Fumio Sasaki's Blog, page 17
March 5, 2018
「戦略的二度寝」 佐々木典士
編集者時代に、本当に追い詰められたときはこんな働き方をしていた。
11:00に出社したら18:00まで働く。
そして家に一旦帰り、1時間ほど寝る。また出社し
20:00から03:00まで働く。
これで7時間+7時間の仕事ができる。
途中で寝るので、疲れや眠さもある程度防げる。
合言葉は「1日を2度生きる!!」
もうやりたくないし、世間のニュースなどは一切わからなくなってくる。
今は、朝を2回生きている。
朝は頭がすっきりし、1日の時間が経過するごとに増えていく雑事もあまりない。
いちばんクリエイティブな時間だと思う。起きたてのぼんやり感をうまく創造に結びつけているひともいる。
ぼくが起きるのは05:30。
図書館に出社するのは09:30で、それまでヨガしたり、ブログ書いたり、英語を話したりしていると少々疲れも出てくる。そこで最近は、図書館に行く前にもう一度寝ている。タイマーをかけてきっかり15分寝る。
これを「戦略的二度寝」と呼んでいる。
これがいいのは、もちろんすごくすっきりするので、図書館でのメインの仕事がはかどるということ。そして、一度目起きるとき多少眠くても「あとで二度寝できるし!」と思えて踏ん張りがきく。うまく眠れないときがあっても、この二度寝でかなり回復する。
15分はそれ以上寝たいとも思わず、すっきり起きれる単位のようで昼寝のときも一緒。
『天才たちの日課[image error]』を読んでいたら、アメリカの小説家ニコルソン・ベイカーが同じようなことをやっていた。
最近では、一日に朝を二回、ひねり出すわざを開発した。「僕の標準的な一日は、午前四時 から四 時半に起きて、少し書く。コーヒーをいれるときもあれば、いれないときもある。 一時間半ほど書いたら、すごく眠くなってくるので、もう一回寝て八時半ごろに起きる」。 二度目に起きたあとは、妻と話しながらまたコーヒーを飲んで、ピーナッツバター& ジャムサンドを食べて、また執筆に戻る。
最近ではパワーナップなんて呼ばれたりするけど昼寝や短い睡眠は本当に重要だと思う。頭のすっきりさが全然違うし意志力も回復する。
万が一ぼくが会社を作ることになったらまず第一に「おひるねルームをどうやって確保するか」を最優先にする!! と二度寝した後の頭で考えたりしている。
メイソン・カリー『天才たちの日課』
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カフカ、アガサ・クリスティー、ピカソ、村上春樹、ダーウィン、ショパンなど161人の偉人、天才たちがどんな生活や仕事のスタイルを取っていたのかがわかってとてもおもしろい。ひとりひとりはとてもコンパクトにまとめられていて読みやすい。
ほとんどの人が朝型。そして昼寝と散歩をしている人がこんなに多いとは。作家や芸術家でもインスピレーションを信じていない人も多く、毎日ちゃんと決まった時間仕事をするのが大事だと。我が意を得たり! と思った本。
March 3, 2018
寝る前をつまらなくする 佐々木典士
寝る時間が段々遅くなるのは
「その日を諦めきれない」
からだと思う。
仕事や勉強に忙しい人なら、夜は自分が好きな娯楽を楽しみたい。
海外ドラマや映画、ミステリー小説、スマホのパズルゲーム。
手に汗握り、続きが気になってしまうもの。やめどきがわからないような中毒性のあるもの。
それはもちろんいいのだけど、寝る直前まで
ものすごくおもしろいものに接してしまうと、
「あと10分だけ」「切りのいいとこまで終わったら」
を延々繰り返してしまう。そうして寝る時間はずれ込んでいく。
最近ぼくがいいなと思っているのは
寝る前は、ちょっとつまらなくすること。
たとえば、おもしろすぎない本を読む。
短編集や詩なら区切りが多いのでそこで止めやすい。
実用書だったり、英語の文法書も項目で区切れる。
ぼくが寝る時間は21:30で、寝るためのアラームが鳴る。
アラームが鳴ってもおもしろすぎないから、止めやすい。
そうして後悔もなく、その日を諦めることができる。
March 1, 2018
クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』レビュー 佐々木典士
クリント・イーストウッドはもう87歳。
知らないうちに亡くなってやしないかと不安に思い、定期的に検索してしまう。
輸血のようにぼくの寿命を分け与えられるならぜひそうしたい。それでもっと映画を撮り続けてほしい。ぼくにとってはそんな存在だ。
映画は実話を元にしている。だから映画の内容は、すでにネタバレしている。
2015年8月21日、アムステルダムからパリに向かう高速鉄道タリスには500名を越す乗客が乗っている。
銃弾を大量に持った男がその列車でテロを起こし、旅行中に居合わせたアメリカ人がその男を取り押さえる。
物語の筋は基本的にこれだけ。そのせいか映画も94分と短い。
この映画のトピックは、その旅行中のアメリカ人3人を演じているのが本人自身であるということ。
なんと被害者である乗客たちまで(しかも銃で撃たれた人まで)本人が集まり撮影に参加しているという。
撮影も、実際に走る列車のなかで行われたというから徹底している。
クリント・イーストウッドは
「この映画はごく普通の人々に捧げた物語である」
と言っている。
実際、映画は普通の人の半生をたんたんと綴っていく。
主人公たちは優秀だったわけではない。かといって重すぎる障害を抱えていたわけでもない。
だから次々に巻き起こる試練を覆していく英雄の物語、とは全然違う。
これはスカイプで連絡をとり、自撮り棒でセルフィーし、SNSに投稿する、普通の若者たちの物語。
美人を見れば声をかけ、アムステルダムのクラブでハイになり、重い二日酔いになる若者たちの物語だ。
件の列車に乗る前、3人がヨーロッパ旅行をするのだが、有名な観光地を訪れるその風景は、もはや、ただのホームビデオを見せられているような感じ。事実をありのままに撮るとこうなるのだろう。80分あたりまではつまらないと言えるかもしれない。
おもしろい映画を見たときには、開始15分〜20分ぐらいで「もう充分入場料の元は取れたな」と思ったりする。
むしろそうでない映画が、そこから面白くなるという経験をしたことが記憶にない。
ぼくはクリント・イーストウッドの映画を見ると、
自分が何に心を動かされているかもよくわからないのに、いつも涙がはらはらと落ちてくる。
今回はこれが最後の15分に不意に起こった。
『グラン・トリノ』以降の静謐な映画は、すでに霊界から届いているような錯覚を覚えていたのだが、この作品では静謐さも影を潜め、単に普通だ。
だからこそ見た目以上に実験的な作品だと思った。
脚本の妙や映画らしいおもしろさを感じたいなら『スリー・ビルボード』を見に行ったほうがいいだろう。
しかし、ネタバレしていて、ドラマティックでもない映画で、よくこんなことができるなと思う。
February 28, 2018
「素敵な暮らし」のミニマリズム 沼畑直樹
いろいろ素敵な生き方がある。
ワインをたしなむ毎日だったり、季節により寄り添う暮らしだったり、田舎暮らし、都会暮らし、セレブな感じとか。
私も憧れ、実践し、積み重ねてきた。
さかのぼれば、18のころに自分の部屋を片付けて、まさにミニマリズムのように床には何も置かないようにして、フロアライトで雰囲気を仕上げたあとに、坂本龍一を聴くという夜にしばらく浸かっていた。それは、友人の女性がまさにそういう時間を過ごしていて、影響を受けたから。
沖縄では海の見える丘の上で、当時珍しかったモバイル型のワープロとコーヒーをテーブルに置いて、南の島の独特な幸福感を味わった。
東京の都心に暮らしたときは、「土曜日の朝を近所のカフェで」が楽しく、今もときどき思い出す。
流行っていた小さい盆栽を部屋のテーブルに置き、自慢の自転車で街中をただ走る。
家を買ってリフォームするときは、NYの友人宅で触れた、「コンクリートの壁に白いペンキ」が生む、あの雰囲気を目指した。
クロアチアの影響でバルコニーで夕方をワインもしくはビールもしくは水とともに過ごす。というのもやった。
京都の季節に寄り添う暮らし、つまりは杉本家のような和の暮らしに憧れ、歳時記を大切にしようと思ったのはここ数年のことだ。
そうして、憧れ、試して、実践してきたが、時間が経つと毎日の生活から少しずつ消えていく、「素敵な暮らし」。
「素敵だ」と思う心は消えることがないが、心にSaveしているだけで、デスクトップからはDeleteされているのだ。
いつのまにか。
そうして、スタイルのない毎日を過ごす。
特に今は、何か「素敵な暮らし」をしているかというと、まったくしていない。
ただ家族で過ごし、ドライブを愉しむ。
自慢できるような、素敵がまったくない。
佐々木さんに続いて酒をやめたことも影響しているのかもしれない。
お洒落をしてお洒落なレストランやカフェに行くことに「まったく」興味がない。
2017年は「ホテルでブッフェ」を愉しんだが、続かなかった。
冬の服は数年前の紺系シャツ1枚とカーディガンの組み合わせのみ。つまり、今シーズンは1枚も追加していない。
もう一枚あるシャツは、洗濯の際に数回着たのみ。
ミニマリズムを始めたころにはシングルオリジンのチョコレートとコーヒーに夢中になったが、いざ有名店が日本に出店すると、全然行かない。青いマークの店には三茶に寄ったときにたまたまあったから持ち帰りをして「やっぱり美味しい」と思ったが、店内で飲む気にはなれなかった。蔵前のチョコレート店は外から通り過ぎただけ。店舗の美しさには惚れ惚れした。
ドライブして森の中へ行ってコーヒーを飲むとか、一人旅とか、そういうイメージにも強い憧れはあるが、実はドライブに関して、ひたすらピュアになってきていて、ただ走ることが楽しく、場所はどこでもよくなった。
近所のある道をただのんびり走れば、それで満足できる。
そんな感じなので、本当にインスタで紹介できるような美しい画もなく、フェイスブックも投稿できないままだ。
ツイッターも個人的なつぶやきはなく、このミニマル&イズムに投稿するような事件もない。
ライフハックにもまったく興味なく、海外旅行の興味も少し減ってしまっている。
どうしてなのかというと、わからない。
誰でもそうだが、興味は時が経つと薄れていく。
ミニマリズムを意識しているわけではないが、「素敵」はどうやら、ミニマライズしていったらしい。
数年前、黒い壁の家で、和の食器で暮らす人の写真にいいなと思ったことがある。
素敵な和食器や茶道具を持つスタイルを、かっこいいと思ったのだ。
その気持ちが、今はない。
「下りた」というのが近いのか。
振り返ると、松尾祥子さんとの対談で、「キャンプもいいけど、いい道具を揃えようとすると、また競争になる」と言われたのがターニングポイントだったような記憶がある。ミニマリズムで本を捨てて、モノで自分を自慢するのをやめたはずなのに、これからもモノでの自慢競争はいつでもエントリーできると気づいた。
気づかぬうちに、エントリーしている。
それ以来、エントリーに関しては、とりあえず、「下りる」。
「下りる」カテゴリがいつのまにか、「素敵な暮らし」にまで及んだようだ。
ただし、人の暮らしやモノを「素敵だ」と思う心は変わらない。
「素敵」のない暮らしは、外側からはみすぼらしく見えるのかもしれない。
昔憧れた、マンハッタンでの都会的な暮らしでもなく、和の慎ましい暮らしでもない。
友人と楽しく飲み歩くわけでもなく、お洒落な服を着てお洒落なお酒を嗜むのでもない。
憧れたこと、なんにもしていない。
なのに心は清々しい。
幸福である、というより、心が健康であるというのが相応しい。
そして、そういうふうに健康な人が、世の中にははるか昔から、今の時代も、たくさんいる。
February 27, 2018
酒はやめても、つぐことはできる 佐々木典士
モノを減らしてからというもの、飾り物や雑貨などを買うことがほとんどなくなった。
だから、たとえば雑貨作りや陶芸をされている人とどう付き合ったらいいのか、最初は確かに距離を測っていたと思う。先方がこちらを気に入らないことも、もちろんある。
あるテレビでは「芸術は無駄から生まれた」という文脈でミニマリストが批判されたこともある。
でも、何かが違う。ぼくは雑貨や芸術を批判しているわけではなかったから。
雑貨は今でも好きで、いくらでも眺められてしまう。「いきもにあ」という生き物の雑貨が勢揃いしたイベントも本当に楽しんだ。その時は、消耗品のポチ袋を買った。
芸術も変らず好きだ。そして、展覧会に入場料を払って見に行くことや、作家さんに質問や感想を伝えること、感想をブログに書くことなど、何かを所持する以外にさまざまな関わりができることがわかった。
お酒やお菓子もやめた。これも同じで、だからといってその中にあるすばらしい文化を否定しているわけではない。
(寺田本家のお酒と、タルマーリーのビールだけはOKということにしようか? とか散々悩んだ)
パティシエやソムリエや酒造りの職人とも、その成果を味わうこと以外での関わりができると思っている。お菓子作りや、お酒を作ることはその人の大事な部分だけど、その人の全体ではないから。
ぼくが影響を受けるのは「ミニマリスト限定」「ぼくの本を読んでくれた人限定」では断じてないのと同じ。そうではない人からもたくさんの学びと気づきを得て、コミュニケーションをとることができる。
「お酒をやめたい」と思っている人はとても応援したいし、コツを伝えたい。しかし今「やめたい」と思ってない人に無理強いしないのは、ミニマリストのときと同じ。タイミングは人によって違うから。
お酒をやめたからといって飲みの席に参加してはいけないわけではない。
細部をやめても、全体に関わることはいくらでもできる。
「酒はやめても、つぐことはできる」
これから端的に、こんな言葉で表現したいと思う。
February 26, 2018
仕事をいちばんの楽しみにする 佐々木典士
習慣に強い興味を持ったきっかけは、
チャールズ・デュヒッグの『習慣の力』という本を2年前に読んだことだった。
「HOW I WORK」という人気の連載があって、
彼は8~10時間はデスクで仕事をするそうだ。
私は、非常に長時間デスクに座って仕事をします。仕事が楽しい、楽しくないかは関係ありません。長時間デスクに座っていれば、自ずと仕事は回り始めます。デスクに座って退屈になれば、本当にやらなければならない仕事に向き合うようになります。
これは、習慣の本を書いた著者らしいと思った。
ぼくも「集中力」というものは意識して高められるものではないと思っている。
だから「集中力」が切れようが何しようが、仕事しか戻ってくる場所がないような環境に身を置くことを心がけている。彼の場合は、とにかくデスクに座ることを重視している。
何よりおもしろかったのは、
日中のそのほかの活動はすべて、できるだけ退屈なものであってほしいと思います。なぜなら、やらなければならない仕事がもっとも刺激的な選択肢になるからです。
と言っているところ。自分の生活が、退屈なものであってほしい、という人はあまりいないだろう。
以前「感度のマキシマリズム」という記事を書いた。
刺激というものは、いつも相対的なもの。
遊園地のジェットコースターに乗るような強い刺激だけが人を満足させるわけではない。蛙が池に飛び込む音を聞くことのような弱い刺激も人を満足させうる。
なぜなら刺激を受け取る「感度」は人によって違いがあるから。
そして強い刺激ばかり浴びていると、満足するために必要な刺激の絶対量が増えていき、感度はどんどん鈍くなっていってしまう。
逆に強い刺激から離れると、繊細になっていく。
たとえば、ぼくは今、甘いものを断っているのだが、干した大根にすごい甘味を感じたりする。
映画から離れて自分の日常だけを楽しんでいた頃、久しぶりに見た映画にとんでもない刺激を感じたことを覚えている。強すぎるんじゃないかと思った。(まぁ、その時見た映画は、「マッド・マックス 怒りのデスロード」なのだが)
チャールズ・デュヒッグの場合は、仕事以外の刺激を抑えることで、仕事の刺激をより浮き上がらせようとしているということだ。
劣悪な条件が重なると、ただ苦しいものに見えることもあるが、仕事は本来は楽しいもの。しかし、楽しいからといって、取りかかるのが気が乗らないこともあるし、ゆっくり余暇を楽しんでいる人を見れば羨ましくなることもあるだろう。
どうしてこんなことを考えたかというと、ぼくにも締め切りが近づいてきたから。
京都の片隅で、非常に地味〜な毎日を過ごす中、仕事がいちばんの楽しみになってきている、という実感はすでにある。
人が楽しむ刺激と比べるのではなく、自分が受け取とる刺激に集中するときが来たのだ。
「習慣の力」チャールズ・デュヒッグ
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習慣は、個人の変化だけではなく、組織や社会までも変えていった。
臨場感あふれる描写に舌を巻き、読書の興奮を感じられる本。
February 25, 2018
人生の〆切 佐々木典士
アメリカの出版社を訪ねたとき、向こうでは入稿(印刷所に原稿をおさめる)するのは発売の半年前だと聞いてとても驚いた。日本とは配本の仕組みも違うので、発売前に書店の注文をしっかり取ったり、プロモーションの戦略を丁寧に考える必要があるのだ。
残念ながら、日本では事情が全然違う(もちろん会社によっても異なる)。
それもあって編集者時代には「締め切り」というものに散々苦しめられていた。
共感する人が多かったのだろう、マニアックかと思われた「〆切本[image error]」は多いに売れた。
締め切りがあるといつも頭の片隅に残り、目の前のことを思い切り楽しめなくなる。追い詰められてくると朝方まで会社に残ったり、物理的に寝られなくなる。
だからフリーランスになったら「締め切り」を設定しないで仕事がしたいと思った。満足いく原稿が書けたと思ったら、出版社を決めたり、発売日を決める。
その形に近い人もいる。
坂口恭平さんはそういうスタイルに近く、毎日書き、年に何作も小説を書いている。
髙坂勝さんの「次の時代を、先に生きる。」の編集を担当させて頂いたとき、髙坂さんが最初にはっきりおっしゃっていたのは「締め切りがないと書けない」ということだった。自分のことをよくわかってらっしゃるんだなと思った。
締め切りのない方法を模索していたが、ぼくもやはり、締め切りを設定してからのほうが仕事の効率があがった。
よく考えると、人生そのものに締め切りがあるのだと思い至った。
日々、後悔のない時間の使い方をしたいと心掛けているが、それは人生に締め切りがあるからこそ。不老不死なら「いつかやろう」を永遠に引き伸ばすのも悪くない。人生は最後に何かを提出するようなものとは違うし、理不尽に締め切りがやってくることもある。それでもどこかで終わりがある、という感覚が日常を律しているのだと思う。
仕事の締め切りは、人生のそれをもっと細分化した指標のようなものだ。
昨日は、ナナロク社という出版社の村井光男さんと、歌人の岡野大嗣さんのトークイベントに参加した。短歌の創作についていろいろ知れて面白かったが、印象に残ったひとつは村井さんがさらっとおっしゃった「編集者の役割は、お題と締め切りを設定すること」という言葉だった。
今は編集者という存在がなくても、Kindleなどで直接出版ができるし、編集者が持つ意味合いも考えざるを得ない時代だ。
お題を設定することとは、本人が書こうと思ってもいないテーマだったり、企画を作ること。そして締め切りを設けること。
ジョブズが言っていた「重力」とも近いのかなと思った。
「多くの企業は、すぐれた技術者や頭の切れる人材を大量に抱えている。でも最終的には、それを束ねる重力のようなものが必要になる」
優秀なだけでは足りず、その指針となるものと、強制力が必要になる。
以前から「デッドライン仕事術[image error]」などの言葉は知っていたのだが、それを必要とする実感がまだともなっていなかったのだと思う。
締め切りは手助けしてくれる天使にも、追い詰める悪魔にもなりうる。
書くべき重大なテーマが決まった後で、締め切りを設定するという順番が正しいと思っていたが、テーマを決める前に先に締め切りを決めるのもありかもしれない。霊性ではなく、締め切り効果によって導かれるテーマ。
以前、「ミニマリズムの代償」という記事を書いた。
得るためには代償を支払う必要がある。
失わず、得るものだけ得たいという、いいとこ取りはなかなかできない。
締め切りもまた、ぼくが支払わなければいけない代償のようだ。
February 22, 2018
愛用の靴下と、あらたな習慣 佐々木典士
習慣にしたいものをこれでもかと詰め込んでいるので、あまり隙間がなくなってきました。
そのなかでも最近追加した小さな習慣があります。
それは「靴下をはくときに、片足立ちではく」
という非常に地味なもの(笑)。
どうやら片足立ちのバランスがよくないらしく、
ヨガで「木のポーズ」なんかをするとぐらんぐらんします。
このバランスの改善も目的。
運動するときには、靴下をはきかえるので
少なくとも1日3回は靴下をはいている計算。
ぼくの寿命はあと1万5千日そこそこだと思いますが、
1万日やったとしたら、3万回の片足立ち。
小さなこともこれだけ積み重ねるといろいろ変わると思います。
足腰強めのおじいちゃんになれるのではないでしょうか。
ちなみにぼくは、五本指の靴下しか持っていません。
時間がかかるので、なおさら片足立ちが有効に。
五本指靴下はよく「面倒じゃありませんか?」と言われるのですが、
もしかしたら五本指とそうでない靴下を混ぜて持っているとそう思うかもしれません。
何年も五本指だけしか持っていないので、
「靴下というのはこういうものだ」
という認識になっております。
比較対象するものがないと面倒でもなんでもなくなるのです。
「靴下は片足立ちではくものだ」
という認識になったときが、習慣化の合図かもしれません。
持っている靴下はすべて、五本指専門のアメリカのメーカー「Injinji (インジンジ)」。
メリノウール+五本指の靴下を探していて、たどり着いたもの。
メジャーな製品ではありませんが、アウトドアやランニング専門店には置かれたりしています。
メリノウールの防臭性+はき心地は最高。
ミニマリストはメリノウールが大好き(笑)。
Injinjiの靴下は、厚さの順に
・LW(ライトウェイト)
・OW(オリジナルウェイト)
・MW(ミッドウェイト)
となっていて
丈も、
・ノーショウ(はいているのが見えなくなる短さ)
・アンクル(足首まで)
・ライナー(通常の靴下の丈)
となどなどあって、目的ごとに選びやすいのがいい。
メリノウール以外の素材もあります。
靴下はもう一生「Injinji」でいいと思うぐらい、ここ数年の定番になっています。
五本指+片足ばき、続けていきたいと思います。
普段はこちらのチャコールを愛用。もうちょい安いとありがたいですが、
値段相応の質感があります。
ランニング&夏はこちらを愛用。
こちらの素材はクールマックス。耐久性もかなりあっておすすめ。
February 21, 2018
習慣が終わる合図 佐々木典士
昨日、近所で評判のパン屋さんに行った。
どうみたって生地がふわふわのクリームパン。
ホイップクリームとあんこがこれでもかとサンドされたもの。
甘いものを断ちはじめてから数週間が経ったが、ついにそういうパンを見てもなんとも思わなくなった。お腹は減っていたが、過剰とも言える甘さの主張に、むしろ「うわぁ……」という気持ちにすらなった。
お酒のときもそうだったのだが、これは何かを断つことがほぼ完了した合図でもある。
冷えたビールの水滴や、シャンパングラスの泡立ちを見てもそれをきっかけに、飲みたいという欲望が発生することはない。
何かをやめた結果「ストイック」だという言葉を使われたりするが、これは大きな誤解である。本当は欲しいのに、我慢しているならそう呼べるだろう。当初はそういう時期もある。しかしもう少し経つと、単になんとも思わなくなる。
コカイン依存症の患者に、コカインを摂取している画像を0.033秒だけ見せるという実験がある。そのぐらいの短さだと、人の意識にのぼることはない。しかし、脳の報酬系は活性化されたという。
習慣になっている状態は、何かのきっかけがあると、欲求を感じて行いたくなるということ。コカイン摂取が習慣になると、そんな短い画像や、単なる白い粉を見ただけで反応してしまう。冷えたビールを見ると飲みたくてしょうがなくなったり、美味しそうな甘いパンを見ると、食べたくて気が気でなくなってしまうのも同じ。
コカイン依存がない人が小麦粉をちらっと見せられたって、当然興奮は起こらない。大抵の日本人にとってはそうだろう。その様子を見て「ストイック」だと言うのは的外れである。
ランニングシューズを見ると、ランニングしたいと思うようになれば、それが習慣になった合図。脳は、報酬があった行為を何度でも繰り返そうとする。そしてその脳の部分は、何が良い習慣で悪い習慣なのかまでは判別できないという。
ほとんどの行為は、依存症と大きく違わないとぼくは思っている。
February 20, 2018
半径5mからの環境学「ごみ問題について京大の浅利先生に聞く」 佐々木典士
ミニマリストとして少ないモノで生活していると、自分が使っているモノがどこから来て、どこへ行くのかより意識するようになり環境にも関心を持つようになりました。環境のために、まず身の回りのことから何ができるのか? 初心者のぼくがさまざまな専門家に話を伺っていく連載がはじまります。初回はごみ問題の専門家、浅利先生に京都大学にてお話を聞きました。
初出:「むすび」2018年1月号(正食協会)
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【浅利美鈴 あさり みすず】
京都大学大学院地球環境学堂 准教授。びっくりエコ発電所理事。3R・低炭素社会検定事務局長。ごみの循環・廃棄のシステム構築、消費者行動のモデル化を研究。『ごみゼロ大作戦! めざせ! Rの達人』(ポプラ社)監修など。
有料化でごみは減ってきた
――モノを減らしていくと不思議と「これ以上捨てたくない」と思うようになりました。環境に関心を持ったきっかけとも言えるのがごみの問題だったので、第1回にお話をぜひお聞きしたいと思ったんです。日本のごみは今どういう状況にあるんでしょうか?
「日本ではごみ(一般廃棄物)の量は2000年がピークで、そこから減ってきています。(2015年のごみ総排出量は4398万トン。1人の1日あたりのごみの量は939グラム)たとえば京都でもそのピーク時から半減する目標を立てていて、今は49%まで削減できていますね」
――たとえば出版でも、音楽業界でも流通量のピークは90年代の後半にあって、単純に不況でモノがまわらなくなったからごみが減っているというのもありますか?
「確かに長年のごみの調査の結果を見ると、たとえばダイレクトメールやチラシなどの印刷物で確実に減っているものもあります。ですが、大きな要因はごみの有料化ですね。有料化で分別やリサイクルの意識が高まったということがあげられると思います」
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大学内には、不要な品を格安で譲ってもらえるという部屋も。ぼくも環境問題に関する本を格安でゲット!!
リサイクルが難しい島嶼国
――確かに、資源ごみなんかを捨てるのにもお金がかかるというのは、今では当たり前のような認識ですね。40年前の日本の川がごみで埋もれていたり、洗剤の泡で埋まっていたりしていた写真をTEDのプレゼンでも使われていますね。
「たとえばタイやベトナムなどの途上国を含む世界各国と比べても、日本の一人あたりのごみは比較的少ないんです。サモアやソロモンなどの島嶼国でもごみの問題に取り組んでいますが、そういうところのほうが深刻で、たとえば1つの島が何万人しかいないという規模なのでリサイクル産業が成立しないんです。でも、中国からは安いモノが入ってくるし、日本の中古車だってバンバン入ってくる。買うモノはあるけど処分するところがない。だからポイ捨てされているという状況があって」
――日本はおもてなし文化や潔癖なところもあって、過剰な包装がされていたり無駄が多いんじゃないかと思っていたんですが、ごみ問題はそもそも日本だけの問題ではないですもんね。
「そういう国でも、日本も昔は同じだったからと励ましているんですけど、都市の規模とか税金の仕組み、文化的なところで難しい部分もあります。ごみの分別を子どもにやらせてみても、雑草を抜いてくる子どもがいたり、何がごみなのかもわかっていなかったりするんです」
――なるほど、そういうお話を聞くと、街中にもごみは少ないですし、最低限のごみ・リテラシーのようなものは日本にはあるかもしれませんね。一方で、日本が見習うべき取り組みをやっている国なんかはあるんでしょうか?
「たとえば台湾はEPR(拡大生産者責任。家電リサイクル法など、生産するだけでなく回収や処理まで責任を負う)については政府がリーダーシップを発揮して徹底的に取り組んでいます」
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大学内の日当たりの良い場所で育てられる植物。植物を育ててみることも、自然の仕組みに目を向ける第一歩。大学内で豚を飼おうとしたこともあるとか。
期限切れ食品を扱うスーパー
――環境先進国のイメージがある、ドイツや北欧なんかはどうなんでしょう?
「EUはたとえば都市ごみの再資源化率を65%に、包装廃棄物の再資源化率を75%にするという目標を立てて、今はヨーロッパ中で盛り上がっていますね。それを達成できるかどうかはわからないですが、そういうわかりやすい見せ方だけでも日本も見習うべきところがあると思います。あとは取り組みのバラエティが豊富ですね。たとえば、今は食品ロスの問題が話題になっていますが、ドイツにも期限切れの食品を売っているスーパーがあったり。日本の場合だと「それでお腹壊したらどうなるんだ?」と足かせになるんですけど、そこは自己責任でやりましょうと、自由な取り組みがやりやすいんだと思います」
処分場で衝撃を受ける学生
――環境教育についてもご専門ですが、サステナビリティの象徴としての「ぬか漬けチャレンジ」などおもしろい取り組みをされていますね。
「私が大学に入学した20年前は、京都議定書が採択される頃でもあったりして環境問題に対する意識がとても高くて、私自身も「環境問題を解決したい!」と思って大学に入ったんですが、そういう意識は今少し薄れているのかなと思いますね」
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ぬか漬けチャレンジ。ほとんどの学生にとっては、はじめてぬか漬けをかき混ぜる体験になるのだとか。今までに200人以上の人が混ぜたというぬか漬け!!
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女優さんやサッカー選手、舞妓さんまで体験したというぬか漬けチャレンジ、京都市長(中央)も体験されました。
――ぼくが今住んでいるところには、自由にできる庭があるので、生ごみを置いてみたりするんです。するとまず鳥が食べて、虫が食べて、微生物に分解されてキレイに何もなくなる。一方で、どこからか飛んできたビニール袋はずっと残っていたりして。もともとはこうだったんだよなぁと。そういう風に実感する機会は大事だと思うんです。
「そうですね。ごみの処理場も学生と行くんですが、行くと衝撃を受けますよ。これだけ出ているものなんだということが、実感としてわかります」
――買って、捨てて終わりではなく、モノがどういう風に処理されているかまで想像する。とりあえず行動の第一歩として、ぼくも処理場の見学に行ってみます!
「ごみ問題のいいところは目に見えるところですね。CO2ではこうは行きませんが、がんばれば目に見えて減るものでもあるので、環境への入り口としてはおもしろいと思います」
浅利先生よりおすすめの1冊
地球家族(TOTO出版)
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「申し訳ありませんが、家の中の物を全部、家の前に出して写真を撮らせてください」と世界30カ国で、持ち物を撮影していった本。驚くほど少ないモノだけで生活している人々を見ると、自分の暮らしを考えさせられます。この本は「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」の参考書籍でもありました。
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