Fumio Sasaki's Blog, page 23
October 12, 2017
東村アキコ「かくかくしかじか」〜変換される言葉 〜 佐々木典士
最近は、絵を描くことにも興味を持っていて、美大の雰囲気なんかも知りたいな、と何気なく手にとってみた作品。
東村アキコさんが高校生から漫画家になるまでの自伝的なストーリー。
美大に入りたいと思った東村さんが、入試のためデッサンを学ぼうとする。
(美大に入るのは、在学中に漫画家になるという目的のため)
そのために通った故郷宮崎の、海に近い絵画教室。
その教室の先生、日高健三さんとの回想録がメイン。
テーマは自分で決められない
先生はいつもジャージ姿で竹刀を持っていて超スパルタ。女の子もヘタクソ! と容赦なくバシバシ叩かれる。「何を描く」かというのは生徒に決める権限はない。ちびっこが魚の骨を描かされていたり、近所のおじいちゃんは初心者向けのティッシュの箱を延々と描かされていたりする。
「基礎の基礎の立方体描けんと 何描いたってダメや」からだ。
他のものを描きたいと思ってもダメ。
「何回も何十回も同じの描くんじゃ
何も見んでも完璧に描けるようになるまで描くんじゃーーッ」
美大といえば浪人して入るのが当たり前。才能より何よりも積み重ねの物量が必要な世界。東村さんも最初は週5で、入試が間近になると毎日この教室に通うことになる。月謝は月5000円。それでどこまでも面倒を見る先生。
先生はというと、美大には行っていない。
絵を始めたのが29歳と遅く、油絵の作家さんに弟子入りして絵を学んだ。
「毎日朝から晩までデッサン描かされて 同じ石膏像ばかり何百枚も
全部の角度から描いて しまいにゃ真上から描いたり転がして描いたり
袋かぶせたり布巻いたりして でもそれ絶対ムダにならんから」
先生がひたすら「描く」ことにこだわるエピソードでもある。
入試に失敗したときは、高校生なのに先生(お酒飲めない)に居酒屋に連れて行かれる。
「飲め 今日だけ飲んで 明日からまた描くぞ」
描きたいものなんて、なくていい
しかし、東村さんは苦労して入った美大で描けなくなってしまう。
「真っ白なキャンバスに筆をのせた瞬間に 自分の中で小さな不安が生まれる
筆をすべらせるごとにその不安はどんどんどんどん大きくなって この色でいいの?
この線はこの位置でいいの? いやそもそもこのテーマでいいの? これってダサくない? 裸婦にこーゆーお花とか合わせるのダサくない? すると手が止まる。動かなくなる」
本を書いているときにも同じような感覚に陥る。自分が書いた文章があまりに稚拙で、先が思いやられて落ち込む。しかしそれを何度も手直ししていくしかない。
美大生でもたくさんの人が「描きたいものがない」という問題を抱えたりテーマに悩むという。しかし先生は言う。
「描きたいものなんてなくていいんや ただ描けばいいんや 目の前にあるものを
描きたいものなんか探しとるからダメになる 描けなくなる」
東村さんが何も描けなくなったとき、先生は自宅まで乗り込んでくる。
「自画像描け! 余計なことを考えんでいいから見たまんま描け」
自分も同じだ。頭に浮かんだまんまを、文字にして定着させよう。
努力が「ダサい」時代に
ときは90年代で、ファッションはストリート系が流行。音楽も脱力系やゆるいのがイケてる時代。
「やっぱり大学生の頃とか20代の頃とかって 流行っていうか時代の流れもあるとは思うんですが なんとなく「すげー努力したのってちょっとカッコ悪い」みたいのあるじゃないですか 世の中も「スポ根」とかダサいよ みたいなそういう時代だし」
しかし、絵を描くというのはそれとは正反対のような行為なのだ。
「絵を描くということは 木炭にまみれて 絵の具にまみれて ひたすら手を動かして お思い通りにいかなくて 紙の上でもがいてもがいて もがき続けているうちに偶然なのか必然なのか ごくたまに ほんの一本自分が納得いく線が見つかる瞬間がある その一本を少しずつ少しずつ つなげて重ねて ただひたすらそれの繰り返し」
実は漫画家を志していることを、先生にはなかなか言えないでいる。
初めて漫画が掲載されたときにようやく打ち明ける。入賞して賞金ももらったのだ。
「9万!? この落書きでか すごいな そりゃいいわ
いいぞいいぞどんどん描け これで毎月10万くらい稼げ!!
そしたらその金でいくらでも絵描けるぞ!!」
「こっちはこっちでやっていいから 空いた時間で絵描け
絵は毎日描かんとダメや 一日も休むな 描け」
先生はいつだってブレない。
描け 描け 描け
この漫画でも、ほぼ「描け」としか言っていなくて、それが強烈に残る。
「描け 描け 描け」
「描け」はそれぞれ読者の言葉で変換されるだろう。
「弾け」「走れ」「読め」「作れ」
ぼくには先生の言葉が
「書け 書け 書け」
と変換された。それ以外に人に教えられることなんてないのだ。
ヘタクソでも、出来損ないだとしても大きな問題ではない。
それではやめる理由にはならない。
とにかく毎日続けるのだ。
東村アキコ「かくかくしかじか」
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October 11, 2017
血税とクラウドファンディング 佐々木典士
フリーランスになってからというもの、住民税や健康保険などの税はコンビニで払うようにしている。いつだか、しばらく支払いがたまっていたことがあって、30万円ほどを支払った。
……すさまじい痛税感。
会社員時代は、明細を見て「まあ、持ってかれるもんだよね」と仕方なく思っていたが、
自分で払うようにするとその甚大さがわかる。
ちなみに健康保険は今年は月に66000円払っていて、最初は年額かなと五度見しましたよ!
クラウドファンディングの仕組みはすばらしいと思うのだが、
税金や寄付に支払うという行為のハードルは上がってしまったかもしれない。
クラウドファンディングなら、
「あなたの払った2万円のおかげで、この壁を塗ることができましたよ」とわかる。
誰に支払って、何に使われたかわかるので、気持ちよく払える。
税金でもあなたの払った税で、この道路の穴ぼこが埋まりましたよ、とわかればこんなに痛税感はないのにといつも夢想してしまう。
顔の見える相手を応援するために、お金を支払うのは嬉しいことだ。
リターンは、簡単なメッセージだけでいい。自分の払ったお金が確かにどこかで役に立っていると実感できることが嬉しいのだから。
反対に、顔の見えない相手が、ひょっとしたら無駄に使うかもしれないお金を支払うのは辛い。嬉しいか辛いかを決めるのは金額の多寡ではないということだ。
痛税感の効果は……税金の使いみちが前よりも気になる。選挙費用に600億もかかると言われると「よっしゃ選挙行ったらんかい!」という感じになるということかな。
October 10, 2017
焚き火、瞑想、ランニング 佐々木典士
11月から3月の春分の日頃までは寒いと思っているので、
寒い時期のバランスはよくなくて、少々長過ぎるといつも思う。
だけど寒い時期ならではの楽しみもある。
そのひとつが焚き火だ。
直火で何か焼いて食べるのが本当に美味しいというのもあるけれど、
いちばんの楽しみはただ火の移り変わりを眺めていくこと。
いつも働きすぎ、考え過ぎの意識は火を見ると静まってくる。
「空白」を獲得する
村上春樹はランニングについて「空白を獲得するために走っている」と書いていた。
ぼくが瞑想するのも空白を獲得をしようとしているのだと思う。
空白と言っても、瞑想をしたからといって完全な無になることはできない、と「ヨガとシンプルライフ」のみうさんと話をした。
村上春樹はこのことについて「人間の精神は真空を抱え込めるほど強くないし、また一貫してもいない」と表現している。
焚き火を見ても、完全な空白にはならないが、いつもより「余白」が生まれる。頭の中がデフラグされる。
黒沢清の『CURE』では、ライターの火を見た人物は虚ろになってしまう。
火を見ると、普段の自分は少し後ずさりする。
一人で内省することもできるし、火を囲むとうっかり秘密を打ち明けてしまって親密さが増したりもする。
わざわざ走りにでかけたり、瞑想したりしなかった古代人が自然にしていた行為が焚き火なのではないだろうか?
October 8, 2017
走ってする後悔はない 佐々木典士
村上春樹さんの「走ることについて語るときに僕の語ること」という本の中に、オリンピックランナーの瀬古利彦さんにインタビューしたという件がある。
――「 瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、今日はなんか走りたくないな、いやだなあ、家でこのまま寝てたいなあ、と思うようなことってあるんですか?」 と質問した。瀬古 さんは文字通り目をむいた。そして〈 なんちゅう馬鹿な質問をするんだ〉 という声で「当たり前じゃないですか。 そんなのしょっちゅうですよ!」と言った。
――たとえ筋力や運動量やモチベーションのレベルが天と地ほど違っていたとしても、朝早く起きてランニング・シューズ の 紐を結ぶときに、 彼が僕と同じような思いをしたことがあるのかどうかを。そして瀬古さんのそのときの答えは、僕 を心底 ほっとさせてくれた。ああ、やっぱりみんな同じなんだ、と。
この本を書いている時点で、20年以上ほぼ毎日走り続けている村上さんと、オリンピックに出るようなランナーですら今日は走りたくないと思うときがしょっちゅうある。
ぼくも習慣を保つうえで、朝まだ寝ぼけているような状態だと「今日はお休みということにしようかな」とよく思う。「もしかしたら疲れが残っているかもしれないな」と考えたりする。しかし、あまりによく思うので、こういう自分から出てくる意見は無視することにした。
大事なのは、自分で決めた約束を守って後悔することはないといこと。
約束を守れなくて後悔したことは山ほどある。しかし早起きできたあとに「早起きなんてするんじゃなかった」とか、運動したあとに「運動なんてして損した」なんて思ったことは一度もない。
村上さんが質問をしてほっとしたように、ぼくも心底ほっとした。「今日はやりたくない」と思うこと自体はいつだって誰にだってある。その後どうするかは、習慣の技術の積み重ねでどうにかなるものだ。
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」
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トライアスロンや、ウルトラマラソンへの挑戦。
小説家の資質について。本を書くことは肉体労働であるということ。
小説を書こうと思った瞬間や、デビュー時のエピソードなども興味深い。
毎日10km走るという村上さんにならって、ぼくも10kmに距離を伸ばした。
October 7, 2017
結果は目的ではない 佐々木典士
ある朝体重計に乗ると、前日よりも体重が0.8kgも増えていた。
それでも悲壮感はなかった。
今は体重を目安にしていないこともある。
前日は8km走り、夕食を軽めにしていた。
だから一瞬「バカな……」とも思ったのだが、やるべきことをやり、やるべきでないことはやらなかった結果なのだからすがすがしい。
同じ結果が出たとしても、思い当たる節がありまくりではこうは思えなかったと思う。
スーパースターだったわけでも、最後に最高の成績で終えられたわけでもないスポーツ選手が引退するにあたって「悔いはない」という言葉を発するのをたびたび見てきたように思うが、本当にそうなのだろうと思う。
結果はどうでもいいわけではない。しかし結果はすべてではない。
結果は目的ではない。
人生の最後にヒーローインタビューされるとして、
「……まぁ、そうですね、大体は満足してます。誘惑も多かったですし、息抜きが多かったかなとは思いますけど。もうちょっと評価されてもよかったかな?」などと言いたくない。
やり切ったと思える1日を重ねた先に、やり切ったと思える人生があるのではないだろうか。
October 6, 2017
山下陽光「バイトやめる学校」〜転がっている才能〜 佐々木典士
「バイトやめる学校」の著者である山下陽光さんのことは、確か坂口恭平さんの「ズームイン、服!」で知ったように思う。
山下さんがやっている「途中でやめる」というブランド。
特徴的なのは「手作りで1点ものなのに、すごく安い」ということ。
古着や布のリメイクだが、今サイトを見ても1万円を超える服がなく数千円のものばかり。
アップされるとすぐに売り切れるほど人気で、そうすると値段は上げるのが普通だろうが、値段も上げず儲けもださない。
・6800円のワンピースを取引先で売れたときの利益は800円にしかならないが、それは工賃として1着2000円払っているから。
・消費税が8%に上がったときには18%値下げした。
・自分の時給を8000円にしたり、1日10万円稼ぐことも可能だがやらない。
・夫婦合わせて月収は20万円を超えないようにする。(服のモデルは奥様が担当)
など、徹底している。
「値付け」がクリエイティブ
普通は売るものを高くし、雇っている人には安く払い、利益を出そうとする。
しかし「途中でやめる」では安いものを売っているが、雇っている人には高いお金を払う。なぜかといえば、そのほうがおもしろいから。「人が食える状態を生み出すことが楽しい」から。
今クリエイティブの穴場は「値付け」だと山下さんは言う。
山下さんは「新しい骨董」というプロジェクトも立ち上げていて、そこで売られているのは街で拾われた、ひしゃげた空き缶350円や、葉っぱ350円。金継ぎされた納豆のパック2500円なんていうのもある。
買うのを遊ぶ
誰が買うのかと思うが、しっかり売れている。
どうしてかと考えるとそれはお客さんが「買うのを遊んでいる」から。
「買うのを遊ぶ」という感覚はよくわかる。
前述の坂口恭平さんのウェブショップでも娘のアオちゃんが作っているアルバムや皿が売られていて、アルバムはぼくも買った。作品もよかったが、アオちゃんが手書きで書いた宛名で送られてきたりして、それ以上の体験を買ったような感じだった。
知り合いがやっているクラウドファンディング、応援したい作家さんのBASE、友人がナリワイでやっている果物など、顔が見える相手にお金が直接支払えるとき、自分が単に「買った」以上のものを手にしていると思える。
お金は楽しさの一指標
山下さんはマーケティングではなく、1対1が大事な時代だと言っていて、手紙の重要性にもふれている。手紙というのは、大勢ではなく誰か1人を想定してカスタマイズされたものだからだ。「バイトやめる学校」の本自体もわざわざぼくが住んでいる住所のことに一言書かれて、送られてきた。
すごく手間だろう。でも山下さんが目指しているのは
「最大の労力で、最小の稼ぎしか得られないもの」なのだ。
そうすると「資本主義の人たちが一切寄ってこない」。儲からないから誰も真似をしない。だから巨大な資本にパクられたりもせず、オリジナリティは保たれる。
だから楽しい。自分の仕事で「人が食える楽しさ」もあるし、作る側も、お金を払う側も楽しい、幸せな経済圏が生まれる。どういうわけか、人は楽しさのすべての指標をお金に預けてしまいがちだが、お金は楽しさの指標の一部分にすぎないとぼくは思う。
自分の才能の見分け方
どうせ仕事するなら自分が好きなことで楽しいものにしたい。つまらないバイトはやめたい。しかし、音楽が好き、服が好き、というだけでは「好きのセンスが悪い」。
音楽や、服はみんなが好きだし、そこから簡単に想定されるような仕事はやりたい人はごまんといて、ライバルも多い。
仕事というのは、人が嫌がることを代わりにやってお金をもらえるもの。
「人はめっちゃ嫌がるけど、自分はそんなに嫌じゃないよってものがあったら大事にしてください」と山下さんは言う。
任天堂の前岩田社長も同じようなことを言っていた。
「自分の長所を見つけるには、自分が楽にできることを探すこと。自分の労力の割に周りの人がすごくありがたがってくれたり,喜んでくれたりすることがその人の得意なことだ」と。
自分にとっては苦ではないが、人から見るととてもやっかいで、できたら誰かにやって欲しいもの。それがおそらく才能であり仕事になる。
音楽で食べていく。ということはミュージシャンになって、ライブでスポットライトを浴びるということだけではない。パイは限られていて誰もがそれを目指すのは難しい。だからと言って好きなことをあきらめなくてもいい。
好きなことだからといって需要がなさすぎることを始めるのも無謀だ。好きなことを続けながらその周辺で、人が嫌がっていて、自分が苦労なくできることを探す。
才能は天から大仰に与えられるようなものではなく、地味にその辺に転がっているものだとぼくは思っている。
バイトをやめたい人だけでなく、すでに自分の職業がある人にも、とても参考になる本だと思う。
山下陽光「バイトやめる学校」
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本筋以外の、世の中への見方も輝くようなアイデアにあふれている。
読み終わったらメルカリで売ることを推奨しているのもおもしろい。
October 5, 2017
月のチューニング 佐々木典士
池袋にあるオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」が大好きだが、
空が広い京都の田舎に来てから、かなりの頻度で月を眺めるようになった。
昨日は十六夜だと沼畑さんから教えてもらったので、双眼鏡で覗き込む。
目の前の庭に、小鳥が毎日来るのでそれをウォッチしようと双眼鏡を買ったのだった。
朝食を食べたりしながら、双眼鏡でハクセキレイが尾を振っているのを楽しんで見ていたりする。
小鳥のために買った倍率8倍の双眼鏡だが、ある日試しに月を見てみると想像以上に細かい部分まで見えることがわかった。
クレーターや黒い部分(月の海)、表面のテクスチャーが肉眼とはぜんぜん違って見えて楽しい。三日月がどういう陰影のグラデーションでそう見えているのか、確認したりするのも楽しい。
昨日は薄曇りのなかに、本当にまん丸な月が浮かんでいて素晴らしかった。
双眼鏡で覗くと、遠いところで光っている物体ではなく、そこに確かに「違う星が存在する」という実感が増す。
すると客観的な視点が生まれてくる。自分が今いる地球を意識しはじめる。こっちの側でもちゃんとやりますからね、という気になってくる。
以前友人が、理不尽な理由で上司に説教されている最中、怒られている上司のデスクから視点をすぅーと上にあげていき、街の視点にし、都道府県の視点にし、日本そして、地球を外から眺めているような感覚にするのだと言っていた。目の前のことを万事だと思いがちだが、そうすると「ものすごくちっぽけなことに思える」と言っていた。
月を眺めるのが好きだが、そうするといつもとは違う大きな視点になるから。
またすぐにささいなことが気になる日常の視点に戻ってしまう。
狂ってしまった視点は、月を眺めることで定期的にチューニングするのだ。
ぼくが使っている双眼鏡はこのNIKONのブラック。明るく軽く、コンパクトで簡単。金属の質感もとてもいい。
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もっと手頃なペンタックスのこれも評判がよくて、迷った。
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October 4, 2017
筋トレと親切 佐々木典士
車を買ってからというもの、車に乗っているか、走っているかになった。
昨日はひさびさに京都の中心部に出たので、歩く。
すると自分でも驚くほど、しっかり歩けるし速く歩ける。
ドラゴンボールで、修行の重い甲羅を外した悟空とクリリンのような感じだ。身体が軽い。
歩くのが遅い人は、うつ症状、身体機能、認知機能の低下などさまざまなリスクがあると言われるが、当たり前かもしれない。運動していれば自然と速く歩けるようになる。
体を鍛えはじめると、日常は本当に楽になる。
階段の負荷なんて、ほとんどゼロですっと体を持ち上げられるので、混んでいるエスカレーターをわざわざ選ぶ必要はない。息も切れない。
電車で立っていることになんの負荷も感じないので、座れなくてもなんとも思わない。(本を読むときは座りたい)
ジムに行き始めてからいつも思うのは、
「誰にも頼まれていないのに、お金を払ってわざわざ重いものを持ち上げに行っているのだから、普段誰かの荷物を持ってあげることなんてなんでもない」ということだ。
体力があれば、席を譲ったり、こういう「親切のハードル」も下がる。
いつかジムのランニングマシンや、ウェイトのマシンで発電とかできればいいのに……。
以前、ヨガや瞑想についても同じようなことを書いたが、
30分や1時間の運動で、残りの23時間が変わっていくのなら、悪くない時間の配分だと思う。
October 3, 2017
習慣の難易度と充実感 佐々木典士
朝5:30に起きるのも、筋トレして7km走るのも、ブログを書き、英語を勉強したりするのもすっかり毎日の習慣になった。
今の自分がしているのはかつて「こんな風に生活したい」と思っていた通りの生活だ。
しかし、習慣が簡単にできるようになってくると「手応え」が薄くなってくる。
心理学者のチクセントミハイが研究した、人が何かに夢中になり、充実感を感じるという「フロー」という状態。それが起こるのは、自分にとって適切な難易度のものに挑戦しているときだという。ストレスになるほど難しくはなく、手応えがないほど簡単ではないもの。
難易度をあげる合図
ジムのインストラクターに、いつウェイトを上げればいいのか質問してみたことがあるが、答えは「簡単に持ち上げられるようになったとき」ということだった。
難易度の設定はなかなか難しく、厳しすぎると「ただ辛いもの」として認識して続かないし、簡単すぎても成長の喜びがない。だから以前は難しかったはずのものに手応えを感じなくなるのが、難易度をあげるべき合図だ。
たとえば一流のアスリートなど、自分から見れば想像を絶するような習慣もまた、こうやって難易度を少しずつ上げ続けていった果てにあるのだと思う。
失敗のしようがない目標
スティーヴン・ガイズの「小さな習慣」という本では何かを始めるときに「バカバカしいほど目標を下げる」ということを提案している。たとえば運動をはじめたいと思えば「腕立て伏せ1回」からのスタート。失敗しようがなく簡単にできるが、まったく運動をしていない人にとってはそれだけでも充実感がある。
そして何より難しいのは「始めること」なので、最初の1回を達成してしまえば、ついでに2、3回やろうかなと勝手に思えてくるものだ。
大切なのは、手応えは難易度によって大きな違いがないということ。はじめたばかりの人がする簡単に見えることと、玄人がやっている難易度の高そうなこと、どちらも本人の充実感はほとんど同じだと思う。だから臆せず始めるのがいい。
スティーヴン・ガイズ 『小さな習慣』
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腕立て伏せ以外にももっといろいろな習慣を紹介してほしかったが、
「バカバカしいほどに小さな目標」という考え方は参考になる。
October 2, 2017
電気自動車の本当の話をしよう!! 佐々木典士
新聞を読んでいると、ここのところEV(電気自動車)関連の話題がとても多い。
フランスは2040年までにガソリン車とディーゼル車の販売を禁止。イギリスも追随している。
中国は来年から自動車メーカーごとに一定数の新エネルギー車(EV/PHEV)の販売を義務づける。
メーカーのほうでも、ボルボは2019年以降、すべての車をEVかハイブリッドにする。
VWも2025年までに30種類のEVを発売する。
ぼくが乗っているのは、三菱のミニキャブミーブトラックという、軽トラの電気自動車。(航続距離はJC08モードで104km)。
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10月2日にはJC08モードで400kmの航続距離という、新型リーフが発売開始になった。
電気自動車に乗っている人は日本ではまだまだ少ない。2016年のシェアはたった0.1%だそう。(ちなみにノルウェーでのシェアは17.5%)。ぼくが電気自動車に乗りはじめて、4ヶ月が経った。だから今ならではの実感を書いておこう。
電気自動車を選ぶメリット
①排出ガスがない
ガソリン車が排出する二酸化炭素も、窒素酸化物もPM2.5も出ない。
自分が走っているときに手元からそういうものが出ていないというのは気分がいいものだ。
しかし、当然ながら電気が作られる川上の方法を含めて見なければいけない。
電気が作られるときに大量の二酸化炭素が排出されていては、いくら自分の手元から排出ガスが出ていなくても意味がないからだ。
電気自動車を選んだきっかけのひとつは、たとえばドイツなど、国によっては太陽光発電が今コストの面で優れており、環境面への配慮ではなく、経済的な理由としてそれを選ぶ合理性があると大学の先生にデータを見せてもらったから。
太陽光パネルをたくさん載せて、そのエネルギーだけで電気自動車を走らせようという実験をしている人もいる。どうせなら未来に1票を投じたい。
②ランニングコストが安い
電気自動車は燃費ではなく「電費」という。これにはいろんな計算があってややこしいが、(たとえば自宅充電する場合、夜に使うと安いプランを使っているかどうかなど)今は燃費のいいハイブリッド車などとくらべて計算しても、少し安いという感じ。(ぼくは電気代が家賃に含まれているのでタダ)
街中にある急速充電器を使うときにも、いろいろなプランがある。日産には月額2000円で急速充電器が使い放題というプランがあるので、旅するときにはとても魅力的だ。
ガソリン車に比べて部品が少ないので車検も安いそう。ダイソンなど他業種が電気自動車に参入しやすいのもこの辺の理由がある。オイル交換もない。
③静か
ぼくの車の場合でも速度が15km以内はスピーカーからあえて音が出るようになっている。そうしないと、まわりの人が気づかないほど静かなのだ。
ペラペラの軽トラなので、静かなのはとってもありがたく、快適だ。音楽を聞く人にもメリットがあるそう。もちろん「吠えろ、俺のトリプルローター!!」「官能的なエキゾーストノートが……」という人には物足りないのかも。
④加速がすごい
実はいちばんのメリットはこれかもしれない。ぼくの車も60kmぐらいまでの加速がすごい。交差点で一緒にスタートした車も「バ、バカな…あんな軽トラにぶっちぎられるなんて」という感じになっていると思う。ちなみに最高速度はどんなに踏んでも警察のお世話にはならないくらい。
モーターの特性上、回転しはじめから最大トルクが出る。ぼくの車もトルクで言えばガソリン車の排気量2L(198N・m)に相当するので、加速がすごいのだ。
リーフがかつてのスポーツカー180SXとゼロヨン対決するという動画もある。
電気自動車のデメリット
高速道路に充電器が、少ないっ!!
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これに尽きる。
まず一般道路では現状問題がない。ガソリンスタンドの数は3万。普通充電は1万5000。急速充電は7000。上記のシェアから言っても数は少なくない。ディーラーにはあるし、ファミリーマートで充電器があるところも増えてきた。充電待ちがあっても、別のところにすぐいけるような距離に大抵はある。
充電器の場所はアプリで検索しているのだが、たとえば京都周辺で見てもこれだけある。
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充電計画を立てて、道の駅に寄ったり、ディーラーで世間話をしたりするのも楽しい。
しかし、高速道路に関しては、何か悪意があるのではと思うほど少ない。
SAによっては、ないところもある。上りにはあるが、下りにはないということもある。大きなPAでも充電器が一台だけあって、次の人が待つスペースすらないこともある。
確かに今は前述のように電気自動車の数自体が少ないので、長い距離を走っても充電待ちに遭遇することはほとんどなかった。しかし、充電器が一台しかなければいざ待つとなれば最大で30分待つことになるし、自分の充電と合わせると1時間……。
EVは充電時間に休むことになるので、普通の運転よりも疲れにくいと聞いたことがある。ぼくも時間だけはあるし、のんびり行きましょ、ということで電気自動車を選んだが少々休みすぎだ……。
航続距離の長い、新しいリーフなら現状でほぼ困ることはないのではないだろうか? しかしこれが人気でたくさん売れると……と今後の高速道路事情が不安になってくる。
Q&A
充電設備はどうしてるの?
200Vの専用設備を自宅に作る場合も、街の電気屋さんに安く頼めば、機材合わせて工事は数万円で済むとのこと。ぼくは普通の100Vで充電できるケーブルを使っていて、ゼロから満充電まで14時間かかるが、全然困っていない。
ガソリンスタンドが減ってきている離島なんかでは、家で充電できるというのはメリットだと思う。
電池が劣化するんでしょ?
先代のリーフでは徐々に容量が減っていくそうだし、徐々に自分の車が劣化していくというのは、残念な点だ。電池の交換にも結構なお金がかかるらしい。ぼくの車に搭載されているのは東芝のSCiBという電池で、ほぼ劣化しない電池と言われている。容量は少ないけど。実際に乗っていても劣化は感じない。
現状の結論
現状では、家に充電設備が作れるなら旧型のリーフでも、どの電気自動車でも、実用的に車を考えるひとにとっては最高のセカンドカーだと思う。ミニキャブミーブトラックも近所を走る軽トラとしては、トルクもあるし最高だと思うんだけど、なんと1000台しか売れなかった。
家族で遠出をする可能性も含めてファーストカーなら、新型リーフはとても魅力的に思える。売れすぎてもいいように、ぜひ高速道路上の充電器の充実を!!
「軽トラの本」
余計な要素が削ぎ落とされたミニマリズムとしての軽トラとは?
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「軽トラックパーフェクトマニュアル」
奥深き、軽トラDIYへの入り口
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