Fumio Sasaki's Blog, page 7
September 21, 2019
良い映画と良い人生の共通点 佐々木典士
良い映画を見ていると、エンドロールの前に「充分に元は取ったな」と思い、映画館の座席を立ち去ってしまってもいいような感覚に襲われる。
最近では、タランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 」がそういう映画だった。60年代のカルチャーや当時のハリウッドに対する愛情を、細部に渡る作り込みで表現し、それを目の当たりにしていると数十分でもう満足、こんなにしてくれてありがとうという気持ちになってくる。
ぼくが思うのは、人生の満足も映画と同じで、必ずしも最後にやってくるものではないということだ。ミステリー映画なら最後の一瞬まで目が離せないかもしれないが、大抵の人生の脚本はそううまくはできていない。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」もわけのわからない展開が続くが、人生だって似たようなものだ。結末ではなく、ただシーンひとつひとつの強度が仮装大賞の点数のように積み上げられ、一定の水準を超えたら満足感が得られるのではないか?
人生では、多くの人が未来に対して不安を抱いている。20歳前後の人と話しても、老後が不安だと口にする人が多くてびっくりする。老後が不安だということは、寿命が尽きるまできちんと生き延びて初めて満足感は得られないというような発想ではないだろうか。しかしエンドロールまで見なくても、人生に充分満足はできる。
ぼくがそうだ。最近40歳になったが、自分の人生にかなり満足してしまっている。それはやりたいことも思い切ってやってきたし、美味しいものもお腹いっぱい食べ、世界の美しい風景もたくさん見てきた。人生なんてそれぐらいでいいのではないか。感謝することばかりだ。
エンドロールまで見なければ満足できないと思えば、人生は途端に難しくなるだろう。お金もたくさん貯めなければいけない。しかし、やりたいことを後回しにせず、老後の楽しみにも取っておかなければ、寿命が来る前に人生全体に満足してしまうことはそれほど難しくないのではないだろうか?
満足感を先に得られるといいのは、どんどんリスクが取れるようになるということ。賢く堅実に生きようと思えば、バイクなんて乗らない方がいいし、世界一安全な日本を出る必要もない。代わりに危険を賭しての喜びもない。
良くないのは、人生に満足してしまうと、やる気は失われるかもしれない。ぼくはこれ以上有名になりたくもないし、お金持ちになってドヤ顔したいわけでもない。そうして自分は空っぽだなと思うことがたまにあって、子供でもいたらそれも違うのかもと思うことはある。それでも、いつ終わってもいいと思えることは、ぼくの場合は心の安寧につながっている。
ぼくは、これからもどんどんリスクを取っていこうと思う。うまく行けばさらに充実感は増すかもしれず、残りは丸儲けだ。親しい人には何かあっても心配しないでと言っておきたい。どうなろうと、すでに満足しているのだから。そうすると不安はどこかへ行ってしまう。
September 7, 2019
エンプティ・スペース 010 コーヒースタンド 沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年11月
商店街の中に佇んでいた家から、近くにお店がなんにもない住宅街に引っ越した。
家選びのポイントして「スーパーが近い」「コンビニが近い」といった買い物の条件があるが、スーパーは一番近くても2km。
歩いてはさすがに遠いので、車で行っている。コンビニも近くにない。駅もちょっと遠い。
そのかわり、私道で娘はお隣さんのひとつ上の子と遊べるし、知らない人は入ってこない。閉鎖的なところは安心だ。
前の吉祥寺の家は目の前の道を大勢の人が行き交い、土日は大変なことになる。
それが元気をくれたのだけど、近所付き合いはまったくなかった。
今は1階リビングの縁側的なところに椅子を置くと、近所のおばあちゃんたちが集まり談笑していて、子どもの相手をしてくれる。
ただし。コーヒースタンドもしくはカフェがないのは少々残念。
吉祥寺時代はどんどん新しいカフェが生まれて、有り難みも薄れていたほどだ。
ミニマリストの佐々木さんが新しい家に遊びに来たとき、引っ越しのあとは「新しい町の地図作りをするのが楽しい」と言っていた。スーパーやお気に入りのお店を見つけ、自分の好きな通り道を見つけていく。
江戸川乱歩は作家として作品を書いている人生の間に、何度も引っ越しをしたという。
脳科学的にも、引っ越しをすることで神経回路がリセットされ、新しい発想が生まれやすくなるという。しかも、それは年齢が関係ない。いくつになっても引っ越しは脳に刺激を与えてくれるのだ。
私も今、そうして脳回路をリセットして、新しい地図と神経回路を構築中なのだろう。。
そのために、お気に入りのコーヒースタンドは欲しい。
地図で見ると大きな駅にそういうものは集中している。
車を使ってもいいから、近くにないものか。
20代のころ、吉祥寺の東急裏にはタリーズがあった。後に一緒に会社を作るハチくんとは、初めて会った日、そこのテラスでコーヒーを飲んだ。やがてそのタリーズはなくなってしまうのだが、今度は中道通りという自分の家のある通り沿いにスタバができた。近くにコーヒースタンドがあるというのはこんなに便利なものなのかと、ハチくんと二人でよくそこで仕事をした。
しかし、繁盛していたのにも関わらず、数年後に閉店。
変わりに、サードウェーブの波とともに、個人でやるスタンドが中道通りに増えてきた。
奥にある「はらドーナツ」の隣にできたのは、ライトアップコーヒー。その手前にはブラックウェルコーヒー。向かいには老舗とも呼べる珈琲散歩。
最近は富士山の絵を壁に描いた小さなスタンドもできたが、残念ながらすぐに消えてしまった。
自分のマンションの隣にも一軒誕生していた。一度も行ったことはないけれど、繁盛していた。
そんな恵まれた状況なのに、たいていは車で走って武蔵境の南のほうにできたスタバに行っていた。
新しくて心地いいし、車が停められる。
他にもお気に入りが東小金井に何件かあり、そちらにもよく行っていた。
少し家から離れた場所に、行きたくなるのか。
引っ越したあとは、武蔵境のスタバは少し遠くなった。
新しい町にコーヒースタンドはないのか。
地図ではほとんど出てこないのだが、ある日、車で行ける近い場所に1軒、見つけた。
保育園からの帰り道途中に看板があり、小さい路地の奥にある。
今朝、子どもを送った帰りに立ち寄った。
民家の1階を改装し、ダーク系の壁でカフェであることを意識させる作り。
車は1台停められる。
中もシンプルにまとめられていて、カウンターからは中庭が見える。
テイクアウトするつもりだったのに、しばらく店内で過ごしてしまった。
脳内マップに、お洒落なスタンドが一軒追加。
帰りの車中、心で「有り難い…」としみじみ思った。
August 18, 2019
外国としての日本 佐々木典士
フィリピンには1月から合わせて、半年以上いた。こんなに外国に長期間いるのは初めて、すっかりフィリピンの生活に慣れきってしまっていたので、日本に帰ってくると日本が外国として感じられる。
フィリピンからの飛行機が3時間も遅れたので帰りのバスに乗れず、大阪のホテルで一晩過ごすことになった。立ち寄ったセブンイレブンで買った、たまごサンドイッチとツナマヨおにぎり。昨年、韓国に行った時に会った人が「日本のセブンイレブンのたまごサンドイッチが美味しい!!」と言っていたがその時は意味がわからなかった。
しばらくぶりに食べるサンドイッチは、ふわふわでなるほど凄まじくおいしかった。ツナマヨはするするとパッケージが剥けて感動的だ。フィリピンにもセブンイレブンはあるのだが、売っているサンドイッチは全然別物だ。泊まったホテルには、スマホが置いてありなんと自由に持ち歩いても良いという。これはフィリピンではありえない(チェックアウトするときに、部屋を汚してないかとか備品を持ち帰ってないかとか先に確認が必要だったりする)。ピカピカのお風呂の蛇口に、ふかふかのベッド。エアコンは本当はこんなにも静かなのだと感動した。
そして日本のサービスは本当にヤバい。ホテルのフロントや空港職員の対応がいいのはまだわかる。いろいろな手続をするために市役所や、警察に行ったのだがそんなところでもお客様扱いしてくれる。警察に用があったので受付で名前を告げて、担当部署に向かうとなんとドアの前で待っていてくれていた。
フィリピンで日常的に困ることは、ほとんどない。ネットも遅いといってもちゃんと通じるし、携帯もLTEだ。日本と変わらない高級車もたくさん走っている。しかし、これほどまでに人々のサービスに対する意識を高めるためには、何十年の規律訓練が必要だろうか?
到着してすぐは何もかも新鮮に写った日本だったが、食事にもサービスも、そのハイクオリティさのすべてに一週間で慣れてしまった。いつかコンビニのサンドイッチなんて有り難みも何もないものになるだろう。そして丁寧に対応されればされるほど、自分が客として尊大になっていく感覚もあった。
これはどういうわけだろう? 自分が長年日本に暮らしていたのでその感覚にすぐ戻ったということももちろんある。しかし、おそらく初めて日本に来る外国人がこのハイクオリティに慣れるのにもそう長い年月はかからないのではないか。何十年もの月日が必要であろうと思われる達成に、人は一週間で慣れてしまう。そして反対に多少不便な外国での環境だって人は1ヶ月ぐらいですぐに慣れる。
つまり消費者としてはどっちだろうが結局受け入れてしまう。ソフトウェアとしての人間の感性は、ハードとしてのインフラや、製品やサービスのハードウェアの変化を容易に飲み込む。しかし、そのハイクオリティを生み出し、要望に応え続ける労働者が、その魂をすり減らすような作業に慣れることはないだろう。ぼくたちは、ただ分の悪い戦いに挑み続けさせられているのではないか? 思わずトランクスのような台詞が口をつく。「みんないったい何と戦っているんだ?」
フィリピンで会った先生が、日本を訪れた時に感じたこと。それはビルが高くてすごいねでも、テクノロジーが発展していてうらやましいでもなく「なんで日本人はみんな笑ってないの?」だった。身に余るようなサービスと暮らしの品質を受け取りながら、ぼくたちのソフトウェアはどういうわけだか不機嫌なのだ。
August 14, 2019
エンプティ・スペース 009 押し入れがなくなって。 沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年8月30日
引っ越しをして2週間ほど。妻と子どもが数日間、実家に帰ったので、ひとりで過ごしている。
ちょうど仕事が忙しいので、朝5時ごろに目が覚めて、新しくできた仕事部屋に籠もっている。
小さな5畳ほどの部屋の窓際に机を置いて、ノートPCに向かう。
仕事道具も自分の服も、すべて後ろの収納に入っている。
書類等はデジタル化し、写真の仕事のせいで必要な外付けHDが2台、今までに作った本があり、プリンタが1台ある。
前の家では場所が多少ばらついていたけども、今回1カ所に集約されたので、けっこうたくさんあるなと感じている。
1階のリビングはテーブルと椅子を置いたのみ。友人からすると、前より何もない感じがするという。
自分としては、カウンターキッチンにいろいろと出てきてしまったものがあり、何とかしたい。
出てきてしまったものとは、新しい市のゴミの捨て方のパンフレット。
まだ妻も私も慣れていないので、これを出しっ放しにして毎日向き合っているのだ。
お菓子をいれる場所もなくなった。前の家よりもキッチンの収納が減ったせいで、あふれているのだ。
ただし、焦らない。
ゆっくり、その仕舞い方を模索していく。
前の家は小さかったけれども、今思うと収納スペースは結構あった。
押し入れの奥行きはやっぱり凄い。新しい家はクローゼットなので、奥行きが全然ない。
なんとかすべてのモノは入ったけれども、もっとスカスカにしたかった。
2階に部屋は3つあり、ひとつがシアタールーム。妻は将来的にソファを置きたいと考えている。
そこにはロフトがあり、子ども部屋となった。
妻の夢である、子ども部屋らしい子ども部屋をついにという感じで、私は黙ってその成り行きを見つめている。
娘もはじめての部屋だから、どうしていいのかわからないだろうけど、とにかく黙っていよう。
もうひとつは寝室で、ベッドが置いてあるのみ。
そして仕事部屋だが、将来は娘の部屋になる。今は小さな仕事用の机のみ。
ここが、非常に集中力の高まる部屋。窓は西向きなので、夕陽がとにかくきれいに見える。
この町は、市のなかでも外れにあり、災害マップなどで掲載されないほどだ。
見捨てられている。
外からの人もほとんど来ないような立地になっていて、それが気に入った点のひとつ。
夕陽を見るために最初に憧れたのは近所の大沢というエリアだが、そこも外界から遮断されているような場所で、外の人はほとんど入ってこない。
畑も多く、とても東京の吉祥寺近く(おおざっぱに言うと)とは思えない。
私が選んだ町も、そこにどこか似ている。
引っ越しの少し前、真夏の猛烈な暑さの日に、佐々木さんと待ち合わせして古いオープンカーに乗った。
玉川上水という緑の木陰を水がちょろちょろ流れる川があり、それに沿って古いマツダのロードスターを走らせる。
暑くて幌を開けられないのだが、調布にある飛行場のあたりで幌を全開にした。
木陰の下の長い一本道を見つけたからだ。
私の今の町から車ですぐのところにその一本道はある。
長く長く、木陰を作っている。
昨日、夕方にひとり車を出して、近くの別の一本道を初めて走ってみた。
実はこの周辺には、軽いドライブに最適の道がいくつもあったのだ。
その日走った道も非常に美しく、古いロードスターで走った道に負けていない。
吉祥寺のあたりにはまったくない、人気のない長い一本道。
情緒が感じられる、一本道。
仕事部屋の椅子から右上に目をやると、広い空が見える。
最近はずっと曇りだったけれども、今少しだけ青空が顔を出した。
吉祥寺時代と違い、車は家の前にある。
だから少しの暇があると、すぐに車を出したくなる。
木陰と一本道をゆっくり走る、それだけで楽しい。
July 16, 2019
エンプティ・スペース 008 段丘のある公園で過ごす。沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年8月21日
引っ越しをしてすぐ、新居を楽しむ間もなく、山梨県本栖湖でのキャンプがあった。
ミニマリストのパパスさんと毎年恒例になっているキャンプで、娘と私の二人で参加し、テントをはらずに車で寝るという楽しい行事だ。
そのキャンプから帰ってきて、ついにゆったりとした新居の朝を迎える。
その日は、まるで遠出をする日の朝のように、5時ごろ目が覚めた。階段横の小さな窓からみえた朝陽が美しく、廊下がオレンジ色に光っていた。気分が盛り上がった私は、泊まりに来ていた義母と義姉を誘い、娘と4人で朝散歩をすることにした。
外は涼しかった。鳥の声が心地良い。
近くに小さな公園を見つけ、そこでまず朝陽を浴びる。はじめての公園をいろいろ調べているうちに、オレンジ色から普通の色へと太陽の色が変わった。
そのまま、町を囲む大きな公園へと向かう道中、姉が「朝ご飯を公園で食べよう」と言い出した。
日曜日だから、時間はたっぷりある。
家で留守番をしていた妻に連絡し、数分後、妻はサンドウィッチを急ごしらえして、敷物を持ってやってきた。
大きな道を渡ると、目的地である大きな公園。家から歩いて公園に行くのははじめてだが、案外近い。およそ5分。
大きな公園のその隣に、いつも週末に車で来ていた別の大きな公園がある。
その公園は大きすぎて、公園の真ん中が大きな道で分断されている。道の南側が比較的大きく人が多いが、北側は面積が小さく、人が少ない。
目的地はその北側だ。
昔はゴルフ場だったらしく、ゆるやかな段丘のある芝生に、まばらな木々。
その先を眺めると、こんもりとした森が見える。
東京なのに、どうしてこんなに「森感」があるのかというと、隣にはまた広大な大学のキャンパスがあり、一部が環境保護区になっているからだと思う。
大学側は一つ高い段丘になっていて、公園とは坂で繋がっている。
地元ではその坂をハケ(崖)と呼ぶのだが、ハケはどの地域でもたいてい、緑に覆われていて、昔の作家が別荘を建てたりした。
ピクニックをしている場所からそのハケの緑を眺めると、果てしない森のように見える。
その向こうには、きっと無国籍の風景が拡がっている…そんな想像力が湧く。
2006年ごろ(12、3年前)、イギリス中の宿を一人でまわるという取材があり、スコットランドからマンチェスター方面を通ってロンドンに戻る手前、リリングストーン(F1で有名なシルバーストーンサーキットが近い)にある煉瓦作りの宿に泊まった。
まわりは農場で囲まれ、店も何もないので、宿の女主人が時間つぶしに近所の散歩を案内してくれた。
そこはひたすらゆるやかな傾斜を持つ芝生の丘で、さえぎるものが何もない。モネの絵画のように積みわらが影を作り、遙か遠くに宿舎のような建物が見える。
夕陽が眩しい時間で、一ヶ月近い取材がこのリリングストーンで終わろうとしていた。見た目の開放感と、仕事のプレッシャーからの解放感で、本当に幸せを感じた。なだらかな丘はどこかで下がり、また上がったりして、ダイナミックな風景を見せていた。宿の女主人は、「これが当たり前だけどね」という顔をして佇んでいた。いや、日本では富士山近くの朝霧高原でも、こんな風景は見当たらない。自分の生まれた北海道ならまだしも。
公園でもないのに、イギリスにはそういう場所がある。
今、サンドウィッチを食べようとしている、東京の西側にあるこの公園は、開放感レベルをリリングストーンよりは下げながらも、なぜかあの積みわらの風景を思い起こさせる。
完全に平坦ではなく、芝生にもなだらかな傾斜があり、敷物に座ってそれを眺めると遠近感が凄い。東京都心では新宿御苑よりも代々木公園に近いか。
なだらかな傾斜は幸福感に繋がる。
デンマークの首都であるコペンハーゲンには、都市部にフレゼレクスベアガーデンズという名の公園があり、噴水前のゆるやかな丘に人々が思い思いに寝そべり、会話をし、サンドウィッチを食べ…という風景を見ることができる。
そこが平坦だったら、あんなピースフルにはならない。
風景に出会い、眺めていると、そういう風に昔の記憶がフラッシュバックするときがよくある。
この日は、もう一度それがあった。川にまつわる何かだ。
ピクニックのあと、公園内を流れる小さな川を散歩していたときのこと。
草木に囲まれた一帯をちょろちょろと途切れそうに流れる小川。
その美しい川辺に娘がおそるおそる下りていくと、「フラッシュバック」が来た。
それは川辺、水車、緑で構成されたイメージ。
何だろうと考えてみると、トムソーヤのイメージだった。ハックルベリーフィン。
子どものころアニメの中に旅行した、ミシシッピの風景。
そのイメージとの最初の出会いはアニメだけども、その後、実写等でミシシッピの本当の風景が心に刻まれている。おそらく、二人がその支流で遊ぶ、アメリカの夏の風景。
目の前の川幅は1メートルちょっと、心に冒険心が流入してきた。
スタンドバイミー、グーニーズ、リバーランズスルーイットと、時々フラッシュバックするアメリカの映画に出てくる田舎の風景。
それがこの川にあるのだ。
子どもが子どもだけで冒険、探検をしている、夏休みの風景、という感じか。
June 21, 2019
たとえつぶやきがバズっても 佐々木典士
カシューナッツ&カシューフルーツについてのつぶやきがバズった。
今日学んだこと。
— 佐々木典士/Fumio Sasaki (@minimalandism) June 17, 2019
カシューナッツは、カシューフルーツという果物の先っぽにできる。
何…だと…。 pic.twitter.com/oASjryQURZ
これはフィリピンの先生から授業中に雑談で教えてもらった。フィリピン人なら、カシューフルーツはみんな知っているそうだ。
自分の今までのテーマだった、ミニマリズムでも習慣でもないつぶやき。それがありえないスピードで、リツイートやいいねの数が伸びていくのを見るのは楽しかった。ブラジルでもポピュラーなこと、実は渋いがジュースにすると美味しいこと。リプライでいろいろな人が知識をシェアしてくれるのもよかった。日本のテレビのニュースでも放送され、遠く離れたフィリピンの、たわいもない話がそんなことになるとはという感じで面白かった。
5万のいいね、そして2万以上リツイートされたので、400万アカウントのタイムラインに登場したようだ。はっきり言って嬉しい出来事だ。
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しかし。400万の人が見たのに、5万件しかいいねがついていないとも言える。ざっと80人に1人の割合。すでにたくさんの人にいいねがついているものにあえて自分がいいねを押さなくてもいいということもあるかもしれない。
考えてみると、この割合はいつもの自分のつぶやきと同じぐらいの割合だ。現在1万人のフォロワーの方がいて、いいねを押してくれるのはだいたい100人ぐらい。100人に1人。
つまり、どれだけたくさんの人が見てくれたとしても、自分のやったことを評価してくれる人の割合はいつもとたいして変わらない。
なんだか見覚えがある割合だと思った。本を出して、多少名前が世の中に出てから好意を持ってくれる女性が増えたと感じたことがあった。しかし、その割合は以前から変わってないと感じる。好意を持ってくれるのはいつだって100人に1人。増えた気がするのは、ただ自分を知ってくれている母数が増えただけだ。
有名になりたいと思っている人は多いと思うが、何をしたって自分のことを評価してくれる人の割合は対して変わらないのかもしれない。多くの人が自分のことを知っている存在になったとしても、その母体からランダムに100人に抜き出して、評価してくれる人の割合はいつも一緒。おそらく、批判する人の割合も同じだろう。
何をしてもいつも一定の割合なら、評価や批判は脇においといて、やりたいことをやったほうがいいのではないだろうか。
そして、昨日。テレビでこのつぶやきが紹介された。本の宣伝になるかもという淡い期待を頂いて使用の許可をしたのだが「フィリピンに留学中の男性」のつぶやきとして紹介されただけだった。家族にも「テレビで紹介されるよ〜」と伝えていたので、決まりが悪かった。
June 16, 2019
エンプティ・スペース 007 素敵な街の条件。沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年7月12日
20代後半に住んでいた代官山のマンションが無くなった。跡形も無く、ストリートビューにはショベルカーだけが映っていた。
思い出の詰まった建物がなくなるのは、なかなか寂しい。
ストリートビューはそんなことも伝えてくれる。
久しくその街には訪れていないが、ストリートビューでよく歩いた通りを見ていると懐かしくなってきた。マンション前の歩道が素敵で、そこに椅子を置いて涼みたいと何度思ったことか。
ただ、どうしてあの雰囲気が良かったのかと考えてみると、よく自分でわかってはいなかった。でもときどき、他のどこかで見た風景と似ているなと思うことが時々ある。何か懐かしい気持ちになるとき。
その場所、風景とはどこなのか?
よくよく考えてみると、前によく行っていた上海のフランス租界にどことなく似ているなと思った。
あの風景に、何か共通するものがあるはずだ。
そんなことをスカイプで相棒のハチくんに話していると、すぐにその上海の通りの写真を見つけてくれた。
ほどよい幅の片道一車線の道と、路面店が並ぶ風景。そして、街路樹。
これは確かに、私が住んでいた通りの前の風景に、やはり似ている。
何が似ているのかとよく見てみると、街路樹なのかもしれないと思った。街路樹せいで、道が少し涼しそうなのだ。
でも、それだけじゃない。
心が落ち着く、この感覚。
夕方の台北の、ある電気店のまわりの風景。
電灯がつくかつかないかの、薄明時の賑やかさ。
賑やかなのは、仕事終わりの人々が、寂しかった通りに戻ってくるからなのか。
パリのコーランクール通りの坂道。
カーブを描きながら、少しだけ坂になっている。
昼なのにマロニエの描く木陰で暗くて、店のネオンが輝いてたりする。
今はもうないが、九龍城の風景。写真集から伝わる、その賑やかさ。
1階がお店で、上階が住宅という、人が集う雰囲気が懐かしいのか。
パリのコーランクール通りも上階は住宅。パリは基本構造がそうなっている。だからなのか、近所の人たちが繰り広げる生き様は、映画のような風情がある。
と勝手に妄想を繰り広げる。なぜなら、私はこのコーランクール通りを歩いたことがない。ストリートビューが世の中に登場したころから、なぜかこの通りを見つけて、時々眺めていたのだ。
もし私がこの3階に住んでいたら、窓を開けると、夏にはマロニエの葉が目の前をさえぎるだろう。下を覗くと、涼しそうに歩く人々。
特に暑い日の夕方には、涼みに通りに出て、近所の人とくだらない話でもする。
素敵な人生を送る手助けをしてくれる街並みというのは、私の場合、1階がお店で、上階が住宅という作りらしい。
そして、並木が木陰を作ってくれるとなおいい。
ミニマルに考えるとそういうことになる。
代官山の1階と2階は確かにお店だった。隣のアパートの1階の店にはシャツを買いによく行っていた。
街路樹の背は高かった。
当時は気づかなかったけれど、もしかしたら土曜日の朝、妻と駅近くのカフェに行くまでの道のりを涼しくしてくれていたのかもしれない。
May 28, 2019
捨てたけど、買い戻した本。 沼畑直樹
モノを大量に整理したのは2013年から2014年ごろだから、5年ほど経っている。
本はKindleで発売されているものにして、電子化されていないものはあきらめていた。
それが、ふとしたことから、ある本が「帰って」きた。
友人の家で偶然、なくしたと思っていた本を見つけた。
『アルジャーノンに花束を』の英語本だ。
私はその本を返してもらって、また読むことにした。
チャーリーによる英語の日記形式で構成されるこの本は、スペルを間違い、文章構成力も拙い日記から始まる。が、手術によって知能が向上した彼の日記はどんどんレベルアップし、高度な文法を使うようになっていく。
英語の勉強にも抜群なのだ…。
もうすぐ、この傑作の世界に入り浸っていたが、もうすぐ本を閉じなくてはならない。
チャーリーは今、絶好調に頭がいい。ピークだということは、まもなく頭のいい彼とはさよならしなくてはならないということだ。
おそらく20年振りくらいで読み返した本。20年経っても、チャーリーの住んでいるマンハッタンへすぐに飛んで行けた。感謝。
そして今日、二冊の本が届いた。
最後まで捨てるのを躊躇していた本。戦後すぐの東京のルポである『昭和二十年東京地図』の文庫本だ。
つい最近、無性に読みたくなった。だが、電子本は出てなかった。
さっそく、浅草の今戸橋から始まる、この本を読み始めた。
読んだことのない久保田万太郎という作家の作品から、昭和の今戸橋あたりの世界へとひきこむ文章の力強さ。
都市は建物が移り変わり、人が移り変わり、今の風景から読み取れない、昔の人々の営みがある。歴史的に有名なものではなくて、誰も知らない、その町に住んでいた人々の物語。
残念ながら、私はこの本抜きでそれを思い出すことも語ることもできないと、この5年で知ったのかもしれない。
またこの本と付き合っていこう、もう捨てないと誓う。
もう一冊は、はじめて出会うことになる本。
『武蔵野の民話と伝説』で、自分が住んでいる地域の伝説が知りたいのと、子どもに朗読をしたいという理由で購入した。
仕事以外で電子書籍以外の本を購入したのは、この三冊に加えて、あと一冊ある。
去年の夏に引っ越してから、妻の付き合いで本屋をぶらついていた。
何も買うつもりのない私には少々暇な時間だったが、ふとふらついた棚の、平積みにされているところに、ある本が一冊だけ、無造作に置かれているのに気づいた。
誰かが棚から抜いて、置いてしまったのだと思う。
その本は、私がずっと欲しいと思いつつ、手を出さなかった本だった。
星野道夫の、『旅をする木』。
星野道夫という人を知ったのは、まだ実家に住んでいたとき。
17歳。湾岸戦争が勃発し、ソビエト連邦が崩壊した年だ。
自分の部屋の本棚にはびっしりと雑誌がさしこまれていた。
居間で雑誌を読んでいるときに星野道夫のことを知り、この人の本を読みたいなと思って、さあ、部屋に戻ろうと、部屋に戻る。
本棚から、何か雑誌を読もうと思い、適当に抜き取る。
そして、適当にひらく。
そのページが、星野道夫の連載ページだった。
アラスカで写真を撮り続けた彼が連載していた雑誌は、『マザーネイチャーズ』だったような気がする。
カリブーの骨、アラスカの雪をわずかにかぶるコケの写真。「死が当たり前にある」というメッセージ。
部屋に閉じこもり抽象画を描くのではなく、はるかアラスカの地で写真を撮り続けている彼。
その雑誌はひととおり読んではいたけれど、その『イニュイック』という彼の連載には気づいてなかった。
それ以来、彼のファンで居続けたつもりだが、彼がアラスカで熊に襲われて以来、少し距離をとるようになっていた。
『旅をする木』にはいろいろな本にまつわるエピソードがあり、気に入ってはいたが、購入することはなかった。
その本が、電子書籍化せずに、自分の目の前にある。
Kindleじゃないけど、買ってしまおうと決意した。
それからしばらく、その本を開く気がせず、放置してしまった。
が、一ヶ月ほど前から、この本を家族の前で朗読するようになった。
朗読なんてしたことなかったが、6歳の子どもに聞いてほしいと思った。
当然、理解できない部分もあるので、娘からはいつでも質問を受け付けている。
朗読は『銀河鉄道の夜』も加わり、絵本ではない本の世界を親子で体験している。
私が持っていたマザーネイチャーズは、ペンギンが表紙のVol.3(1991年6月)と、カンガルーが表紙のVol.4(1991年12月)。
母なる地球を伝えるための世界各地の写真と文章で構成され、7号しかない。その後は『シンラ』という雑誌へ引き継がれた。
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アルジャーノンに花束を [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス
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May 25, 2019
英語は砂金集め 佐々木典士
英語を学習していると、本当に自分が情けなることがよくある。単語を覚えてもすぐに忘れて、何度も同じ言葉を辞書で引くハメになる。相手の言っている英語がわからなかったり、自分の言いたいことがうまく表現できなかったりすると悲しくなり、自分の能力のなさを呪いたくなる。
大人が英語を習得しづらいのは、母国語が干渉してしまうという問題(たとえばカタカナ英語の発音や和製英語)もあるが、それ以上に「覚えられない」自分が嫌だったり、「わからない」状態がつらかったりするせいだと思う。
たとえば子供が、言語を話はじめるには数千時間も親が話しているのを聞くリスニングの時間がある。そして話始めた子供は、膨大に間違えながら、「なんで?」「なんで?」とおかしな質問をたくさんしながら言葉を覚えていく。「こんなことを聞いたら恥ずかしくないかな」とか「うまく喋れなかったら笑われるかな」という大人のような余計な自意識がない。そして誰かの話がわからない状態が当たり前。だから続けられる。
AIの語学学習
AIも同じだ。Googleの翻訳は、2016年11月からニューラルネットワークという学習の仕組みに切り替わり飛躍的に精度が増した。たまに韓国の読者がGoogle翻訳を使って感想をくれるのだが、ほぼ完璧な日本語となって送られてくる。日本語と韓国語は言語の距離が近く語順も同じだから翻訳の精度が高い。
英語に文章を翻訳するときも、英語の文法を踏まえた日本語(主語や述語の対応関係をはっきりさせる)で書くと、今は相当の精度で返してくれる。このニューラルネットの学習で面白い話を聞いた。現在はAIに文法などのルールは一切教えていない。ただ単に、英語と日本語で同じ意味を表しているであろう文章をとにかく膨大に読み込ませているだけだそうだ。そして、もちろん変な訳を出力したとしてもAIは恥ずかしいなんて思わない。AIの強みはとんでもない数の失敗をしながら、学びを続けられることにある。
人間の脳もAIと同じ
しかし、AIのニューラルネットはもともと人間の脳を模したような学習の仕組みだそうだ。デイヴィッド・イーグルマンのあなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)[image error]“>ディヴッド・イーグルマン『あなたの知らない脳──意識は傍観者である 』
[image error] 『ぼくたちは習慣で、できている。』でも大変お世話になった本。脳や意識といった普段考えずとも過ごせるものについて、改めて考えてみると、こんがらがってとても面白い。ぼくたちは、わけのわからないものでできている。
May 14, 2019
エンプティ・スペース 006 街を離れるミニマリズム沼畑直樹Empty Space Naoki Numahata
2018年6月
ときどき、道の向こうがわに青い山が見える、長い並木道。
車の中から眺める風景が好きだったが、この道ともそろそろお別れしなくてはならない。
引っ越しが決まったのだ。
きっかけは、車である店に行った帰り、立ち寄ったオープンハウス。
「子どもが小学生になる前に、子ども部屋がある部屋に引っ越したい」と妻がずっと言っていたのを、「現実的ではない」としてしりぞけていたが、あまり否定しすぎるのも可愛そうなので、一度物件を見たことがあった。
そのときは東京近郊ながら、里山的雰囲気をたたえ、よく遊びに行っていた広大な緑地帯にある家。
電車のアクセスは最悪ながら、すぐそばには迷ったら出てこれないような森林のフィールドがある。
ただ、二人とも商店街に囲まれた便利な場所から、この静かな住宅街に引っ越すというイメージが湧かず、流れた。
そのときの値段や条件は覚えていたので、オープンハウスで提示されていた金額と条件に驚いた。
吉祥寺近郊なのに、駐車場2台分。
今は、商店街という賑やかな場所に住んでいる代償として、駐車場までが遠い。
それが目の前に置けて、電車のアクセスも悪くない。
あくまでそれは、電柱に貼ってあった広告に書かれている文字でしかなかったが、胸騒ぎがして「行こう」と言った。
妻は「行かなくていいよ。帰ろう」と言ったが、無視して車を進めた。
そのとき心に秘めていたのは、「このささいな決断が人生を変えるのだ」ということ。
自分のクセなのか、運命論者なのか、そういうことをよく考える。
悩んで動くというのではなく、「今この道を曲がった」とかいうようなことが、大きな人生の岐路だったという運命論。
一週間後、そのとき見た物件ではない物件を購入した。
担当者が見せてくれた物件を即決したのだった。
私は吉祥寺の家にいたいと主張していた。
ミニマルで、夕方にはゆっくりたたずめるベランダがあり、街が元気をくれる場所。
この吉祥寺の物件から引っ越すに値する物件とは何なのか。
心動かされたのは、週末にいつも行っていた公園のエリアだったこと。
「野遊び」という言葉にふさわしい、木と芝生だけの野性味あふれる公園。
私が夕方に娘といたいと願っていたエリア。
夕方に、外に佇みたくなる場所。
そういうわけで、慣れ親しみ、愛した吉祥寺を離れる。
駐車場が遠いというのは、だからといって本当に嫌だったわけではない。
「住めば都」という言葉通り、住んでいるときは多くのことが愛着に変わる。
不満を消して、人は生きることができるのだ。
愛着となっていたいくつかの不満は、「引っ越す」「やめる」と決めた瞬間に、「手放せるもの」となる。
解放の瞬間。
そのかわり、新しい家では新しい不満に蓋をする。
4階から1軒家に移るということは、眺望や日照は減るし、ベランダも狭い。
吉祥寺の駅近という賑やかで元気をくれる環境ではなくなる。
でも、新しい変化は、常に心地良い。
すべてを捨てて、また新しい何かが始まるのだ。
この街の素晴らしさも、この家の愛着も、いろいろな不満もすべて、一度リセットする。
遮断、ミニマライズして、もう一度新しい環境で。
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