなかったわけではない。環境にも興味があったから、最初に買った車は電気自動車だった。そして18年もの間ペーパードライバーだったのに間もなく車に夢中になった。そして自分が望むものすべてが詰まっているマツダのロードスターという車に出会う。
[image error]
ロードスターは「運転の楽しさ」のために他の要素を割り切っている。2人乗り、ラゲッジスペースも小さな車を選べたのは、ぼくがミニマリズムを経由したからこそ。何かを得るためには、何かを捨て犠牲にしなければならないことを理解していた。そしてぼくはいつしか、できるだけ長く運転席に座っていたいと思うようになってしまった。
これほど自分が惹かれているものを、アイデンティティの一貫性とか、他人から見たわかりやすさとかのために犠牲にするのも変だ。そもそも自分自身が書いていたではないか。たとえば、物を減らして最後に残ったものが大きなグランドピアノだったとしたら、その人が大事にしたいものは「音楽」なのだと。減らすことで大切なものを見つける。大切なもののために減らす。それがミニマリズムのひとつの要旨だ。
本質があってこそ、減らす
今回CX-30のチーフデザイナー柳澤亮さんにお話を聞き、マツダ車のデザインにおいてもその考えは共通していると感じた。残すべき本質がなければ、減らしても意味がない。それはたとえば、テスラの新しいピックアップトラックが教えてくれる。他の車とはまったく違う方向のデザインを世に問える事自体は、称賛したいと思う。しかし残すべきものがなく、単に削ぎ落とすだけ削ぎ落としたデザインはマツダのデザインが成し遂げようとしていることに比べれば単純に過ぎ、だらしがないとすら思えた。
単に減らすだけでは意味がない。残した後に本質がなければいけない。マツダのデザイナーが考えている「本質」とは何かが気になった。
「我々は根本的には美しいものを作りたいんです。そして昔からいちばん大事にしてきたのが、プロポーションの美しさです。車は4つの車輪がある動体なので、その動体の根源的な美しさはたとえば、四角い冷蔵庫とか、白く垂直的な部屋のインテリアとは違うはずなんです。その車ならではの普遍的なプロポーションの美しさを追求するときに、引き算をしノイズになるものは捨てていきます。しかしそれだけでもまだ充分ではありません。なぜならプロポーションの美しさだけで言えば、50年代、60年代のヨーロッパの車はすでに完璧に美しいプロポーションを達成していたりするからです。そこで我々マツダならではの美しさをもうひとフレーバー加えなければいけない。それを探すことを長年やってきて見つけたのが日本的な美、移ろうことの美しさや光と影のゆらめきなんです」
移ろうもの=自然には飽きない
これもまた、ぼくがミニマリズムを実践して考えてきたことと共通する。たとえばCX-30のデザインモチーフともなっている「移ろい」。ぼくが部屋の中から物をなくしてみると、差し込んでくる太陽の光に目が行くようになった。ブラインドを通して差し込んで来る光が、ただ真っ白なだけだと思っていた壁紙に幾何学的な模様を描く。何の変哲もないフローリングの床が光を反射して、はっとさせられる。
[image error]東京に住んでいた頃の部屋
「少ない物ですっきり暮らす」のやまぐちせいこさんはこれを「光のインテリア」と呼んだ。床を壁を飾るべく揃えられた装飾品は、どれだけ好きなものでもいつか飽きてしまう。しかし光が作り出す、刻々と変わり続ける物には飽きることがない。
ミニマリズムを経て、自然に親しむ機会が多くなった。物はどれだけ素敵なものでも、基本的には固定化しているもの。そういう物を所有するよりも、朝日や夕日を眺める方が素晴らしいと思えたからだ。自然の物は色も形も毎回違う。家に置いてある物と違い、確実に出会えるどうかすらわからない。そんな風に考えていた。
ところがロードスターに乗るようになると、自分の車の側面に写り込んだものに時折息を呑む。それは樹木や空など美しいものの映り込みだけではない。どうでもいい駐車場に引かれた白線が複雑な模様を描き、自分の車を今日だけの特別なものにする。
[image error]
色もそうだ。匠塗りと呼ばれる特別な塗装は、まわりの環境に合わせて色も深みも変化する。雑用を済まし、車を停めた場所に戻るとまるで別の車のような面持ちでそこに佇んでいる。まるで車の感情が浮き沈みしているように見えさえする。
[image error]
所有しなければ得られない喜び
「わたしのウチには、なんにもない。」のゆるりまいさんと対談した時に、ゆるりさんは自分が持っている物を「この角度からもいいねぇ」とか「ここもかわいいよ」といいながらよく写真に撮ると言っていた。当時のぼくはそこまで愛着のある物はなかったのだが、ロードスターには完全に同じことをしてしまっている。その瞬間だけの車の魅力を記録したくなる。
物の管理にとにかく時間を取られたくないと思っていた自分にとっては、洗車なんて手間がかかる面倒なものでもある。それが洗車をしてコーティング剤を塗ると、塗装が輝き自分の車がまた違って見える。そうして、手をかけることによって自分の所有物をさらに好きになりうるということも知った。レンタルやシェアでは生じ得ない、所有することでの発見や喜びが、マツダの車にはある。
[image error]洗車の後は、自然と写真を撮る。
「インスタントなデザインにはしたくないということを我々はすごく思っています。わかりやすさだけで言えば「日本の美」を表現するなら竹とか障子とか直接的な和の表現もできるし、その方が海外のお客様にとっては受けもいいかもしれない。でもそれはきっと一過性のもので、すぐに飽きられると思うんですね。それと同じで表層的なグラフィックや、キャラクターラインを入れると、ぱっと見てのインパクトはあるかもしれませんが、でもそれに飽きてまた次の新しいものを、ということになりかねない。環境によって発見があり、毎日付き合ううちに味わい深くなる、それが愛着につながるような車を作りたいと思っています。だからむしろ車を買い替えて欲しくないんです」
スモールプレイヤーというメリット
マツダの車は、単にデザインだけがミニマリズムなのではない。
マツダがミニマリズムという言葉を使っているわけではないが、ぼくの考えでは、会社自体がミニマリズムに貫かれ、それを活かした車作りをしていると思う。たとえば、車作りの姿勢だ。ほとんどの人は、車を選ぶときに価格や燃費や、室内空間がどれぐらいかという「数字」で判断できるものを基準に選ぶ。マツダ車の根本的なスローガンでもある「Be a driver.」、つまりは運転してどれぐらい楽しいかということだが、そういうものは数字にはなりづらい。マツダのデザインは攻めているが、デザインもまた数字には置き換わらないものである。説得力のある数字で相手をやり込めるようなプレゼンとは対極にあるような車作り。いったいどうしたらこういう方針が取れるのだろうか?
「うちの会社が他社と違うところに舵を切れているのは、我々は世界シェア2%のスモールプレイヤーであり、方針としてマスは目指さないと言い切っちゃっていることにあると思います。スモールプレイヤーが、トヨタさんやホンダさんと同じ土俵で戦っても敵うはずがないから、同じ土俵では戦わない。そしてマツダを評価してくださる2%のお客様とコミュニケーションをして、お互い信頼を高めあってマツダという会社を作っていきましょうと会社自体が宣言しているんです。その宣言の元で車作りをしているから、デザインだけでなくエンジニアリングもそういうスタンスです。弱点を逆手に取った戦略だと思うんですけど、それによって他社にはないユニークさが生まれていると思います」
スケールメリットではなく、スモールメリットを活かすミニマリズム。そして拡大路線を歩もうとしなければオリジナリティある車作りの姿勢は担保される。しかし車業界で言えばスモールプレイヤーかもしれないが、マツダは売上高3兆5000億という大企業でもある。こういう大きな組織をミニマリズムで貫き、まとめあげるのは並大抵のことではできないと思う。組織が大きくなればなるほど関係各所の軋轢が生じ、メンバーが同じ方向を向くのは難しくなるはずだからだ。
アップルとマツダの共通点
組織のミニマリズムのことを考えていたときに、念頭にあったのはアップルだった。スティーブ・ジョブズもまた、デザインをミニマルにしただけではなく、会社にある物を減らし、会議に参加する人数を減らし、とにかく減らしたミニマリストだった。
マーケティングや市場調査を重視しない、ということもアップルとマツダは共通している。ジョブズは「 多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ」と言った。お客様に必要な物をお伺いを立てた上で、商品開発をするのではなく、次はこうだという独断的な感を信じること。そうでければ、MacやiPod、iPhoneなどの製品が他社に先んじて、世を変革することはなかっただろう。柳澤さんにも参考にしている車のデザインや、気になるカーデザイナーを聞いてみたが答えはこうだった。
「もう長いことベンチマーク(目標となる他車を研究したり、性能を自社製品と比較すること)というのをやっていないんです。だから、ぼくも他社にとても疎くなっています笑」
こんな風にマツダとアップルには共通している点が多いと思うが、アップルの場合はある意味わかりやすい。ジョブズという壮大なビジョンを持つカリスマがいて、そのカリスマが要求する無茶苦茶な目標をとにかく他の皆が四苦八苦して成し遂げるという形だったからだ。(例えば、ある時ジョブズは電話帳を机に叩きつけた。そして開発者に「それがマッキントッシュの大きさだ。これ以上、大きくすることは許さない」と言ったという。ジョブズは「多くの企業は優れた人材を抱えている。でも最終的にはそれを束ねる重力のようなものが必要になる」とも言っている)
受け継がれるモノづくりのスピリット
マツダにはジョブズのような絶対的な「重力」があるようには思えない。しかし、結果として同じような高みに到達しているとぼくは思う。各セクションのメンバーが「変態」(マツダ社内では褒め言葉だ)的な熱量を持って、車作りに取り組む。課題解決のために各セクションが譲歩し合うのではなく新たなアイデアを見つけることによって乗り越える。そういうモノ作りがどうしてできるのか前から不思議だった。
「不思議だとぼくも思うんですけど笑。ある意味、広島だからということも大きいかもしれないと思いますね。首都圏は当然いろんな会社があって、そこで切磋琢磨されるというのはいい面、悪い面あると思うんですよ。でも西日本で自動車メーカーというと、大阪にダイハツさんがあって、それより西はマツダだけなんです。広島は歴史的にも興味深くて、広島市ってデルタ地帯、三角州の街なんですよ。中世の時代からたたら製鉄が盛んで、そのために山を掘って土砂が太田川という川を流れてきたものが今の広島市の地盤になったんです。だから元々は海だった。その製鉄業からモノづくりが生まれ、呉海軍工廠(戦艦大和を建造した)ができたり、造船が盛んになったのもそこに鉄があったから。その造船の人たちをヘッドハンティングして車作りを始めたのがマツダです。だから広島という独特な土地で、脈々と受け継がれてきたモノ作り精神がすごく色濃く残っているんですよね。モノを作るということに対して、とにかく異常とも言えるスピリットを持っています」
広島という土地で受け継がれてきたものだけでなく、マツダという社内でもDNAのように受け継がれていくスピリットがある。今の魂動デザインが生まれて10年ほどになるが、それも何もないところから突然生まれたものではないという。たとえば先に挙げた、光の映り込みや移ろいというテーマも、何も最近始まったものではないようだ。
「バブルの少し前ぐらいなんですけど、福田(当時のデザイン本部長の福田成徳氏)が中心となって「ときめきのデザイン」をテーマにしていたことがあるんです。車でいえば、NAロードスターとか、FDのRX-7、センティアの時代です。あの時代も今と非常に近くて、シャープなキャラクターラインを使わずに柔らかい面の表情で塊を作っていくということに取り組んでいたんです。それに木漏れ日が写り込んだり、そういう美しさをリフレクションのデザインとして作っていたんですね」
[image error]初代ロードスター
[image error]RX-7(FD)
[image error]センティア
「ぼくが入社したのもその頃ですし、前田(前田育男常務執行役員 デザイン本部長として魂動デザインを提唱した)はすでにバリバリ仕事をしていた。当時の薫陶を受けた世代が今のリーダー世代になっているんですね。マツダの特徴として、クレイモデラーのスキルが非常に高いんですけど、それもときめきのデザインの時代に培われたスキルが、受け継がれてきたということもあります」
ミニマリズムはどこへ行く?
ぼくは、ほぼ手放しとも言えるぐらいにマツダの車が好きだが、懸念がないわけではない。たとえば今のマツダ車に、足していいなと思えるエアロパーツはほとんどない。デザインの完成度が高すぎて、付け足せるものがないのだ。ミニマルな部屋もそうだが、完成度が高くなっていくほど、そこにあるべきものに対して要求が高まるような厳密さがある。完成度が高すぎるデザインは、これからどう変わっていけるのだろうか?
たとえば、ファッションの世界では2017年頃すでにノームコアやミニマルなファッションに対して揺れ戻しの機運が出始める。(ファッションというのはそもそもそういうエネルギーで駆動している業界だが)。そんな風にミニマルなデザインにもまた揺れ戻しがあるものなのか、もしくはポルシェのように、これからのマツダのデザインは長い時間をかけて少しずつしか変わっていかないものになるのか?
「ベンチマークの話もそうなんですが、我々は流行を追うということはまったくしてないんですよね。今は確かに世の中がミニマリズムの方に来ていて、今のマツダの車にも共通するものがあるかもしれませんが、我々はその世の中の流れを意識していたわけではないんです。だから、もし今のミニマリズムが衰退してまた盛りの文化が来たとしてもそのトレンドに乗っかるというとまったくないですね。一方でポルシェのように同じスタイルを続けていくかというとそれもNOだと思っています。根源的なプロポーションの美しさは変わらないものですが、完成はなく美しさを求める旅に終わりはないんですよね。その探求の中で見つけたものを世に出していく中で、表現する手法は変わっていくのかもしれません。未来の話なので100%言えることは何もないのですが、マツダが日本生まれの日本のブランドであるということは非常に意識していますし、日本の美というテーマはこれから大切にしていくと思います。日本の美を表現するデザインと言えばマツダ、そうありたいと思っています」
日本が自信を喪失しているのは、今の世を席捲しているプロットフォームビジネスはGAFAに蹂躙され、得意としていたモノづくりの分野でもある部分は他国に追い抜かれ、誇りを失っているからだと思う。そんな中にあって、マツダという会社は日本が持っているポテンシャルを見つめ直し、それを虚勢や諧謔ではなく地に足の着いた形で世に問うている。深く知るほど、そういういうものが日本にあることに驚くし、嬉しくなる。それがマツダという車とその会社である。
January 29, 2020
なぜミニマリストがマツダの車に惹かれるのか? 前編 美しい間と脳内がコネクトするクルマのはなし。 文 沼畑直樹
ミニマル&イズムの二人は、いずれもモノを減らしたミニマリズム生活のあとに車を購入している。
そして、どちらもなぜかマツダである。
数年前からコンセプトに「引き算の美学」という言葉を使っているマツダ車は、外装と内装において、シンプルでノイズのない美しさを追求している。ただミニマルにするだけなら、他の車も伝統的にチャレンジしているが、シンプリシティだけで成立しないが車のデザインでもある。
だからこそ、ミニマリストとしては「車に引き算のデザイン」は興味深い。
今回、2019年の年末に発売されたばかりのCX-30という車のチーフデザイナーである柳澤亮氏に、沼畑と佐々木の二人が話を伺った。ミニマルな気分を満たしてくれる、不思議な車の謎に迫りたい。
前編 美しい間と脳内がコネクトするクルマのはなし。 文 沼畑直樹
後編 (後日公開予定) 文 佐々木典士
[image error]CX30チーフデザイナー柳澤亮氏
やなぎさわ・りょう 1969年生まれ。91年にマツダ入社。05年に二代目BT-50(ピックアップトラック)のチーフデザイナーとなり、07年からオーストラリアに駐在した。11年に4代目デミオのチーフデザイナー、16年からCX-30のチーフデザイナーに就任した。
前編 美しい間と脳内がコネクトするクルマのはなし。 文 沼畑直樹
平屋の庭に、アートのような車が一台。
その家の持ち主は、「余計なモノを持たない」を信条としていて、断捨離やミニマリズムという言葉が世に出るずっと前から、日本でシンプルな暮らしを続けていた。
庭にはさらに車が8台、9台と停められそうな広さを持つが、何も置かれていない。
禅寺の庭よりも飾り気なく、平屋の佇まいをシンプルを究めている。
簡素で、色なく、小さい。
だからなのか、その一台が映えている。
展覧会のために準備されたかのように、車の佇まいも極まっている。
凜としている。静まり返っている。
その人の暮らしに憧れて、モノを減らしたからなのか、好きなモノを捨てたあとに、車を買った。
前の車を手放してから15年の間、好感を持つことはなかった。特に、インテリアのデザインに共感できなかった。だから、特にインテリアにおいて他の車と違う雰囲気を醸し出していた小さい車を買い、見事に夢中になった。
自由移動という能力を授かり、走る歓びを知り、遠くに出かけては、空の下でまったりと過ごした。
一方、佐々木さんはカブリオレの世界に没入した。赤く美しいフォルムを持つ二人乗りオープンカーで京都や瀬戸内海を流す「路の人(ロード・スタ)」となった。
彼からすると、走る歓びは動物的本能だという。理屈はいらない。
購入から5年が経ち、2019年の11月に車を買い替える。届いたのは12月のはじめ。すると、過ごし方が少し変わった。
たとえば師走、夜明け前の早朝、誰もいない路を走り、車を停める。コーヒーを飲む。
天井の高い開放的でミニマルデザインのコーヒー店でしか気持ち良さを感じないと、焦ることはない。この新しい車なら、ミニマルに整えられた静謐なインテリアが同じ気分にさせてくれる。自分が作ったコーヒーでも、コンビニでもスタバでも、ブルーボトルでも、何でもいい。
どうしてこんな気分になるのかと考えると、不思議でならない。嫌いだった車のインテリアが、2019年になると、心地良いものになっている。
ラグジュアリーだったり、機械的であったり、ポップすぎたりという車世界独特の感性は、今も多くのメーカーに残っているなかで、ミニマルで凜とした佇まい、気配と美しさを持つ外観と内観で人をはっとさせる車が誕生したのだ。
その不思議な車の名は、Mazda CX-30(シーエックス・サーティ)。
[image error]CX-30 マツダが2019年11月に発売した車。Mazda3とともに新世代を担う商品で、CX-30はMazda3に比べて室内空間が広く、オフロード性能も併せ持つ。
車のデザインテーマに「余白」という言葉
2020年現在、国内外問わず多くの車が、「はっきり」としたデザインをする。ボディに明確な線(キャラクターライン)を引き、国産車は特に奇抜な形が好まれる。アピール性の高い装飾やフォルムは、ひと目で「魅力」へと変換されるように緻密な?設計がされている。
そういった車は売りやすいが、その「魅力」の数値は、購入後上昇することはなかったりする。
でも、いい。デザイナーもユーザーもメーカーも、その当たり前の方法に意を唱えたりしない。
飽きたら、乗り換える。「新しい」デザインを心待ちにする。
車に興味がない人は、それを外側からときどき無関心に眺めている。
そんな中で、マツダはこの10年ほど、独自の道を切り開いている。マーケティングにこだわるのをやめ、内側に目を向け、日本的職人気質を大切にし、コンセプトを明確にした結果、気づけば完全なオリジナル、ユニークなメーカーとなった。
たとえば、2019年に発売されたMazda3とCX-30のサイドからの眺めを見ると、ドアの面は複雑な曲面になっている。そこに、まわりの風景が美しく映り込むように徹底した設計がされている。
[image error]
「光の移ろい」と呼ばれるこのデザインは、あのはっきりとしたラインを排除し、シンプルな面で余白を作り、そこに何かが入り込むことで完成するということだ。余白に入るのは光と影、陰翳。そして、ユーザーの想像力。走っているときには見えないが、ドライバーは想像する。古い街並みを走ったらどうだろう。朝陽を受けて走ったらどうだろう。雨の日は…。
これは、あえて100パーセントに装飾をしない茶室の考えと同じだ。客人と無関係な装飾で相手を緊張させることなく、客人の想像力で茶室の美学を完成させる。「飽き」は無縁で、「斬新」とも無縁。人目でわかる美しさではなく、空間と人の精神的な繋がりを大事とする。
CX-30のチーフデザイナー柳澤氏は、CX-30のデザインコンセプトにおいて、「引き算の美学から余白に変わった」と発言している。ミニマリズムや禅の世界で使われるような「余白」が、走る機械である車のデザインに使われるとは、ユニーク以外の何ものでもない。
結果、私の感性に、ぐさりと刺さった。これは、ただの車じゃない。
マツダが「引き算の美学」を使う理由
「我々の目指しているものが、引き算の美学だけで語れるかというと、そうではないんです」と柳澤チーフデザイナーは言う。「根本的には、美しいものを創りたいんです。そのときに、ノイズを捨てていきたい。それで最後に残った純粋なもの、それが創りたい美しいものだと」
2017年に発表したヴィジョン・クーペというコンセプトモデルは、マツダエレガンスというテーマを持ち、その内容は日本古来の美意識を基にした「引き算の美学 Minimalist Aesthetic」だった。日本の工芸品、美術品や建築物がそうであるように、余計なものを削ぎ落とし、艶と凜を際立たせる。
「車は動体なので、シンプルな冷蔵庫のような箱を創るわけにはいかない。寂しい窓のない牢屋のようなものを創りたいわけではなくて、美しいものを創りたいし、美しい空間を創りたい。純粋に磨いて削ぎ落としていくことで、美しいものをどうやって表現するのかということに注力していきたいんです」
CX-30の開発が始まったのは、2016年ごろ。柳澤亮氏がチーフデザイナーに就任し、ヴィジョン・クーペのコンセプトを受けた車創りが始まった。
「2015年のRX-ヴィジョンが最初に世に出た『引き算の美学』のコンセプトなんですが、ヴィジョン・クーペはRXを引き継いだかたちになっています。RXはかたちで表現できたけども、それを十分コミュニケーションする言葉に置き換えられてなかったものが、ヴィジョン・クーペの段階で随分置き換えられて、言葉として発信できるようになったと思います」
[image error]左 RX-VISION 右 VISON COUPE
[image error]ヴィジョン・クーペ
引き算というコンセプトの前には、マツダが昔から大事にしているプロポーションの美しさという根幹がある。
「プロポーションの美しさを本当に表現できているか、これで完璧か、より完成度に近いか、自分たちの中で日々追究しています。車には、四つの車輪で走る動体としての本質的な美しさがあると思うんです。それはたとえば50年代60年代のヨーロッパの車にあり、例をあげるとジャガーやメルセデス、アストンマーチンです。それらの車は、今でも完璧なプロポーションを引き継いで美しい車を創れている。そういった普遍的な美しいプロポーションは壊してはいけない。そのために、余計なものを引き算していく。でも、引き算をしたあとは、ジャガーとアストンマーチンと何が違うのかとなってしまう。そこに、マツダとしての美しさの解釈をもう一つ加える。それが大事なポイントだと思っています。結果、探していくなかで見つけたのが『光の移ろい』で、光と影の移ろいが日本の美に繋がるのではないかと導き出して、徹底的に引き算をしたプロポーションに投影する。これがマツダのデザインであり、日本の美ですよと決めたわけです」
マツダエレガンスには禅や茶道を生んだ東山文化の系譜もあるため、極日本的な趣きを持つ。かといって、わびさびのような世界ではなく、艶や凜という美しさを達成し、海外のユーザーからも「これは日本の美しさだ」「マツダはデザインのマスターピース」と賞賛されるに至っている。
[image error]
車のデザインにシンプリシティを持ち込むのは、新鮮なことではない。ホンダがアメリカに送り込んだ小さな車シビック、フォルクスワーゲンがワーゲンに対して用いた広告手法、レンジローバーという車のリダクショニズムというふうに、「シンプルにする」というアイディアは多くある。
マツダの場合は、単なるシンプルではなく、「美しさのために引く」という方法で、引いた結果美しくならないならば、間違っていると結論する。
ミニマリストが「どうして空っぽの空間にしたいのですか?」という問いを投げかけられれば、「美しいからです」と答えるしかないのと同じだ。どんなに照れくさくても、「美しさ」を求めているのは否定しようがない。
「間を創る」という仕事
「インスタントなものは創りたくないという思いがあります。使っていくうちに慣れ親しんでいくようなもの。それが愛着に繋がっていく」
たしかに、このインタビューの時点でCX-30に乗って一ヶ月だが、すでに慣れ親しみ、精神的な繋がりを感じてきている。
なぜなのかと考えると、この車の空間性がある。
そもそも、動物も人間も、空間に何かを感じる。安心感、美しさ、所有感、空間性、怖さ。よくわからないが、壁と屋根、もしくは自然物の空間に何かを感じるように設計されている。もともと何もなかった外の空間に、建物ができて中に入り、光に溢れているとワクワクするのだ。しかし、その気分は、たくさんの所有物で着飾ることで見えなくなっていく。
同じように、車のインテリアは機械的なスイッチで埋め尽くされることもある(それはそれでかっこいい)が、フォルムで囲まれた純粋な空間を感じるには、余計なものがないほうがいい。
CX-30は、インテリアにおいてヴィジュアル的なノイズを省くという試みをした。フロントガラスの向こう側の風景に集中するためという目的が第一だが、とにかく、ミニマルな空間が完成した。豪華でラグジュアリーなモノはもちろん、マシン的でレーシーなかっこよさも省いたといえる。
一見では、非常にシンプル。これはもしかしたら、走り好きな人に響かないかもしれない(マツダユーザーは走りが好きな人が多いという評判がある)…と不安になるほどだ。
だが、最初に人を選ばない、拒絶しないというのが、このシンプリシティの魅力だ。
モノで飾った部屋と、シンプルでモノが少なく、壁や窓が引き立つような部屋との違いに似ている。
モノを捨てる前の私の部屋は、まさに豪華絢爛。本や雑貨、家具によるセンスいいアピールの場と化していたが、それによって拒絶的な気分になるゲストの気持ちなんて考えていなかった。
モノを捨てたあとの部屋では、「引っ越し前みたい…」と、いい印象を持たれることはなくなったが、1時間もしないうちに、「なんかこの部屋が居心地よくなってきた…」という変化をゲストは何度も体験した。
「部屋のほうから寄り添ってくる」というあるゲストの表現は、この部屋は誰のモノでもなく、あなたのものでもあるという「空間側からのもてなし」を意味している。
CX-30に、私は同じものを感じた。もてなされ、繋がることができる。
[image error]
ここで疑問が沸く。
ミニマリズムの世界や、これからの生き方、スタイルを模索し、いくつかの好きな過ごし方、生き方を持つようになった自分に突き刺さるのは、意図的な開発として行われたことなのか。
空の下でチルアウトしたいと思う、私のような人間をターゲットにしたことなのか。柳澤チーフデザイナーは、「時代に合わせたということはなかった」と素直に答えてくれた。
「インテリアで用いたのは、間という考え方。ヴィジョン・クーペでも表現しているんですが、疎と密という考え方をインテリアで表現していく。そこで、日本家屋のように、日本人が落ち着ける空間があればいいと思ってやってきました。決して日本の社会がそういう方向に進んでいるからというわけではなくて、そういう間を創りたいと思ったからです」
[image error]「間の解釈というのは、Mazda3はドライバーズカーとして、CX-30はよりファミリーカーとして使っていただきたいと思っていて、4人の人がくつろいで、お父さんがスポーティに走るものではない。ゆったりとくつろいで長距離移動を楽しめる空間。日本家屋は動かないですが、それと近い感覚でくつろいでもらえるというのを考えたときに、通じ合うものがあるなと。また、包まれる空間というのを創っている(アッパーインパネの部分からドアの内側にかけて包み込むようなフォルムが形成されている)ので、助手席の前は要素はなくても、空間として創るというのもやっています。若い頃はインテリア担当だったので、空間から考えるというのをずっとやっていました」(柳澤亮)
実は、マツダは数年前からマーケティングにこだわるという姿勢を捨てている。だから、そもそも自分のような層や好みがあることなんて、調べていない。柳澤さんいわく、他社の車にも疎いという。
ただ純粋に、美しい車、世界一の車はなんなのか、車とは何なのかという問いかけを自分たちでして、世間の車の流行を追わず、独自の車を創造し続けているのだ。
私のひとつ前の車も、実は柳澤氏がチーフデザイナーを務めている。インテリア出身の彼だからこそ、白い革シートに赤いファブリックを縫い付けるという、見たことのない空間を作った。他の機械的な車より、その女性的な車を自分が選んだのは、15年間の車のインテリアデザインが本当に嫌いだったからかもしれない(さまざまな個人的な理由がある)。なのに、実際に乗るとスポーティな味付けをインテリアにしたくなった。ステアリングを替えたり、シフトノブを替えたり。今思えば自分から破壊をしていたのだが、素直に寄り添えたかというと、CX-30ほどではなかったのかもしれない。今は、私がCX-30寄りなのか、CX-30が私に寄ってきたのかさえわからないほど、相性の良さを感じる。足りないものも、足したいものもない。
[image error]マツダ4代目デミオ。沼畑が所有していたもの。
朝、人の少ない路を30で走り、川の向こうに登る朝陽を眺める。折り畳み自転車を積んで、眺めのいい路を探して、下ろし、走る。
早々に切り上げて、家に向かう。朝ご飯の時間に遅れてはいけない。
ネイビブルーの包み込むようなインテリアと白のシートの居心地がいい。
走り心地もいい。楽しい。
私の脳内の何かが、この車とシンクロして、コネクトして、操られて、私は理想の朝を過ごしてるのかもしれない。
[image error]私(沼畑)の車のカラーは、外装がグレーとブルー(正式名称はポリメタルグレーメタリック)。内装がネイビーブルーのインパネカラーとグレージュという白とベージュの中間のファブリックシート。先日、この組み合わせが日本流行色協会の主催するオートカラーアウォードグランプリを受賞した。
前編 終わり
なぜミニマリストがマツダの車に惹かれるのか? 沼畑直樹
ミニマル&イズムの二人は、いずれもモノを減らしたミニマリズム生活のあとに車を購入している。
そして、どちらもなぜかマツダである。
数年前からコンセプトに「引き算の美学」という言葉を使っているマツダ車は、外装と内装において、シンプルでノイズのない美しさを追求している。ただミニマルにするだけなら、他の車も伝統的にチャレンジしているが、シンプリシティだけで成立しないが車のデザインでもある。
だからこそ、ミニマリストとしては「車に引き算のデザイン」は興味深い。
今回、2019年の年末に発売されたばかりのCX-30という車のチーフデザイナーである柳澤亮氏に、沼畑と佐々木の二人が話を伺った。ミニマルな気分を満たしてくれる、不思議な車の謎に迫りたい。
前編 美しい間と脳内がコネクトするクルマのはなし。 文 沼畑直樹
後編 (後日公開予定) 文 佐々木典士
[image error]CX30チーフデザイナー柳澤亮氏
やなぎさわ・りょう 1969年生まれ。91年にマツダ入社。05年に二代目BT-50(ピックアップトラック)のチーフデザイナーとなり、07年からオーストラリアに駐在した。11年に4代目デミオのチーフデザイナー、16年からCX-30のチーフデザイナーに就任した。
前編 美しい間と脳内がコネクトするクルマのはなし。 文 沼畑直樹
平屋の庭に、アートのような車が一台。
その家の持ち主は、「余計なモノを持たない」を信条としていて、断捨離やミニマリズムという言葉が世に出るずっと前から、日本でシンプルな暮らしを続けていた。
庭にはさらに車が8台、9台と停められそうな広さを持つが、何も置かれていない。
禅寺の庭よりも飾り気なく、平屋の佇まいをシンプルを究めている。
簡素で、色なく、小さい。
だからなのか、その一台が映えている。
展覧会のために準備されたかのように、車の佇まいも極まっている。
凜としている。静まり返っている。
その人の暮らしに憧れて、モノを減らしたからなのか、好きなモノを捨てたあとに、車を買った。
前の車を手放してから15年の間、好感を持つことはなかった。特に、インテリアのデザインに共感できなかった。だから、特にインテリアにおいて他の車と違う雰囲気を醸し出していた小さい車を買い、見事に夢中になった。
自由移動という能力を授かり、走る歓びを知り、遠くに出かけては、空の下でまったりと過ごした。
一方、佐々木さんはカブリオレの世界に没入した。赤く美しいフォルムを持つ二人乗りオープンカーで京都や瀬戸内海を流す「路の人(ロード・スタ)」となった。
彼からすると、走る歓びは動物的本能だという。理屈はいらない。
購入から5年が経ち、2019年の11月に車を買い替える。届いたのは12月のはじめ。すると、過ごし方が少し変わった。
たとえば師走、夜明け前の早朝、誰もいない路を走り、車を停める。コーヒーを飲む。
天井の高い開放的でミニマルデザインのコーヒー店でしか気持ち良さを感じないと、焦ることはない。この新しい車なら、ミニマルに整えられた静謐なインテリアが同じ気分にさせてくれる。自分が作ったコーヒーでも、コンビニでもスタバでも、ブルーボトルでも、何でもいい。
どうしてこんな気分になるのかと考えると、不思議でならない。嫌いだった車のインテリアが、2019年になると、心地良いものになっている。
ラグジュアリーだったり、機械的であったり、ポップすぎたりという車世界独特の感性は、今も多くのメーカーに残っているなかで、ミニマルで凜とした佇まい、気配と美しさを持つ外観と内観で人をはっとさせる車が誕生したのだ。
その不思議な車の名は、Mazda CX-30(シーエックス・サーティ)。
[image error]CX-30 マツダが2019年11月に発売した車。Mazda3とともに新世代を担う商品で、CX-30はMazda3に比べて室内空間が広く、オフロード性能も併せ持つ。
車のデザインテーマに「余白」という言葉
2020年現在、国内外問わず多くの車が、「はっきり」としたデザインをする。ボディに明確な線(キャラクターライン)を引き、国産車は特に奇抜な形が好まれる。アピール性の高い装飾やフォルムは、ひと目で「魅力」へと変換されるように緻密な?設計がされている。
そういった車は売りやすいが、その「魅力」の数値は、購入後上昇することはなかったりする。
でも、いい。デザイナーもユーザーもメーカーも、その当たり前の方法に意を唱えたりしない。
飽きたら、乗り換える。「新しい」デザインを心待ちにする。
車に興味がない人は、それを外側からときどき無関心に眺めている。
そんな中で、マツダはこの10年ほど、独自の道を切り開いている。マーケティングにこだわるのをやめ、内側に目を向け、日本的職人気質を大切にし、コンセプトを明確にした結果、気づけば完全なオリジナル、ユニークなメーカーとなった。
たとえば、2019年に発売されたMazda3とCX-30のサイドからの眺めを見ると、ドアの面は複雑な曲面になっている。そこに、まわりの風景が美しく映り込むように徹底した設計がされている。
[image error]
「光の移ろい」と呼ばれるこのデザインは、あのはっきりとしたラインを排除し、シンプルな面で余白を作り、そこに何かが入り込むことで完成するということだ。余白に入るのは光と影、陰翳。そして、ユーザーの想像力。走っているときには見えないが、ドライバーは想像する。古い街並みを走ったらどうだろう。朝陽を受けて走ったらどうだろう。雨の日は…。
これは、あえて100パーセントに装飾をしない茶室の考えと同じだ。客人と無関係な装飾で相手を緊張させることなく、客人の想像力で茶室の美学を完成させる。「飽き」は無縁で、「斬新」とも無縁。人目でわかる美しさではなく、空間と人の精神的な繋がりを大事とする。
CX-30のチーフデザイナー柳澤氏は、CX-30のデザインコンセプトにおいて、「引き算の美学から余白に変わった」と発言している。ミニマリズムや禅の世界で使われるような「余白」が、走る機械である車のデザインに使われるとは、ユニーク以外の何ものでもない。
結果、私の感性に、ぐさりと刺さった。これは、ただの車じゃない。
マツダが「引き算の美学」を使う理由
「我々の目指しているものが、引き算の美学だけで語れるかというと、そうではないんです」と柳澤チーフデザイナーは言う。「根本的には、美しいものを創りたいんです。そのときに、ノイズを捨てていきたい。それで最後に残った純粋なもの、それが創りたい美しいものだと」
2017年に発表したヴィジョン・クーペというコンセプトモデルは、マツダエレガンスというテーマを持ち、その内容は日本古来の美意識を基にした「引き算の美学 Minimalist Aesthetic」だった。日本の工芸品、美術品や建築物がそうであるように、余計なものを削ぎ落とし、艶と凜を際立たせる。
「車は動体なので、シンプルな冷蔵庫のような箱を創るわけにはいかない。寂しい窓のない牢屋のようなものを創りたいわけではなくて、美しいものを創りたいし、美しい空間を創りたい。純粋に磨いて削ぎ落としていくことで、美しいものをどうやって表現するのかということに注力していきたいんです」
CX-30の開発が始まったのは、2016年ごろ。柳澤亮氏がチーフデザイナーに就任し、ヴィジョン・クーペのコンセプトを受けた車創りが始まった。
「2015年のRX-ヴィジョンが最初に世に出た『引き算の美学』のコンセプトなんですが、ヴィジョン・クーペはRXを引き継いだかたちになっています。RXはかたちで表現できたけども、それを十分コミュニケーションする言葉に置き換えられてなかったものが、ヴィジョン・クーペの段階で随分置き換えられて、言葉として発信できるようになったと思います」
[image error]左 RX-VISION 右 VISON COUPE
[image error]ヴィジョン・クーペ
引き算というコンセプトの前には、マツダが昔から大事にしているプロポーションの美しさという根幹がある。
「プロポーションの美しさを本当に表現できているか、これで完璧か、より完成度に近いか、自分たちの中で日々追究しています。車には、四つの車輪で走る動体としての本質的な美しさがあると思うんです。それはたとえば50年代60年代のヨーロッパの車にあり、例をあげるとジャガーやメルセデス、アストンマーチンです。それらの車は、今でも完璧なプロポーションを引き継いで美しい車を創れている。そういった普遍的な美しいプロポーションは壊してはいけない。そのために、余計なものを引き算していく。でも、引き算をしたあとは、ジャガーとアストンマーチンと何が違うのかとなってしまう。そこに、マツダとしての美しさの解釈をもう一つ加える。それが大事なポイントだと思っています。結果、探していくなかで見つけたのが『光の移ろい』で、光と影の移ろいが日本の美に繋がるのではないかと導き出して、徹底的に引き算をしたプロポーションに投影する。これがマツダのデザインであり、日本の美ですよと決めたわけです」
マツダエレガンスには禅や茶道を生んだ東山文化の系譜もあるため、極日本的な趣きを持つ。かといって、わびさびのような世界ではなく、艶や凜という美しさを達成し、海外のユーザーからも「これは日本の美しさだ」「マツダはデザインのマスターピース」と賞賛されるに至っている。
[image error]
車のデザインにシンプリシティを持ち込むのは、新鮮なことではない。ホンダがアメリカに送り込んだ小さな車シビック、フォルクスワーゲンがワーゲンに対して用いた広告手法、レンジローバーという車のリダクショニズムというふうに、「シンプルにする」というアイディアは多くある。
マツダの場合は、単なるシンプルではなく、「美しさのために引く」という方法で、引いた結果美しくならないならば、間違っていると結論する。
ミニマリストが「どうして空っぽの空間にしたいのですか?」という問いを投げかけられれば、「美しいからです」と答えるしかないのと同じだ。どんなに照れくさくても、「美しさ」を求めているのは否定しようがない。
「間を創る」という仕事
「インスタントなものは創りたくないという思いがあります。使っていくうちに慣れ親しんでいくようなもの。それが愛着に繋がっていく」
たしかに、このインタビューの時点でCX-30に乗って一ヶ月だが、すでに慣れ親しみ、精神的な繋がりを感じてきている。
なぜなのかと考えると、この車の空間性がある。
そもそも、動物も人間も、空間に何かを感じる。安心感、美しさ、所有感、空間性、怖さ。よくわからないが、壁と屋根、もしくは自然物の空間に何かを感じるように設計されている。もともと何もなかった外の空間に、建物ができて中に入り、光に溢れているとワクワクするのだ。しかし、その気分は、たくさんの所有物で着飾ることで見えなくなっていく。
同じように、車のインテリアは機械的なスイッチで埋め尽くされることもある(それはそれでかっこいい)が、フォルムで囲まれた純粋な空間を感じるには、余計なものがないほうがいい。
CX-30は、インテリアにおいてヴィジュアル的なノイズを省くという試みをした。フロントガラスの向こう側の風景に集中するためという目的が第一だが、とにかく、ミニマルな空間が完成した。豪華でラグジュアリーなモノはもちろん、マシン的でレーシーなかっこよさも省いたといえる。
一見では、非常にシンプル。これはもしかしたら、走り好きな人に響かないかもしれない(マツダユーザーは走りが好きな人が多いという評判がある)…と不安になるほどだ。
だが、最初に人を選ばない、拒絶しないというのが、このシンプリシティの魅力だ。
モノで飾った部屋と、シンプルでモノが少なく、壁や窓が引き立つような部屋との違いに似ている。
モノを捨てる前の私の部屋は、まさに豪華絢爛。本や雑貨、家具によるセンスいいアピールの場と化していたが、それによって拒絶的な気分になるゲストの気持ちなんて考えていなかった。
モノを捨てたあとの部屋では、「引っ越し前みたい…」と、いい印象を持たれることはなくなったが、1時間もしないうちに、「なんかこの部屋が居心地よくなってきた…」という変化をゲストは何度も体験した。
「部屋のほうから寄り添ってくる」というあるゲストの表現は、この部屋は誰のモノでもなく、あなたのものでもあるという「空間側からのもてなし」を意味している。
CX-30に、私は同じものを感じた。もてなされ、繋がることができる。
[image error]
ここで疑問が沸く。
ミニマリズムの世界や、これからの生き方、スタイルを模索し、いくつかの好きな過ごし方、生き方を持つようになった自分に突き刺さるのは、意図的な開発として行われたことなのか。
空の下でチルアウトしたいと思う、私のような人間をターゲットにしたことなのか。柳澤チーフデザイナーは、「時代に合わせたということはなかった」と素直に答えてくれた。
「インテリアで用いたのは、間という考え方。ヴィジョン・クーペでも表現しているんですが、疎と密という考え方をインテリアで表現していく。そこで、日本家屋のように、日本人が落ち着ける空間があればいいと思ってやってきました。決して日本の社会がそういう方向に進んでいるからというわけではなくて、そういう間を創りたいと思ったからです」
[image error]「間の解釈というのは、Mazda3はドライバーズカーとして、CX-30はよりファミリーカーとして使っていただきたいと思っていて、4人の人がくつろいで、お父さんがスポーティに走るものではない。ゆったりとくつろいで長距離移動を楽しめる空間。日本家屋は動かないですが、それと近い感覚でくつろいでもらえるというのを考えたときに、通じ合うものがあるなと。また、包まれる空間というのを創っている(アッパーインパネの部分からドアの内側にかけて包み込むようなフォルムが形成されている)ので、助手席の前は要素はなくても、空間として創るというのもやっています。若い頃はインテリア担当だったので、空間から考えるというのをずっとやっていました」(柳澤亮)
実は、マツダは数年前からマーケティングにこだわるという姿勢を捨てている。だから、そもそも自分のような層や好みがあることなんて、調べていない。柳澤さんいわく、他社の車にも疎いという。
ただ純粋に、美しい車、世界一の車はなんなのか、車とは何なのかという問いかけを自分たちでして、世間の車の流行を追わず、独自の車を創造し続けているのだ。
私のひとつ前の車も、実は柳澤氏がチーフデザイナーを務めている。インテリア出身の彼だからこそ、白い革シートに赤いファブリックを縫い付けるという、見たことのない空間を作った。他の機械的な車より、その女性的な車を自分が選んだのは、15年間の車のインテリアデザインが本当に嫌いだったからかもしれない(さまざまな個人的な理由がある)。なのに、実際に乗るとスポーティな味付けをインテリアにしたくなった。ステアリングを替えたり、シフトノブを替えたり。今思えば自分から破壊をしていたのだが、素直に寄り添えたかというと、CX-30ほどではなかったのかもしれない。今は、私がCX-30寄りなのか、CX-30が私に寄ってきたのかさえわからないほど、相性の良さを感じる。足りないものも、足したいものもない。
[image error]マツダ4代目デミオ。沼畑が所有していたもの。
朝、人の少ない路を30で走り、川の向こうに登る朝陽を眺める。折り畳み自転車を積んで、眺めのいい路を探して、下ろし、走る。
早々に切り上げて、家に向かう。朝ご飯の時間に遅れてはいけない。
ネイビブルーの包み込むようなインテリアと白のシートの居心地がいい。
走り心地もいい。楽しい。
私の脳内の何かが、この車とシンクロして、コネクトして、操られて、私は理想の朝を過ごしてるのかもしれない。
[image error]私(沼畑)の車のカラーは、外装がグレーとブルー(正式名称はポリメタルグレーメタリック)。内装がネイビーブルーのインパネカラーとグレージュという白とベージュの中間のファブリックシート。先日、この組み合わせが日本流行色協会の主催するオートカラーアウォードグランプリを受賞した。
前編 終わり
January 13, 2020
エンプティ・スペース 013 火の番人 沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年11月
11月、土日は晴れの予報。朝8時からキャンプ道具を車に積み込んで、目を覚ましたばかりの娘と妻の三人で出発する。目的地は東京と富士山を結ぶルートにある、道志川沿いのキャンプ場だ。11月のキャンプは久しぶりで、以前は布団を持ち込みしのいだが、今回はギリギリで寝袋を購入した。家族三人分、一気に荷物が増えた気がする。
それでもこのキャンプをしたかったのは、やはり寒い時期の昼間から焚き火に手をかざすというデイキャンプがいつも楽しいから。
今回は朝から晩まで、ずっと火のまえでまったりと過ごしてみたかった。
目的地までは下道でおよそ2時間。渋滞もなく順調に進むものの、途中の日野あたりで「土砂崩れで通行止め」の電子掲示板を目にする。
調べてみると、まさに目的地の手前が通行止めになっていた。
急遽予定を変更し、通行止めポイントからさらに手前の馴染みのキャンプ場に向かうことになった。
世田谷から出発している友人家族H家は、少し遅れて向かっている。
変更したキャンプ場は、二つの家族にとって、始めてデイキャンプをした場所であり、今もよくデイキャンプをやる場所。今回は新しいキャンプ場にチャレンジするつもりだったので、それぞれ残念な気持ちで向かうことになってしまった。
しかも、到着した馴染みのキャンプ場は10時の段階ですでに満杯だった。なんとか偶然見つけた小さなスペースに車を止め、H家の場所も確保できたが、ほんとうに最後の奇跡のスペース。キャンプブームを甘くみてはいけなかった。
20分ほどでH家も無事到着して、テント設営、火起こしが始まる。実は、この寒い季節に薪はたくさん必要だろうということでH家は二箱分の薪を用意。私は向かいのお隣さんが庭を手入れしているときに出た竹をもらいうけ、備えていた。
竹なんて燃やしたことはないが、お隣さんいわく「よく燃える」そうだ。
そうして始まった火遊び、野遊びだが、竹は実によく燃えた。
上にまっすぐ、細長く炎が伸びていく。動画に撮ったので何度も観ているが、ほんとに笑ってしまうほどよく燃える。
火を眺めるだけ。
それだけで時間がゆっくり過ぎていく。過ぎていくのも忘れる。
H家は持参のポットでお湯を沸かし珈琲を淹れてくれた。
お昼は木炭を入れてカップヌードルのお湯をたっぷり用意して、食後は再び薪で焚き火。
子どもたちは妻らと川で遊びにいったり、周辺で遊びまわるが、気がつけば夕方。
H家の主人と私は常に火のまわりにいて動かず、話したり話さなかったり、ただ火を眺めていた。
火の番人だ。
食事の準備がはじまり、ゆるやかに食べ始め、暗くなって火の見え方も変わってくる。
全員で火を囲んで、笑ったり食べたりしている。
子どもたちがテントに入り始め、また男二人になっても、火を眺めている。
薪や木炭の位置を変え、追加し、空気によってメラメラする揺らめきを見る。
一日中、ただ火の番をしていても、あっという間に夜になる。そんな日常は、ない。
そして気がつくと、まわりの火を囲んでいるのは自分たちだけになっていた。
昼も夜も、空を見上げると、それぞれのサイトから煙が上がっていた。
本来なら煙たがられる煙が上がっていた。
煙を上げられるなんて、ありがたい。ありがとう、キャンプ場。ありがとう、自然。
ガチガチのルールで互いを監視して生き抜く都会や住宅街では、煙なんて犯罪同然。
キャンプ場にもルールはあるけれど、そんな街の暮らしに比べたら、ほぼ100パーセント自由。
まったりとチルアウトしたい。ただそれだけなのに、自分の周辺でどれだけチャンスがあるだろう。
たとえば、家から離れた土地へ行って、昼間はのんびりホテルのテラスやカフェで過ごしたいと思っても、ホテル側はそう思っていない。
どこか観光に出かけるだろうという前提だから、そういうテラスやカフェの設定があまりない。
1泊なら3時にチェックイン、10時アウトだから、日中にホテルで過ごすことはなく、日中は掃除の時間。
日中をホテルで過ごすには2泊から。ヨーロッパにはよくある風景が、なかなかない。
観光目的の旅が日本の旅の前提だから、まったり時間はないのだ。
湖畔に別荘を持っていれば別だけど、ない。
キャンプは違う。観光目的ではない。
まったり目的だ。
目的地のキャンプ場に行き、観光はしない。そこでただゆっくりと椅子に座って過ごす。
火を眺めて過ごす。
湖畔だったら湖眺めて過ごす。
好きなものに囲まれて過ごしていると、本を読もう、ゲームしよう、テレビ観ようと夢中になるところだが、キャンプ場にはそれがない。
人は、街では何もせずに過ごすという気分にさえならない。
だから、キャンプ場と火には、礼を言うしかないのだ。
December 6, 2019
エンプティ・スペース 012 陰翳 沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年8月30日
建て売りの新築を買ったので、リノベーションした前の家のような個性はもうない。
白の壁紙は正直、面白みはない。
ミニマリズムといって満足できたのも、前の家は壁をペンキで白く塗り、煉瓦を貼ったりしていて個性があったから。
壁紙の白い壁は味家なく、グレーの壁紙に変えたいと思うが、買ったばかりなのでそれはもっと先のことにする。
最近は新築でもパステル系の壁紙や、グレー系の壁紙を貼っている家もあるし、マンションなどでも目立ってきた。
注文住宅ならやはり壁は何かしら美しく仕上がっているし、何も置かなくても壁がアート的な主張をしてくれるだろう。
今の家の壁紙に味わいをもたらすには、額縁系のものを飾るしかない。
グレーもしくはパステルカラーでただ塗られたキャンバス。
もしくは、額縁だけで中がないもの。
さてどうしようかと考えていると、夕方になり陽が射し込んできた。
一階から廊下を見上げると、西日が壁を明るく照らしている。
当たらないところは暗く、そのコントラストが目立つ。つまり、
陰影が美しい。
雑誌に出てくるような立派な注文住宅は圧倒的に素晴らしいが、影がもたらす陰影と暗さは、普通のどんな家にも映える。
ただの白い壁紙の家でも、陰影は感じ方次第だ。
北側の水場に行ってみると、小さな窓から光がかすかに伸びて、廊下の壁に陰影を作っている。
それが美しい。
普段、1階の南側の大きな窓のシャッターを開けると、光がさささっと入ってきて、部屋が突然明るくなる。
これが一般的な部屋の「いい状態」であり、シャッターを閉めると小さな窓からの光だけになって、暗い部屋になる。
でも、気持ちを陰翳礼賛に変えてみる。
すると、暗い部屋にわずかに入る弱い光が、美しく見えてくる。
これは、南の窓を開けて、部屋全体、すみずみまで明るくなったときには生まれない。
南東と南西に大きく窓があった吉祥寺の家でもなかなかない暗さだ。
暗くてどんよりして、気持ちが落ちてしまいそうな部屋の明るさのはずなのに、この暗さを讃えようと思っただけで変わってくる。
人の感覚はいかようにもできる。
刺激に慣れさせれば無感覚になっていくし、慣れさせなければ新鮮に感じるようになる。
ミニマルな空間に慣れれば、その良さに気づかなくなるし、マキシマムな空間に慣れれば、その乱雑さをなんとも思わなくなる。
刺激を追究して、どんどん良い物を求めていくのが電化製品やガジェットだが、いろいろなものを遮断させてから始まる出会いはどれも刺激的になる。
暗い部屋の陰影に何かを感じるのは、そういうことだ。
明るさだけを求めると、見えてこない美しい佇まい。
壁紙の前に、最小限の美しさが存在していたのだ。
November 22, 2019
子猫がすべてをなぎ倒す 佐々木典士
積み上げられたタイヤの中で
友人からLINEが入る。ぼくが住んでいるアパートの敷地で、子猫が見つかり、ずっと鳴いているという。日本みたいに、野良猫、野良犬はかたっぱしから捕獲!という感じでは全然ないフィリピン。だからそういう動物はたくさんいて、去勢もされていないから街中でもお腹の大きい犬猫をよく見かける。
その場所に駆けつけると、物置き場の積み上げられたタイヤの中で子猫が鳴き続けている。母親がそこで産んだらしい。物置き場には鍵がかかっていたが、鍵を開けてくれそうな人も不在だったので、金網をよじ登り救出。手元にあった牛乳をペットボトルの底を切って作った容器に入れて飲ませようとするが、飲んでくれずただ鳴いているだけ。
[image error]
母猫はどこへいってしまったのか。とりあえずは、ダンボールに入れ、屋外に置いたままどうにか母親が見つけてくれることを期待する。しかし、間もなく母親が死んでしまっていることがわかった。車の下ですでに死んでいて、車を動かしたときに亡骸を見つけたのだ。母猫のしっぽは特徴的に折れ曲がっていて、それに見覚えのある方が確認してくれた。そのしっぽの特徴は子猫にも受け継がれていて、お腹が大きかった時期から考えても母親に違いない。
すぐに1匹なら飼えるかも、家族と相談するね、という人が名乗り出てくれたので、その結論が出るまではと思い自分の部屋に連れて帰る。屋外では他の猫や動物に襲われてしまうかもしれないからだ。ぼくは自分の家では仕事ができないので、毎日カフェに行っているのだが、通勤しなければいけないわけではないし、今は締め切りのど真ん中というわけでもない。自分が預かるのが客観的に見ていちばんいい。仕方がない。
ものすごいアワアワする
まず、ミルクを飲んでくれないのが問題だ。母親の腐敗状況から考えて、この2日〜3日ほどは何も口にしていない模様。白い方の1匹は、衰弱しているように見える。
ぼくはこういう生き物を飼うのに、向いているというか、全然向いていないというか、見つけるとものすごいアワアワして、あらゆる準備を始めてしまう。今回も街中を走り回り、乳糖抜きの牛乳(普通の牛乳は猫はうまく消化できない)、哺乳瓶、スポイトなどを購入した。
[image error]片付いた部屋も一気に混沌に
しかし人間用の哺乳瓶だと大きすぎ、スポイトでも舌の上に乗せた数滴の牛乳を飲み込んでくれる程度で、母親を探して鳴き続けていた。どうしたら飲んでくれるようになるのか、子猫の育て方をGoogle検索しまくる。
次の日は近くの獣医を見つけ、連れて行く。まだ小さすぎてできることはないということだったが、今のところは健康だということだった。ここで猫用ミルクを売っていたので、それを買う。これがよかった。やはり専用のものは味がよいのか、少しずつミルクを飲んでくれる量が増えていき、弱っていた猫も元気を取り戻していく。小さな手で哺乳瓶に抱きつく猫。本当に愛らしい。
[image error]
先に、名乗り出てくれた人はやっぱり飼えない、ということになった。残る手段はFacebookで呼びかけること。しかし、少しの間だが飼ってみて、3〜4時間おきにミルクをあげる必要があるし普通の人では持て余してしまうのでは思った。プロに任せたほうがいいかもと思いそしてまた検索。街の中でいくつか、捨てられた犬猫、怪我をした犬猫を預かっている団体がある。そのうちの一つにFacebookを通じて連絡を取る。
しかし、返事はない。読んではくれているようだが、無視される。その内に、自分のアパートを管理している人がぼくの部屋をノックした。子猫の鳴き声が聞こえていたのだろう。部屋で動物を飼うのはダメだし、その辺にいる猫に餌をあげることも禁止されている。とりあえず、今は預かってくれそうな団体に連絡を取っているので、2,3日待って欲しいと伝えた。あなたたちも、母親が死んでいるのを見たでしょ! とか、かわいい子猫を彼らの手に載せたりして説得工作し、その場をごまかした。
フィリピンでは、生き物の命がものすごい勢いで明滅している。死んでは生まれ、生まれては次々に死んでいく。日本では隠され、さもなかったことにされているような生き物の死が、その辺にごろんと置かれている。だからある意味でドライというか、自然淘汰だと考えてこういう場合に放っておくことも多いのだろう。(だからこそというかペットを気軽に、たくさん飼っている人も多いのだが)ぼくが連絡を取っている団体が無視するのも、こういう案件にいちいち対応できないということかも、と変に納得してしまった。
少し絶望する。子猫が来てからというもの、仕事はできなかった。ミルクをあげることはできるが、母親を探して鳴いているときは何もしてあげられず、それを聞くことしかできない。このアパートで飼えないし、飼い主が見つからなかったら? ミルクしか飲めない子猫を外に放置することは殺すのと同じことだ。最悪自分が苦しまないように殺すしかないのか? そんな妄想をしてしまう。
子猫がすべてをなぎ倒す
しかし、子猫は迷惑をかけられるだけの存在ではなかった。ある人が、いま争っている各国が団結するためには地球外からエイリアンが襲ってくるとか、隕石が落っこちてくるとかそういう外部から来る緊急事態が必要だと言っているが、本当にそうだと思う。より大きな事態を解決するためには、細々としたことで争っている暇はない。
少し疎遠に感じていた人間関係や場所があったのだが、気まずいとかなんとか言っていられず連絡したり、協力を仰ぐ。子猫は無力な存在だが、自分のしょうもない戸惑いを嵐のようになぎ倒していく。近所の子どもたちも朝晩ぼくのアパートに来て猫をさわりにやってくるようになった。
今思うと、不思議な充実感もあった。自分1人のためだけには、うまく生きられないなぁとよく思うからだ。いつもはどうとでもなれと、弾丸のように飛ばしているバイクも「今自分に何かあったら、誰が子猫にミルクをやる?」とか思ってゆっくり運転したりした。
無駄かどうか人に決められるのか
無駄を排除し、自分のすべきことに集中する。ミニマリズムのキーワードだ。わずらわしい物の管理は減らしたい、それは今も変わらない。しかし、最近は何が無駄で、何が自分のエネルギーになるのか、人間が頭で足し算引き算できるような単純なものではないのではないかという気がしている。人から見たら無駄な雑事が生きがいになっている人だって多いだろう。
基本的に、人間が生きる根源的な意味なんてないと思っている。それは宇宙に漂っている網のようなものだと思う。網の端はどこにも結ばれておらず、ただフワフワと浮かんでいる。根源を探そうと網をいくら辿ってみても、確かな理由は見つからない。そして個人は他の誰かのため、その網を形作る結び目としてのみ、生きる意味を見いだせるのではないだろうか。どちらかというと人を遠ざけがちなぼくですらそう思う。
無駄かどうか頭で考えてしまうと、介護が必要な人は、無駄ということになってしまうかもしれない。子どもを育てるのも、猫を育てるのも自分がやりたいことの効率を落とす行為になってしまうかもしれない。しかし、そこから受け取るものが確かにある。無償で引き受けるボランティアはただの時間とエネルギーの浪費ではない。それで喜んでくれた誰かの笑顔から次へのエネルギーをもらえるのが人間だからだ。
拾う神あらわる
連絡を取った団体からは、しばらくしても返事がないので、別の団体に連絡を取った。すぐに連絡があり、次の日の朝、別の獣医のところで会いましょうということになった。人に預ける前に寄生虫の駆除が必要ということだった。捨てる神あれば拾う神あり。最悪の事態は免れ、本当にほっとする。
次の日の朝、猫をかわいがってくれた人たちとお別れをし、獣医に連れて行く。会ったのはイギリス人の女性クリスティーンと、フィリピン人の男性ロビーというカップル。本当に仕事が早く、なんとすでに預かってくれる人を見つけたという。嬉しさがこみ上げる。見捨てなくてよかった。天国があるなら、この人達全員が天国に行くべきだと思った。
獣医の話では、子猫たちは元気だし、身体もとてもきれいに保たれているのでしっかり母猫が面倒を見ていたんだろうということだった。亡くなった母猫の優しさを思う。
そして猫とお別れ。嵐は過ぎ去り、望んでいたはずの平穏さを取り戻すと、何かが失われてしまったように感じる。バスタオルには猫とミルクの匂いが残っている。猫が寝ているときは起こさないように、音を立てずに行動したりトイレに行っていたのだが、それをしなくていいことが今度は変に感じる。本当に、人間は矛盾した存在だ。
獣医から家に戻り、しばらくベッドで余韻に浸っていると、3匹目の猫を保護したと連絡が入った。この子は別の母親から生まれたのだが、育児放棄されてしまったようだった。
[image error]
現実の筋書きは本当にめちゃくちゃだ、と思いながら先程別れたばかりのクリスティーンに連絡を取った。
November 13, 2019
宮下洋一『安楽死を遂げるまで/安楽死を遂げた日本人』 〜結果に優先する納得〜 佐々木典士
素朴な賛成派だった
ぼくは人生に対する満足感は、人生が終わる時に来るのではないと思っている。(このことは前にもブログで書いた)いままで行ってきたことが、臨終の間際に採点されて、結果「いい人生でした!」と誰かに認められるわけではない。やりたいことを将来にも老後にも後回しにせず、思い切ってやってしまえば人生全体の満足感は想像より早く訪れるのではないか。ぼくは今40歳だが、その満足感を確かに感じている。
そういう考えもあって、ぼくもここぞという時に自然に死ねないようなら安楽死がいいと思っていた。引き際は、他の誰でもない自分が決めるべきで、安楽死賛成!! という感じだったがよく知りもせず、根拠も乏しかったので、こちらの本を手に取った。
こちらの両作は、別々に読んでも構わない形式になっているが、『安楽死を遂げた日本人』(以後第2作)は『安楽死を遂げるまで』(以後第1作)の続編という形になっていて、著者自身の意見も少しずつ変わっていく。
1作目の方は、安楽死が合法またはグレーゾーンのまま認められているスイスやオランダなどの欧米各国、そしてかつて大きな事件となった日本での案件が丁寧に紹介されていて、大まかな状況やキーワードを掴むのに適している。
安楽死にも種類がある
たとえば一口に安楽死といっても、いろいろな種類がある。
(1)積極的安楽死(医師が致死薬を入れた注射を打つなど)
(2)自殺幇助(医師から与えられた致死薬で、患者自身が命を絶つ行為。たとえばスイスの団体「ライフサークル」では、点滴に入った薬を、患者自らがストッパーを開いて血液に入れる。医師はそれを手伝うという役割)
(3)消極的安楽死(延命治療を控えたり中止すること。胃瘻の処置をやめたり、人工呼吸器を外すこと)
(4)セデーション(たとえば残りの命が通常1、2週間に迫ってきた末期癌患者に薬を投与し、耐え難い痛みを鎮静させるとともに人工的に昏睡状態に陥らせ、死に向かわせること)
欧米各国では安楽死が合法化されているという漠然としたイメージでいたが、たとえば、(1)の積極的安楽死はオランダやベルギーでは認められているが、スイスでは行うと犯罪になってしまうという。
安楽死にまつわる言葉においても、その語源や言葉のマイナスイメージを避ける思惑で、下記のようなさまざまな言葉があり、用法にも統一がなされていない。
安楽死/Euthanasia
自殺幇助/Assisted Suicide
自死幇助/Assisted Voluntary death
尊厳死/Death with Dignity
安楽死をするために必要な条件、金額
第1作、第2作とも著者がスイスで実際に行われる自殺幇助の場面に実際に立ち会い、生々しくその場面が描写される。安楽死が容認されている国だといっても当然簡単にはできない。
それが認められるには、
(1)耐えられない痛みがある。
(2)回復の見込みがない。
(3)明確な意思表示ができる。
(4)治療の代替手段がない。
などを患者が満たしている必要がある。この条件は、安楽死を容認する国で概ね共通しているという。しかし、(1)の耐えられない痛み、について精神疾患を含むかどうかなどは各国で割れていてベルギーや、オランダではそれを除外していない。
恋人に振られてしまって辛いとか、漠然と人生つまらないとか、借金で首が回らないというような理由で安楽死は行われない。それらは、時間が立てば回復する可能性があるし、傷を癒やすのに他にも試すべき方法があると考えられるからだ。
安楽死の手続きにも、考えられうる安全策は取られているように感じた。(次に挙げるのは年間80名の自殺幇助が行われているスイスの団体「ライフサークル」の例で、団体や各国の法律により少しずつ違う)
・団体に所属する医師の診断
・団体に所属しない、第三者の医師の診断
・生命倫理分野に強い、弁護士の許可
・医師は薬を提供し、点滴の針を入れるところまではやるが、それ以降は本人の行為となる。(点滴はストッパーで止められていて、それを本人自身が開け放つ)
・自殺幇助の直前には、誓約書を書いたり、口頭での本人の意思確認が改めて行われる。(なぜここにいるのか、この薬が体内に入るとどうなるかがわかっているか? などが問われる)
・その一部始終はビデオで録画される
・警察、検視官がその後到着し、ビデオを確認したり、現場に居合わせた人物などのパスポートを確認する。
などなど。診断の間違いや、本人が意図しないもの、事件性のあるものは排除される考えられた仕組みだと思った。そして料金についても法外というわけでもない。
・外国人の場合は1万スイスフラン(約115万円)
・スイス国籍なら4000スイスフラン(約 46 万円)
外国人は、火葬や遺体搬送などが必要になるため高い。1回につき団体に残るのは、1000スイスフラン(約 11 万5000円)その残った資金は、老人ホームへの寄付金に回している。
営利目的のためにやっているのではない、という金額だと思う。
反対派の意見
著者の宮下さんは、安楽死に対して賛成もしくは反対といった明確な意見を最初から持っていたわけではなく、取材を重ねながら自分の立ち位置を明らかにしようとしていく。安楽死について理解を示しながらも、ときに違和感を持ち、その人がいなければこれらの本自体が成り立たなかったはずの「ライフサークル」の代表である医師プラシックにも、忌憚のない意見をぶつける。またプライシック自身もそういった意見や、反対派にも取材することを望んでいた。
安楽死に反対派の意見としては、
・カソリックなど宗教上の理由で自殺が許容し難いものであること(死は人間ではなく神が司る領域のものである)。
・合法化されてしまうと、医師によって法が乱用されたり、患者の生の可能性が投げやりになる可能性がある。
・たとえ1%の生存率しかなかったり、末期症状でも後に元気になる人もいる
などが挙げられる。
(後述する、無駄/無駄でない、役に立つ/役に立たないという2分法もぼくは強力な反対意見になりうると思う)
などがある。フィリピンにいると、たびたび日本人の自殺率の高さが話題になる。ここはほとんどの人がカソリックなので、自殺は大きな罪だと考えられている。実際に信仰深い人と話していると、こういった宗教上の理由を、理論的でないものと切り捨てることはできないと感じる。
そして第1作での著者の関心は、安楽死の制度自体の是非よりも「死は誰のものか?」というものに移っていくように読める。
安楽死を望む人の特徴
その最初の入り口は、自殺幇助を受けようとする人に特定の傾向があるように見えたから。
・子供がいないことや、家族間で問題を抱えていること
・意思が固い人/自立的な人/いい意味で利己主義的な人
さらに反対派のある人物は、安楽死を望む人たちの特徴を「4W」と表現する。
・White/白人
・Wealthy/裕福であること
・Woriied/心配性
・Well-educated/高学歴
プライシック医師も自身の体験から、この傾向を概ね認めている。白人というのは人種差別的な意味合いではなく、「個」の価値観が尊重される社会に属している人が多いからということのようだ。そして彼らには会社の幹部が多く、人に指示されることを嫌い、また自分の人生を思い通りに生きてきた人物が多い。
そして伝統的な家族感を持つアジア人や黒人はこれまではまずいなかった。(たとえば、今ぼくがいるフィリピンには介護施設は1部の富裕層向けを除いて皆無だそうだ。それは平均寿命が短いことと、大家族主義であり、老いた家族の面倒は家族が見るということがごく当たり前の行為として考えられているからだ)
自分にあてはめても、子供がおらず、なんでも自分で決めたいタイプ。裕福とは言えないまでも、思い通りに人生を生きてきた。安楽死を望む人には、自分の身体の自由が効かなくなったときに、風呂や排泄のまで他人の世話になりたくないという人が多いが、自分も同意見だ。なんでも自分で決めてやりたい、他人に世話になりたくない。なぜ、自分が漠然と安楽死賛成だったのかわかったような気がした。
大切な家族がいても
では、大切な家族がいれば人は安楽死を望まないのか? オランダでは家族の結びつきが強かったある父親が認知症を理由に幇助を受けた。そして第2作の主人公となる、多系統萎縮症を患った小島ミナさん。大脳以外の身体の機能が徐々に失われていく難病で、車に乗ること、食事を作ること、表情を作ること、話すことなどできていたことが一つずつできなくなっていく。いちばん辛いのはいずれ世話をかける人に「ありがとう」という言葉すら言えなくなるということだった。ミナさんに子供はいなかったが、そういった状況でも面倒を快く見てくれる姉妹がおり、四姉妹の結びつきは硬いと言えるものだった。それにも関わらず安楽死を望み、スイス行きを決意する。
ミナさんは人生を「分数」にたとえる。
分母が生きた年数。ミナさんの場合は51歳。分子は人生の濃さ。濃密な人生を送ってきたミナさんは自分の人生の濃さを60ぐらいと表現する。そうして人生の分数は、60/51となり、1よりも多い。つまり充分に満足する人生を送れたということだ。しかし、病気を患ってからは、分子である人生の濃さは変わらないのに、年を取り分母だけが増えていってしまい、人生全体の満足度が下がってしまう。
そしてミナさんはこんな風に言っている。
「これが30歳くらいだったら、あれもやればよかった、これもよかったというふうになって、もっと生きたいという願望が強かったかもしれない。でも正直言って、50年以上生きたから、まあいっか、という心境になるんですよね」
プライシック医師も、患者たちの多くがこれと同じ共通のフレーズを口にすると言う。「私が満足のいく人生を送ってこなかったら、もう少し長生きしようと思うかもしれない」
死は誰のものなのか
そしてここで、「死は誰のものか」という問題が立ち現れてくるように思う。たとえばこんな状況があったとしたらどうだろう。
・病気や精神疾患を患い、食事や移動、排泄など他人の世話になってまで生きたくないと思う本人。
・そんなことは全部自分が引き受け面倒を見るのだから、とにかく生きていてほしいと願う家族や人
こういう状況があったとして、どちらが優先されるべきなのか。ぼくは漠然と死は、自分のものだという認識があったから、前者が優先されるべきだと考えてきた。しかし前者の人間もまた、以前ブログで書いた「無駄/無駄でない」「役に立つ/役に立たない」という2分法に囚われすぎているかもしれない。ミナさんの妹も、自立心旺盛なミナさんに対して「鎧を脱いで、人の助けを借り、何もできない人として過ごすのもいい」と安楽死を考え直してもらうように説得したこともあった。
後者のとにかくなんでもいいから生きていて欲しいということを「家族のエゴ」だと切り捨てる人もいる。しかし少なくとも、解決すべきは自分の人生の満足感だけではないことがこの本を通じてわかった。
日本でも過去に、医師による安楽死が殺人ではないかと話題になった事件があり、1作目でその後が取材されている。当時の日本は、本人への癌告知すら普遍的なものではなく、家族の了承以前の話だったようだ。本人が自分の病状すら理解しておらず、家族もその詳細の過程を知らされず、密室で家族の人生が医師の手によって閉じられる。目の前にある患者の苦痛を和らげたいという、医師の思いは間違いとは言えないかもしれない。しかし、それでは後々に冷静になった家族が疑問を持つこともあるだろう。
この2作を通じて多岐に渡って取材されている安楽死関係の案件でも、こんな風に残される人たちの「納得」がうまく形作れなかったときに禍根を残すことが多いと感じた。
選択ではなく、結果でもなく、納得
ぼくがいつも大事にしているのも「結果」より「納得」ということ。自分のキャリアでもなんでもそうだが、納得は結果に優先すると思っている。結果はダメでも、やり切ったと思えれば清々しく納得できる。
本人はすでに自分の人生に満足していたり、安楽死の他に道がないことに納得している。しかし家族がそれに納得しないということもあるだろう。納得が一致していないと、本人はまだ生きたいのに、家族は安楽死を望むという悲しい事態も起こりうる。
小島ミナさんの安楽死の様子は、NHKスペシャルでも放送された。そこでは、ミナさんと同世代で同じ難病を患い、さらに症状を進行させながらそれでも生きようとする鈴木道代さんの姿が描かれた。本人も家族も生きることを望んでいる。鈴木さんはもはや目をつぶることぐらいでしか自分の意思を示せないが、それでも家族との何気ない会話が楽しいという。本人と家族が選んだ道はミナさんのケースとは違うが、納得が共有されているという点では同じだ。
小島ミナさんの納得の醸成はどうだったか。姉妹たちは安楽死に最初から諸手を挙げて賛成していたわけではないし、ミナさんの面倒を見たいと願っていた。しかしミナさんの気持ちは変わらず、首吊りや服薬など4度の自殺未遂をしてしまう。その過程で少しずつ、納得が進んでいく。安楽死の「抑止力」という効果も見逃せない。鶴見済さんの「完全自殺マニュアル」でも、いざとなったら死ねばいいのだからという諦観が逆説的に生の充実につながるということが大事なポイントだった。安楽死の団体に登録できた患者でも、いざとなったら「安楽死できる」という可能性が現れて初めてもう少し生きてみようと思える人がいるという。
そしてミナさんが辿りついた結論は、不謹慎を承知でとても美しいと感じた。安楽死の最良面は、本人の意思が確認できなければそもそも実行ができないので、死の直前まで残される人とコミュニケーションが取れるということだと思う。安楽死する当日に友人たちとパーティをしたオランダ人もいる。
ミナさんの最後は、姉たちと長年の感謝を伝え合う美しいものだった。自殺では、事前に誰かに知らせては必然的にできなくなってしまう。もしミナさんが何度も試みたそれに成功してしまったとしたなら。自分が知らされていない、見ていないところで行われたものに家族が納得することは難しいのではないだろうか。第1作で描写される安楽死によって残された家族も、他の方法では考えられないほど穏やかにそれを受け止めていると感じた。安楽死に向かう過程で、少しずつ、長いお別れを言えたからではないか。
本を読んで、安楽死全体を、安楽死自体をいい悪いというのは乱暴だという気がした。その中にも祝福されているようなものと、そうでないものがある。納得が大事であるなら、世の中の安楽死反対派の人にも納得してもらう必要があるが、そこまでいくと、課題の設定が大きすぎる気もする。第1作の中で、祖父の安楽死に反対する孫の言葉が出てくる。「こんな死に方には反対だけど、おじいちゃんが決めたんだから仕方がない。嫌だけど、おじいちゃんの意思を尊重するね」いかにこんな成熟を獲得していくか。
少なくとも自分がそれを選ばざるを得ないようなときは、残される大事な人に納得してもらえるよう尽くそうと思う。そして死は唐突に訪れることもある。ぼくは自分の人生に満足していて、何が起ころうとも後悔はない。そのことに大事な人にも納得してもらえるよう、なんでもないときから、折に触れて話をしておく必要があると思った。
宮下洋一『安楽死を遂げるまで』こちらが第1作。安楽死を巡る歴史、争点がまとめられていてよくわかる。そして白眉は実際に安楽死の現場での取材された描写。6言語を操る著者だからこそできた、直接インタビューによる海外取材は価値がある。
[image error]
宮下洋一『安楽死を遂げた日本人』こちらが第2作。主人公、小島ミナさんがスイスに赴くまで。NHKスペシャルを見たという人もぜひ。映像はそれでしか伝えられないものを伝えるが、人の思いを掘り下げるにはやはり文章の力が必要だと思う。
[image error]
November 7, 2019
エンプティ・スペース 011 間の扱い方 沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2019年11月
「空間」という言葉は、「からのま」という意味になるが、「ま」の部分は「間合い」「言葉の間」という感じで使われる。
「間」とはなんだろうと、普段あまり考える人はいないが、「間の取り方」を高度に扱えるのが人間だったり、大人だったりするのだろうと思う。
映画やドラマの台詞には必ず間があり、その間をどうするかは役者次第だ。スピーチやプレゼンでも同じで、ここを焦ると、すぐに聴衆に見抜かれる。
映画では、「間のあいだ」に、観る側はいろんなことを想像する。
台詞の意味、今起きていること、表情から読み取れる感情。
小説では書かれているはずのことを、自ら想像する。
時々、あえてそれを台詞で説明するという挑戦的な作品もあるが、多くの名作は「間」の素晴らしさによって成り立つ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』という映画では、ロバート・デニーロが最後、かつての親友の前で、質問に答えずに黙って相手を見つめるシーンがある。
監督のセルジオ・レオーネの得意な手法であるけれど、ここでただ、カメラは少しずつ彼の顔に寄っていく。
そこにエンリオ・モリコーネの曲が流れると、なぜか泣けてくるのだ。
観ているほうは、いろいろなことを考える。昔、二人が仲良かったころ。裏切られたときの気持ち。二人が愛した女性のこと。相手を許す気持ち、許さない気持ち。
映画では「間」は「闇」でもある。リドリー・スコットの『エイリアン』(1979)と『ブレードランナー』(1982)は、今も観ても映像で想像力が奪われることはない。その理由は、多くの影、闇を作り、怖さを伝えることに成功しているからだ。ここを当時の技術で描いてしまうと、数十年後には古くさく感じてしまう。スターウォーズにはそういう側面があり、若い世代には受け入れがたい映像となっているらしい。
「間」が描く想像力の「余地」によって、体験型の映像ができあがる。ファミリーコンピュータというゲームが登場する前のパーソナルコンピュータによるゲームブームはまさにそれだった。グラフィック能力に限りのある当時は、自分や敵が今のアイコンのようなものでしかなかったのだった。私は小学生で『ブラック・オニキス』というゲームに出会った。クリアしたときの感動は今も忘れられない。シンプルに描かれた3Dダンジョンを往くRPGの元祖だが、今のように全てを描ききっていないので、私が勝手に想像した世界を歩くことができたのだ。
西洋はすべてを固定し、施し、飾ることで美を完成させようとする。曖昧さを嫌い、ストーリーの結末は決まっている。
東洋は間を作ることで体験型にし、想像力の余地も残す。曖昧であり、ストーリーの結末は読者まかせだ。
車の間。
最近、車を買い替えた。再びマツダだが、ミニマリズムのブームから、マツダは車のデザインにその要素を取り入れるようになっている。無駄な要素を取り除き、何かを際立たせる。間を大事にする。
そういった思想によって完成したMazda3とCX30という車は、見事なまでに欧州車と違う場所に立つことになった。
直線的で説明的なフォルクスワーゲンやアウディ。線は無駄なく車の中で完結し、想像力の余地はない。面はまっすぐ平坦で、ドイツらしくプロテスタント的な気持ちよさを持つ。
一方でMazda3のサイドの面はゆるやかに波を打つ。これは、そこに映る風景によって見え方が変わるという狙いがあり、「もしここに置いたらどう映るだろうか」という想像力をかき立てる。
全体のデザインとしても車の外側まで繋がるようなラインで、ダイナミックな動きを想像させる。
観る人によってはつまらなく、観る人によっては感動的だ。
言い換えると、想像力のない人にはつまらない車で、想像力のある人には感動的な車だ。
内装もシンプルで、禅の思想を感じさせるような「空間」を仕上げ、今まで誰も見たことのないような車のインテリアを実現している。Mazda3やCX30の内装を一度見てしまうと、欧州プレミアムの内装はどこか押しつけがましく、古くさく見えてしまう。
ただし、欧州車はそういった100パーセントのデザインによって、「この車に乗ったらこんな暮らしだろう」とか、「朝焼けを見に出かけたい」「スイスの湖畔にあるホテルに」といったイメージを想像させる。そこに蓄積されたノウハウと文化があるため、日本車はまだ太刀打ちできない。日本のプレミアムな文化は京都にあり、多くの日本人が無縁なので、車の開発者にとってもハードルが高いのだ。日本では、都会でお金持ちがプレミアムな文化を持っているわけではない。
「西洋は100パーセント」という考え方も、一方的すぎる。
今はゆるやかに素敵な間を持つ人も増え、シンプルライフも支持されている。
アメリカには一方的で、「余地」を嫌うような選択をする政治家がトップにいるが、それを嫌がる層もたくさんいる。
奥ゆかしく曖昧さを好む日本人の美的感覚は、政治やビジネスの場面で批判されがちだが、最終的に「醜い」を嫌う人々は、その美的感覚を曲げることはなく、ひらりと批判をかわして生きていくだろう。
着飾りすぎず、話しすぎず、買いすぎず、間の取り方を大事に、想像力の余地を残す。決めつけすぎず、決断した選択も絶対的ではない。
部屋が「空間」となったとき、そんな「間」に寄り添った人間になれるのかもしれない。
October 30, 2019
半径5mからの環境学 移動する暮らしについて、荷台夫婦に聞く 佐々木典士
1トントラックの荷台にDIYで作られたキャンパー「ゆんゆん号」。結婚したばかりの夫婦は、荷台を新居に新婚生活を始めることにしました。名付けて「荷台夫婦」。合言葉は、不動産から可動産へ。移動する暮らしの実情と、これからの思いについて聞きました。
【荷台夫婦プロフィール】
●龍本司運 (夫・たつもとしうん)・龍本かおり(妻)。夫の司運さんは京都から沖縄までの無銭旅、中国3000kmの徒歩横断などの旅をへて、モバイルハウス作りへ。エコヴィレッジ、シャロムヒュッテにて、かおりさんと出会う。交際期間ゼロで結婚。
シャロムヒュッテで出会って
──お2人は、2月号で登場してもらった、臼井健二さんが作られたシャロムヒュッテ(現在は イラムカラプテ )で出会われたんですよね。シャロムで実践されている、パーマカルチャーや、農的な暮らしにも元々興味があったんですか?
司運「ぼくは、最初からモバイルハウスを作りたくてシャロムに行ったんです。臼井さんが作っていた「足る足る号」という軽トラキャンパーもありましたし。臼井さんは教えるというよりも、実際にやらせてみて学ばせるというスタイルですけど」
かおり「私は、ずっとセラピストの仕事をしていたんですけど、本当にみんなストレスがあって疲れていたんですよね。もちろん一時的には癒されるんですけど、もっと根本的な暮らしを変えなきゃいけないんじゃないか? それにはもっと身近な範囲でお金も食べ物も循環するような暮らしがヒントになるのではと思い至ったんです」
[image error]総工費15万円という手作りキャンパー。DIY経験もないところから、イチから試行錯誤して作り上げました
──司運さんが、モバイルハウス作りをしたいと思ったきっかけは何でしょう?
司運「ぼくはずっと旅をしていたんですね。お金を手放して、京都から沖縄まで無銭で旅したり、中国3,000キロを歩いて旅したり。でも旅は、自分では生産せずお世話になりっぱなしになることでもあるんですよね。そこから自分の拠点、住まいというものについて意識的になったんです」
ホームシアターで映画
──水やお風呂といった暮らしに必要なものはどうされてるんでしょうか?
かおり「水は湧き水を汲んだり、お風呂は銭湯に入ります。洗濯は基本的にコインランドリーですね」
──食べるものは、どうされてるんですか?
かおり「まな板と包丁とカセットコンロなど基本的な調理器具はあって、冬場はストーブも調理に使っています。ご飯は車の12Vで炊ける炊飯器があるし、保温調理器を使うと、エネルギーをたくさん使わずに煮込むこともできますね」
──冷蔵庫はないですよね。
かおり「食べるものは基本的に野菜や、豆が多くて、冷蔵庫は必要ないですね。野菜は助手席のダッシュボードで干してます。日当たりもいいし、虫もつかないしおすすめですよ(笑)」
司運「スマホ程度なら電気はソーラーパネル発電で足りますし、最近はモバイルプロジェクターを購入して、ホームシアターを楽しんだりしてます」
──ぼくもそんなの持ってない(笑)。すごく充実した暮らしぶりですね。
かおり「困っていることもないし、耐え忍ぶ生活とは全然違います。映画見ながら、ビール飲んだりしてますよ(笑)。」
[image error]車内での料理の様子。玄米、野菜、きのこ類などが中心。保存の効く食材を使って食卓には多彩な料理が並びます
──生活費は月6万ぐらいで済んでいるそうですが、どうやって生きてるんですかとか言われないですか?
司運「ガソリン代に1万、食費に3万。あとは何か買ったり雑費程度で特に節約しているという意識もないんですよね。仕事はnoteに記事を書いたり、各地でワークショップをしたりしてます。動き続けてると人と出会うから、そこで仕事が生まれるんですよね。ぼくが個性を出すことで、個性を持った人と出会うことができて、そこでタッグを組むことができるんです」
[image error]軽トラやピックアップトラックを使った独創性あふれるモバイルハウス。それらが一堂に会した「キャンパーフェス」の様子。
常に変わり続けること
──これからの暮らしで挑戰したいことを教えてください。
司運「モバイルビレッジと呼んでいるんですけど、まずは自分たちの拠点となる場所作りをしたいと思ってます。自分たちが畑をしたりして住みながら、そこにモバイルハウスで旅する人が立ち寄れたり、いずれは作りたい人にとっての工房も兼ねたり、そういう場所を作りたいと思ってますね」
──車はディーゼルだから、天ぷら油で走るようにも改造できるそうですね。
司運「移動費がゼロに近くなるし、さらに捨てられるもので走れるというのが夢がありますよね。ただ故障やメンテナンスは増えるそうですし、天ぷら油を濾過したりする場所が必要なので、そういう意味でも拠点は必要だなと感じています。拠点がありつつも、寒くなったら南に移動したり、そういう暮らしがしたいですね」
──自分の暮らしから何か伝えたいメッセージはありますか?
司運「ぼくたちのような暮らしに続く人がいたらそれはそれで嬉しいんですけど、今の人は、方法論に頼ったり、救われ方をすぐ考えちゃうんですよね。ぼくたちもこのライフスタイルに固執しているわけじゃなくて、常に変わり続けることが大事なのかなって思っています。「荷台夫婦」という肩書も捨てる時が来たら潔く捨てようと思いますね」
──この取材直後に「ゆんゆん号」は事故に合い廃車になることに。宣言通りお2人は肩書を「野良夫婦」と変えました。ゆんゆん号も復活し、子供が生まれてからはそれは「荷台家族」となりました。そして今新たに100万円で購入したログハウスをオフグリッド化、拠点を作るべく新たな試みを始められました。生活を綴ったnoteは こちら。
荷台夫婦おすすめの1冊
「黒板五郎の流儀―「北の国から」エコロジカルライフ」(エフジー武蔵)
[image error]ドラマ『北の国から』で描かれた、廃材や自然素材を使った家造りや、自給自足。ドラマで五郎さんが使った方法を丁寧に紹介した本。DIY精神の宝庫で、手にすると実践したくなります。
September 30, 2019
ビルドの説、暇と退屈の倫理学 佐々木典士
香山哲さんは、ぼくが今最も連載を楽しみにしている漫画家のお1人。連載のひとつに「ビルドの説」がある。(ebook japanでは連載中の「ベルリンうわの空」シリーズが無料で読める)
「ビルド」とは?
香山さんによれば「ビルド」とは、
「自分の快適や充実を、無い場所に作りだすこと」。
[image error]
典型的なのは、引っ越してからの新生活。ぼくはフィリピンで部屋を借りて新しい生活を始めたので、ベッドシーツや、洗い桶や、洗濯物のピンチなど、少しずつ生活用品を買ったりしている。不便で、居心地の悪さを感じるところに徐々に自分の快適を作り出していく。
でも、ビルドは新生活を始めるような大仰なものでなくても良い。
香山さんが挙げている例は、
・お風呂でフライドポテトを食べながら読書をする仕組みを作ること
・2時間ぐらい作業しても大丈夫そうな喫茶店を見つけること
など、誰でも日常生活の中でしていること。
[image error]
ぼくがよく「ビルド」だなーと思うのは、ビジネスホテルに到着して荷解きをしているとき。荷物を開ける場所を選び、貴重品を置く場所を固める。充電できるコンセントを確認する。視覚に入ってくる情報を減らしたいので、マッサージや、食べ放題のビュッフェがどうとかといううるさい広告はまとめて脇へどかす。たった1泊でも、自分の快適な環境を作りあげて、くつろぐ。
「ビルド」する本能
ここで思い出されるのは、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」だ。ものすごく荒っぽく、そして自分なりに紹介すると
・そもそも人は1万年程前までは1年に移動生活をしていた。つまり定住生活は人間の本質ではない。
・新しい環境に引っ越すと、まわりの環境を探索したり、自分の巣たる家を整えたり、快適さを作り上げていく「ビルド」の能力が発揮される。
・その探索したり、ビルドする本能を定住している現代人は充分に使う機会がない。そうすると時間を持て余し、退屈してしまう。
今は空前のキャンプブームらしい。水場やトイレとの動線、風や地面の環境を意識しながら、テントを建てるところを決める。テーブルや椅子を心地よい場所に置く。それは不便さの中に快適さを作りだしていく、人間のビルドする本能を発揮させてくれるから楽しいのではないか。
ポケモンGOやドラクエの位置ゲー、ゼルダのブレスオブザワイルドなどオープンワールドゲームが楽しいのも、未開の地を開拓し、モンスターやアイテムを発見し、地図を埋めていくような行為が、ビルドする能力を擬似的に味わわせてくれるからではないだろうか。
快適さを「維持する」だけでは
[image error]これ以上はもうない、というぐらい快適だった京都の家
大事なのは、快適な生活を「維持する」こと自体は充実感につながらないということだ。例えばぼくがこの間まで住んでいた京都の家。決まった引き出しに、決まったモノが収められていて動線には無駄がない。スーパーや図書館といった仕事場の位置関係は完璧で、習慣づくりに多いに役立ってくれた。それでもぼくは、どうやら1年〜2年で同じ場所に住むことに飽きてしまうようだった。住んでいる街のGoogle Mapが行きたいところリストや、お気に入りの印で埋め尽くされてくると、そろそろ潮時かも知れないと思ったりする。そうして住んだことのない地域にピンを立てたくなってくる。快適さをあえて崩し、再構築していくところに喜びを感じる。
日本に帰国しているときには、香川〜広島〜愛媛を車で旅した。日本の道路事情は素晴らしい。
[image error]「この世界の片隅に」で有名な呉。右の人も左の人も楽しめる気がする。
どこまで行ってもきれいに舗装された道路が続き、山にはトンネルが開けられている。1988年に瀬戸大橋が開通するまでは、ぼくの実家がある四国と本州は基本的に船で渡るしかなかった。明石海峡大橋、しまなみ海道など3つも橋がかかっている今からすると、なんだか想像ができない。
[image error]しまなみ海道。こんなのどうやってビルドするんだよと、労力に気が遠くなりそうになる。
道路や橋のビルドにはとても大きなロマンや達成感が詰まっていたと思う。その達成後の快適さは確かにすごいのだが、誰かのビルドの果実を味わうだけでは、なんだか物足りなさを感じてしまう。こんなに快適でいいのか、と思うのが日本だ。
フィリピンに戻ると、家の前に出る道路が舗装されてしまっていた。ぼくのバイクはオフロードタイプなので、ここを走るのが楽しかったのに。フィリピンの道路はまだ未舗装路が多いので、バイクを走らせるのが本当にスリリングで楽しいのだ。
[image error]少し郊外に出れば、未舗装路を走れて楽しい
その残念さに浸っていたのだが、アルジャジーラでガーナの映像を見た。救急で妊婦を運んだり、物資を運ばなければいけないのに道路が劣悪で、トラックがスタックする。泥をスコップで掻き出しながら、ようやくトラックは這い上がる。ここでは切実に、舗装された道路が必要なんだろう。
快適さは常に求められる。それを目指してビルドをするのが楽しい。しかしその達成後には物足りなさを感じ、快適さを崩したくなる。本当に人は矛盾した存在だと思う。そして大事なのは、自分がどれぐらい快適さに浸るのが好きか、ビルドするのが好きかということを知ること。ビルドするのは人の本能といっても、すべての人が新しい環境に飛び込むのが好きというわけではないだろうし濃淡がある。このあたりはまた次に書きたいと思う。
Fumio Sasaki's Blog
- Fumio Sasaki's profile
- 598 followers
