Fumio Sasaki's Blog, page 15

May 5, 2018

好き嫌いは、論理に先行する 佐々木典士

人が驚くとき、まず最初の0.1秒でびっくりし、次の0.9秒でその意味を知るといいます。


散歩しているときに、近所の犬にいきなり吠えられたとしましょう。


そのとき「何かに吠えられた」と理解してから驚くのではなく、まずビクッと驚いてから「なんだ、犬に吠えられたのか」と理解するということです。



人の好き嫌いを判断する「扁桃体」も同じで理性よりも素早い反応です。


まず好きか嫌いが決まってから、その理由が後づけされます。


 


毛虫について研究した上で、「私は嫌いみたいです」と結論を下すわけではありません。まず毛虫にゾクっとしてから、「ウネウネしてて気持ち悪い」とか「毛だらけで嫌」などと思うのが普通です。


 


恋人からの「私のどこが好き~♪」という質問はかわいいものですが、答えはいつでも事実とは少しずれていきます。人は理由なく恋に落ちてから、その理由づけをするものだからです。


 


まず最初に感情が発生します。そして何かに大して最初に「けなしてやろう」という思いさえあれば、必ずほころびは見つけられます。完全無欠の人間も、完璧に隙がない論理というのもこの世にはないからです。


 


たとえばミニマリストの姿を見て「嫌い」だと思ったとしましょう。モノをたくさん集めていて、しかも片付けられない人は、ミニマリストの姿を見るだけで自分が「攻撃されている」と思うことがあります。そうしてこんなプロセスが生まれます。


【1】まず扁桃体で嫌いだと判断し、けなしたいという思いが生まれる


【2】その後に、前頭葉で論理が考え出される


【3】その人の知的なレベルや時間的な制約でたどり着ける「論理の底」に行き着くと、論理は打ち切られる


 


研究者でもない限り、いつまでも同じ問題を考えていては日常に支障を来します。しかし、嫌いだと思っているだけでもモヤモヤするので、どこかで自分なりの答えを見つけ考えることを打ち切らなければいけません。それが「論理の底」です。


 


ミニマリストを批判したくなったときにたどり着く、よくある「論理の底」にはこんなものがあります。


「結局、貧乏人の自己肯定だな」


「ミニマリストばかりになったら、日本経済が滅びるよね」


「文章はミニマルじゃないんだ(笑)」


「アップル信者www ジョブズの家は散らかってますけどwwww」


「スマホやデータに依存してる」


「新しい金儲けの道具だな」


「意識高い系だな」


 


 


「結局○○ってことだな」


○○には、承認欲求、宗教、アップル信者、お金など誰でも想像しやすく手垢のついた動機の推測が入りやすいです。簡単かつ何かが言えた気になるからです。


 


文章や自我はミニマルじゃないとか、ジョブズの家は散らかってるとか、何かの矛盾を見つけ出すことでも安心できるので、それも「論理の底」になります。


 


ここにあげた例はよくあるものなので、そのひとつひとつは、もしかしたら論破することができるのかもしれません。


しかし、論破で人の意見が変わることはあまりありません。まず論破しようと思い、そこから論理を作り出す。それでは相手と同じ武器を手にしていることになります。


 


 


漫画でライバルを打ち負かすと良い奴になるのはフィクションには「主人公」という設定があるからです。


 


 


議論自体に意味がないと言いたいのではありません。しかし、ぼくはデール・カーネギーの「議論に勝者はいない」という言葉をよく思い出します。議論に負けたのなら、負けたのだし、相手を打ち負かしたとしても、相手の感情を害してしまったのなら、いい影響を与えることはできずやはり負けたのです。


 


だから、建設的な議論を積み重ねていくためには、議論する相手を好きか嫌いかと、議論の内容自体を分けて考えなければいけません。これは書くのは簡単ですが、容易ではないですし、完全にできるようにはならないでしょう。ぼくもいきなり噛みつかれたら冷静でいられません。


 


今年亡くなられた西部邁さんは、かつて宮台真司さんとの議論した番組で、途中退席しました。しかし、楽屋で最後まで待たれており、宮台さんを励ましさえしたそうです。


 


 


ぼくは今まで数々の批判を受けてきましたが、基本的に反論をしないのは、こういうことができる人が少ないからです。好き嫌いが強く先行していると推測されるときは特にそうします。しかし、これには単にかける労力や失う感情のコストを避けるという意味もあるでしょう。


 


ぼくが本が好きなのは、内容の主張は激しくても本自体はひっそりと書店に佇んでいるからです。本は決して声を荒げず、誰かに手にとってもらうことを静かに待っています。ぼくは今後も、本を通してメッセージを伝えたいと思います。


 


有効な手立てがあるとしたら、何か反射的に言い返したくなったとき、一呼吸でも一晩でも置くことかもしれません。西部邁さんがしたことも恐らくそういうことなのでしょう。ひとつ言えるのは、建設的な議論をするためには、トレーニングが必要だということです。

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Published on May 05, 2018 17:17

May 4, 2018

肉と欲 佐々木典士

男性にとって、性欲というのは身を焦がす炎だと思う。ぼくもそうだったけど、10代、20代の頃は手に負えない厄介なもの、そんなにそのことばっかり考えたくないよと思ってしまうコントロール不能なものではないだろうか。



30代も後半になり、それがだいぶ落ち着いてきてちょうどいいと感じた。それどころか最近はちょっと落ち着きすぎなんじゃなんじゃないかという感じだった。近所に若い女性がほとんどいないことも関係しているかもしれない。落ち着くだけならいいのだが、性欲と誰かを好きという気持ちは切り離せないもののようで、女性に対する気持ちも薄くなっていくのを感じた。


 


今は締め切り前で、やる気を出さんといかんということで夕食に赤身の肉を食べるようにしてみた。すると笑ってしまうほどそれが戻ってきた。締め切り前のストレスもあるので、これに対する生存本能ということも考えられる。


 


ぼくは、食事の内容が毎日あまり変わらないので、ちょっと食事を変えてみるとその変化の大きさを感じることが多い。すっかり穏やかになったと思っていたのに、イライラや怒りっぽくなっている気がするのは、ストレスなのか肉の作用か。


 


以前、大きな会社の秘書の女性から、おじさんになっても貪欲な人はとにかく肉を食べる、という話を聞いたことがある。仕事の都合上、会食などに行くことが多い。そういう場面では重役になるような出世欲も性欲もギラギラしている人は肉をよく食べるんだと教えてくれた。


 


これは、ある程度当たっているのではないかと思う。煩悩をおさえるべく修行をしている人が、精進料理を食べるのは伊達ではないという気がする。しかし、肉を食べて仕事へのやる気が増すだけならいいが、性欲が増し女性への興味も増し、さらにそれを満たすために金銭欲が増していくとするとただのマッチポンプではないかと思ったりする。


 


確たるものはきちんと調べなければわからないが、考えてみる価値のあるテーマだと感じる。そういえば、一日一食で性欲が回復すると言っている人もいたなぁ。いろいろ意見は分かれそうだ。詳しい人がいたら教えてくださいね。

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Published on May 04, 2018 14:36

May 3, 2018

紙という制約と誓約 佐々木典士

本の内容に誤字や脱字、間違いがあっても、増刷するまでは直せない。


初版のまま売れなかったら、それはそのまま残るということ。(「ぼくモノ」の初版は誤字だらけでした、すみません)



紙に印刷するものは、簡単に直せないという「制約」があるので、だからこそなるべく正しいものを書こうという「誓約」が生まれる。ネットだけに載せる情報を書く時とは自分でも臨み方が違うと感じる。


 


当たり前のことだが、本だから正しくて、ネットだから間違っているということではない。本にも、疑似科学やオカルトや、そうでなくても真面目な学者が真面目に研究したものにだって、間違いはいっぱいある。


 


間違う可能性を恐れているところに新しいものは生まれないのだから、自分も間違いを恐れずに行こうと思うんだけど。


 


それでも何かあれば、すぐ削除したり訂正できるものと考えていると、適当な情報を載せたり、人を傷つけたりすることのハードルが下がるのは事実だろう。


 


本は炎上しない、と言われる。それは批判するために、有料でしかもある程度の長さがある本を読む、という面倒な行為がそもそも必要になってくるからだ。炎上に必要な人数が本を読んでくれるのであれば、出版業界はもっと潤っているだろう。


 


twitterが炎上しやすいのは、140字だけ読めば「判断する材料を全部集めた」「判断する権利が自分に備わった」と思えるからだ。日本の匿名指向も影響しているのだろう。(日本のtwitterは海外と比べて匿名のアカウントが多い


 


何をしても炎上してしまうので、それにうんざりして有料のメルマガやプライベートサロンでだけ本当の思いを伝える人もいる。


 


ネットがあり、デジタルだからこそ作れるコンテンツもある。ぼくは誰にも読まれなくてもアウトプットすることはいいことだと思っているので、それはネットによる恩恵だ。本当に、どんな技術にも一長一短がある。


 


書く方の「直せないのだから、間違ったものは書くまい」という気概。そしてそれをまっとうに批判するのであれば、それを「読み込まなければならない」という姿勢。制約と誓約が、お互い高めあって今まで本の文化を育んできたんだろうなと思う。


 


たとえば、このブログに書くようなときも「直さない」という誓約をつけて書いてみるのもいいかもしれない。

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Published on May 03, 2018 17:46

April 27, 2018

「ぼくたちは習慣で、できている。」 〜努力と才能の再分配〜 佐々木典士

新刊「ぼくたちは習慣で、できている。[image error]」を6月14日に発売することになりました。


タイトルにもあるように、テーマは「習慣」です。



ミニマリズムを実践すると、今まで好きではなかった掃除や洗い物、洗濯などの家事がすぐに習慣になりました。


 


食事が終わればすぐに洗い物をし、朝出かける前には掃除をするように。部屋が汚かった頃のぼくとは大違いです。これはぼくが変わったのではなく、モノを減らすことによって家事が簡単になったので好きになれ習慣にもなったのです。


 


一方でモノを減らした後も、何度も挑戰しつつ、続けられないことがたくさんありました。


 


●早起き


●定期的な運動


●英語の勉強


●お酒を断つこと


●仕事を先延ばしにしないこと


などなど。


 


これは一体どうしてだろう、何が違うのだろう? と思ったことが始まりでした。


内容はミニマリズムについてではありませんが、出発点はやはりそこからでした。


 


 


カール・ユングは「人は不得手なことを研究する」と言ったそうですが、本当にその通り。モノが大好きで手放せなかったからこそ「ぼくモノ」を書き、習慣が身につかなかったからこそ「ぼく習」を書こうと思ったのです。発売日は、ちょうど「ぼくモノ」から3年が経ちます。今回は、本当にとんでもない難産になってしまいました。


 


 


それでもぼくは、2冊めの本を、


「ぼくたちに、もうモノは必要ない2」


にしなかったことを誇りに思っています。


 


 


大事なのはモノを減らすことではなく、その後どうするか。


テーマはミニマリズムではありませんが、その意味では続編です。ぼくの人生の続編なのです。


 


意図するところは似ています。前作でぼくは、幸せというものが、成功し限られた人だけに与えられるものではないことを証明したかったのだと思います。今作でも「努力」や「才能」がそういうものではないと証明したい。習慣を通して「努力」と「才能」をもっと身近なものにし、再分配したいのです。


 


「ぼくモノ」は片づけ本を総まとめするつもりで書きましたが「ぼく習」も同じで、数ある習慣の本を総まとめするつもりです。さらに言うなら、この本はぼくにとっての「最後の自己啓発」にするつもりです。そしてあまり意味のない自己啓発に浸っている人にとっても、そうなったらと願っています。


 


 


そんなこんなで前作を楽しんで頂いた方には、今作も楽しんで頂けるのではないかと思います。習慣についてはブログにいろいろ書いてきましたが、もちろん書き下ろしです。読んだ後に、何かしら行動が変わる。そんな本にしたいと思っています。「ぼく習」と呼んで、かわいがってもらえると嬉しいです。


 


ご自分の媒体を持ってらっしゃるブロガーさんなどに、発売前に見本誌をお送りするキャンペーンもやっております。気に入ったらでいいので、レビューを書いてくれると嬉しいです。(気に入らなかったら書かなくていいですし、批判含め率直な感想で大丈夫です)


 


 


発売日は決まりましたが、実はまだまだまだまだ書いてます。まぁこれもまた前回と同じ。GWは仕事漬けというのはもはや風物詩で、前回よりはだいぶマシです(笑)。よろしくお願いいたします。



ぼくたちは習慣で、できている。 [image error]


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Published on April 27, 2018 01:30

April 21, 2018

「レディ・プレイヤー1」永遠の小学生 佐々木典士

「ターミネーター2」が公開されたときは確かまだ小学生で、父親に連れられて一緒に見たことを覚えている。初めて1人で見に行った映画は「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅢ」だったような気がする。



そんな子どもの頃、映画の世界に没入して、とんでもなくワクワクしていた。映画は今も好きでよく見ているけど、そのワクワクしていた気持ちはどうやら感じていなかったのかな? と思わされるような作品だった。自分が抱えている問題を忘れ、子どもに戻って興奮した。


 


ぼくは、1979年生まれで今年39歳。


そのあたりに生まれた世代にはたまらん映画ではないだろうか。


映画からは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「キングコング」「ジュラシックパーク」「エイリアン」「シャイニング」


音楽はヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」。ビージーズの「ステイン・アライブ


ゲームは「ストリートファイターⅡ」「スペースインベーダー」「007ゴールデンアイ」


そして日本のポップカルチャーからは「AKIRA」「ストリートファイターⅡ」「ゴジラ」「ガンダム」


 


 


引用というかそのまま登場するし、オマージュがアホみたいな数あふれていて、初見では全然確認できなかった。


たとえばこんな感じ


『レディ・プレーヤー1』映画オマージュ・元ネタ超徹底ガイド!



 


全編がカメオ出演で構成されている感じかな。


 


大人になってしまったので、それぞれの作品の「権利関係の確認」という仕事量を考えただけでも吐き気がしてくる。「監督はスティーブン・スピルバーグです」という文字が企画書に書いてなければ、実現できなかったと思う。


 


もう「豪華」という言葉では陳腐すぎて表現できないほど、豪華。


 


その豪華さで映画のなかで何をやるかというと、お気に入りの怪獣と超合金のロボットを両手に持って


「ウィーン、ガッシャーン!!」


「ギャオオオオ!!」


と戦わせるような感じ(笑)


 


小学生の子どもが、


「俺のレベルは99」


「完全バリアー!!」


と遊ぶそのままが、超精密なCGで再現される(笑)


 


 


メインの面白さはそこなのだが、批評しようと思ったら無限の切り口で語れると思う。


 


2045年、オハイオ州コロンバス。ドローンでピザが届けられたり、iPadが透明になっていたり、今予想されている技術は確かに実現している。しかし舞台は「シロップ不作と電波不足の暴動の後、人々は問題解決を諦めるようになった」後の未来。


 


主人公が住んでいる家はトレーラーハウスを雑に縦に積み上げたようなスラム。近所には、かつてのガソリン車が修理されることもなく積み上げられていて、もはやリサイクルする予算が行政にもない様子が映し出される。(ちなみに走る車の多くはコムス、i-MiEVやリーフなど日本製の電気自動車になっていていちいち芸が細かい)


 


1985年の人は「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅡ」のようなきらびやかな未来を想像していたと思う。2018年の人が想像する未来の姿は「レディ・プレイヤー1」のほうに近いのではないだろうか。


 


人々は悲惨な現実ではなく、どんな素敵な姿形にもなれ、スキーや登山、戦争ごっこまでなんでもできるVRの中で楽しんでいる。「マトリックス」なら選択権はなかったかもしれないが、人々はVRで過ごすことを自分で選んでいる。


 


と、まぁいろいろある。


 


しかし、この作品をいちばん楽しめるのは間違いなく日本人だ。日本のキャラクターがクライマックスでいちばん活躍するので、なんかもうね……。予告編として公開されているけど、ネタバレでもあるのでちらっと見たい方だけどうぞ。



 


今日の予定が決まっていなければぜひ。


明日の予定があっても、仮病や早退などしてぜひ。


 


元ネタを知っていれば知っているほどニヤリとできるけど、たとえまったく知らなくても楽しめると思う。


 


映画ではなく「今年新しく発明されたエンターテイメント」にふれている感じ。


 


「スラムダンク」読んだことない人はこれからあれを楽しめるなんていいなと、逆に羨ましくなったりするのだがそれと同じ。まだ見てない人が羨ましい。


 


何か問題を抱えていても、確実に数時間はどうでもよくなります。

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Published on April 21, 2018 17:14

April 17, 2018

半径5mからの環境学「資源と暮らしについて髙坂勝さんに聞く」 佐々木典士

池袋のオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」の店主、髙坂勝さん。長年東京と、千葉県匝瑳市の2拠点生活をしながら、米と大豆の自給、移住者の支援活動などを行われてきました。(現在、バーは2018年3月で譲られて新たなイベントスペースへ。2拠点生活から匝瑳市での活動に専念されるようになりました)緑の党、グリーンズジャパンの初代共同代表まで務められた髙坂さん。都会出身で、大手企業の勤務という経歴から、どのようにして環境にまつわる活動をされるまでに至ったのか、お話をお伺いしました。初出:「むすび」2018年3月号(正食協会)



今月のゲスト 髙坂勝(こうさかまさる)さん


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髙坂勝 こうさか・まさる●大手企業を退社後、オーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」開店。NPO法人SOSA PROJECTを創設、緑の党、グリーンズジャパン初代共同代表。著書に『減速して自由に生きる: ダウンシフターズ [image error]』(ちくま文庫)『次の時代を、先に生きる。 – まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ –[image error]』(ワニブックス)など。


争いには資源が絡んでいる

 


──髙坂さんは、もともと自然に近いところで暮らされていたわけでは全然ないですよね。


ほぼゼロに近いですね。会社員をやっている頃は、土も虫も気持ち悪いし、魚も肉にも触れなかったね。そこから30歳で会社を辞めて、日本各地や世界の各地を旅したんです。9.11があって、アフガニスタンへの侵攻が始まった頃でもあって、戦争が起こるところには、必ず石油やウラン、レアメタルなどの資源があってその利権が絡んでいたりする。石油文明を享受するために、人殺しに加担してしまうことにもなる。そんな観点からも、地下エネルギー資源に頼った暮らしには未来がないなと感じ始めたんだと思います。


環境や未来につなげるため

 


──そして、身近な食についてのお仕事を始められるんですね。


金沢のお店で、料理を学びはじめました。でも多くのお店で化学調味料も使っているし、加工食品も使っていた。これは自分が欲しているものとは違うと思い始めた頃に、自然食料理人の船越康弘さんの講演会に行ったり、マクロビオティックにも出会ったんです。身土不二は、フードマイレージも下げるということだし、環境の問題にもつながっていく。


──そうして14年前にオーガニックバーをオープンされたわけですね。


当時は、オーガニックという言葉もほとんど知られていなくて、店に来たおじさんが「オーガニック? 新しいウイスキーか?」なんて言ってたりしました。当時は、東京のオーガニックのお店は全部廻れるぐらいの数でしたけど、今は本当に増えました。今ではチェーン店でも玄米や五穀米が出され、普通のスーパーでも地元の野菜や有機野菜が売られていたりしますよね。地産地消という言葉も誰でも知っていたり、考えや言葉というものは、本当に少しずつ少しずつ世の中に浸透していくんだなと。そのためにうちにお店もほんの少しは役に立てたのかなと思っています。


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DIYで仕上げられた「たまにはTSUKIでも眺めましょ」の店内。環境にまつわるイベントやライブも頻繁に行われていました。


──2009年からは、匝瑳で米や大豆の自給を始められて、そちらにも拠点を持たれる。お家に宿泊させて頂いたこともありますが、トイレの紙を流さずに燃やされていたり、身近なところでいろいろ工夫をされていますよね。


トイレに紙を流さないでおくと分解が早く進むので、汲み取りの回数も少なくてすむんですよ。1年に1回の汲み取りで、15000円ぐらいかかかるところが、2年に1回ですむようになったりする。電気をこまめに消したり、スイッチ付きコンセントを使って待機電力を抑えたりするのもそうですが、単なる節約のためだけではない、エネルギー消費による負の遺産を少しでも減らして未来世代に貴重な資源をつなぐんだ、と思うと、「せこく節約」感覚でなく「世の中に役立っている」感に満たされて心晴れやかになります。


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お店で使用される食器や、グラスも洗剤を使わずに洗われて、水だけで汚れが落ちるふきんを使って磨かれています。


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オーダーを取る紙は裏紙を使用。メニュー表はダンボールで自作。トイレの電気はスイッチで使うたびに消す。工夫あふれる店内。


オフグリッドに近づける

 


──お店は3月で別の方に引き継がれて東京から離れられたわけですが、これからの暮らしで挑戦してみたいことはありますか?


暮らしのいろいろなものをオフグリッドしていくことです。今まで以上に、大きな流通から買うのではなく、自分が作ったもの、地元で採れたものを食べる。他にもたとえば上下水道にしても、昔の家は井戸水を使ったり、その排水も掘った穴から、土を媒介して浄化されてまた井戸水に戻っていったり、パイプを通して遠くから運ばれてくるんじゃなくて、その敷地内で完結できる知恵があったんですよね。


──そうすると環境負荷の罪悪感なく、生活すること自体が気持ちよくなりそうですね。


電気にしても、家の敷地の太陽光パネルで電気を生み出し、それを電気自動車に充電して走れたら本当にいいなと思います。全部をオフグリッドにするのは無理でも、いかにそこに近づいていけるか、そういう取り組みが楽しいと思うんですよね。


髙坂勝さんよりおすすめの1冊


田中優「環境破壊のメカニズム―地球に暮らす地域の知恵[image error]


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環境問題の、その裏にある本当の問題、世の中のカラクリがわかる本。そのカラクリを知って、悲観するんじゃなくて、どうしたらそれが少しずつ解決出来るかということも書いてあり、私にとってのバイブルです。

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Published on April 17, 2018 15:00

April 13, 2018

いちばんの節約は、仕事を愛すること 佐々木典士

自分の仕事が好きじゃない人は、その「慰謝料」のように対価を求める。


仕事のストレスを解消できる、仕事以外の時間が好きなので、そこにお金がかかってしまう。



 


そして仕事が好きじゃないと、仕事に価値があるかどうか判断するのは、稼いだ額の多寡になってくる。


仕事そのものに意義を感じられない人は、稼いだ額のなかにそれを見つけようとする。


 


 


センスに自信のない人が、ブランドに頼るしかないように、


主観に頼れないのだから、誰にでもわかりやすい客観的な基準に頼るほかなくなる。


残念なことに、いつしか他人もその基準で眺めるようになる。


 


 


今の自分と、自分の本質の芯がずれていれば、嘘が多くなりどうしてもストレスがかかる。それがぴったりと重なり合えば、もういろいろなことは気にならなくなってくる。


 


 


だからお金の不安から逃れるためにどんな方法でもいいから稼ぐ、というのはまっとうなようであてにならない。お金への執着から離れ、いちばんの節約になるのは、自分の仕事を愛することだと思う。

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Published on April 13, 2018 14:26

April 8, 2018

遠くて、中心から遠く離れた、中心世界から隔離された場所。      沼畑直樹

灯台の見える崖の上にポツンと佇む小さい家。


世間と隔離されたその家で、薪を割り、火をおこし、世捨て人のように生きる。


時折遠くを見つめる目がかっこよくて、あごひげは伸ばし放題。


できれば、カスタムされたバイクとピックアップトラックが横付けされているといい。


 


そんな暮らしに憧れて、若い頃に最適な場所を求めて移動を繰り返したが、海辺の崖の上で珈琲を飲み、詩を書く毎日。という人生はそのときに達成され、今はそこからほど遠い暮らしをしている。


だから、時折、そんな暮らしに憧れる。


今は年を重ねた分、もっと渋く崖の上に佇める。


では、どこが最適な場所だろう?


 


たとえば、映画『バベットの晩餐会』に出てくる寒村は、デンマークのユトランドにあるプロテスタントの村がモデル。


質素倹約を旨に、小さな漁村で生きる村民がいて、ある日、パリの有名シェフが身分を隠して逃げ込んでくるというストーリー。


ヨーロッパの田舎で、プロテスタント系の村はまさにミニマリズムの基礎ともいえる暮らしだ。


だからゲルマン系のノルウェー、スウェーデン、デンマークといった少し寂しげな海沿いの村は隔絶感があっていい。


ひろげると、カナダ、アラスカだっていい。


遠い町。とおくて、ここから行きづらい。


 


でも、よく考えてみると、この日本がそもそも、ヨーロッパやアメリカの人々からしたら、東の果ての果てにある、遠く、中心から遠く離れた、中心世界から隔離された場所だ。


この日本に降り立ったとき、「私は自分の住んでいる世界から一番遠くの国に来た」と感じるかもしれない。


東京がどんなに都会になっても、辺境にある大きな都会であることは変わりないのだ。


 


感覚としては、自分がたとえばトルコとか、インドの先とか、アフリカのどこかとか、南アメリカ大陸のどこかのほうが辺境感がある。


日本のどの田舎にいっても、辺境とまで思えない。どこか優しい。


沖縄もどこまでも落ち着く場所だった。


でもトルコの人が日本に来たときのほうが、確実に辺境感があるだろう。自分たちの文化とはまったく違う文化が、世界の果てで花開いている。


そして、そのまま海岸の寒村に行けば、本当に寂しい思いをするかもしれないし、それに猛烈に憧れを感じるかもしれない。


極東。


結局私もあなたもいつも、世界から離れた果ての果てで、毎日生きている。


そう思うと、それはそれでいいのかもしれない。


 


 


 


 

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Published on April 08, 2018 21:50

April 7, 2018

書くことと「コロコロ」 佐々木典士

書くことは、コロコロをかけることに似ていると思う。


しばらく生きていると、皮膚の表面に文字がたくさん浮かんでくる。しばらく放置した部屋と同じように汚れたり、淀みが溜まってくる。皮膚にコロコロをかけて文字を取ったら、紙やパソコンの画面にまたコロコロして文字を転写する。そうして身軽になる。



 


書くことは、友人に話を聞いてもらうのに似ている。


ネガティブな感情であっても、日記に写してしまえばそれですっきりする。


 


書くことは、家計簿をつけることとも似ている。プラス、マイナスの感情も整理整頓して把握さえできれば、たとえ赤字だったとしても次の対策が立てられる。


 


これは誰にも言えない、と思える秘密でも、書いて公開してしまえば想像するほど反響もなく、大したことはなかったのだと思える。


 


日記はセラピーになり、感謝の日記をつけることが実際に人を幸福にする。書くことに、見た目以上の効果があることはたくさんが実験で実証されている。


 


書くのではなく、話すこと、歌うこと、絵を描くこと、運動すること、何かを作ることで同じことをしている人もいるだろう。


 


もしそういった習慣がないのであれば、なんでもいいので書いてみるのはおすすめだ。日記やブログやnote、Facebook。今は便利な媒体がたくさんある。


 


 


今は無数にコンテンツがあるので、書いても誰も読まないかもしれない。それでいい。自分の中にある混沌を、外に転写し吐き出すだけでいい。書くこと自体が人を健康にするのだから。



表三郎『日記の魔力』


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日記をまず始めるには、やっぱりこの本が簡単かと。


sarasa design カーペットクリーナー [image error]


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我が家のコロコロ。コロコロの長い柄が好きではないので、ミニマルにまとまるこれはおすすめ。さっと取り出せるところもいい。

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Published on April 07, 2018 15:00

April 3, 2018

Amazon Echoと習慣 佐々木典士

「声を出して何かをする」というのはとてもハードルが低い行為だ。


文章を書くのでも、パソコンのキーボードを打ったり、スマホをフリック入力するより、音声入力のほうが遥かに楽だ。



野口悠紀雄さんは膨大な著作があるが、最近は音声入力で執筆されていてそれについての著作「話すだけで書ける究極の文章法」もある。そうすると、ソファに寝転がりながらでも「書ける」ので仕事のやめどきがわからないそうだ。スマートスピーカーも同じで、何かすることのハードルが下がる。


 


Amazon Echoを買ってしばらく経った(ぼくのはAmazon Echo Plus[image error]というモデル)。Echoには「スキル」というアプリのようなものが膨大にあるが、今はもっぱらBluetoothスピーカーとしてと、「とっても優れたタイマー」として使用が落ちつき始めている。


 


スマホの音声入力との違い

 


ぼくの家は洗濯機が離れたところにあるので、終了時間がわからなくなり、たびたび洗濯物を干すのを忘れてしまっていた。今は、洗濯機に服を放り込んで部屋に入るとすぐに「アレクサ“洗濯物干す”を1時間後にリマインドして」と言っておく。すると1時間後にちゃんと“洗濯物干す”としてお知らせしてくれる。


 


もちろん、スマホでも同じことはできるのだが今までは洗濯物のためにポチポチとスマホを打ち込もうとは思わなかった。音声入力という点でSiriでも同じことはできるが、やはりいつも定位置にあって、マイクの質もいいスマートスピーカーとは違いがある。


 


時計やタイマーとして優秀

 


今までキッチンタイマーを使っていたのだが、これもAmazon Echoに置き換わりそうだ。「手がふさがる」筆頭は料理だと思うが、こういうシチュエーションだと音声入力は効果を発揮する。


 


「ゆでたまごタイマー10分セットして」と言うと、「10分のタイマー、ゆでたまごのタイマーをセットします」と応えてくれる。もちろん「12分のうどんタイマー」も同時に走らせることができるので、単なるキッチンタイマーより優秀だ。


 


戦略的二度寝」でも書いたように、1日に15分の短い睡眠をよく取るが、これも「アレクサ、15分後に起こして」と言えば楽に設定できるし、キャンセルも寝たままできる。


 


「アレクサ、今何時?」と夜中に目が覚めたときに時間を知る使い方も地味だが重宝している。置き時計だと音が気になる。スマホを手探りして見てしまうと、そこで余計な情報や明るさを見て目が冴えてしまう。だから音声だけで寝ながら時間を知れるのはいい。


 


自動で「消灯」できるといい

 


Amazon Echo Plusだと、PHILIPSのHue(ヒュー)というLED照明と簡単に連動できる。(Echoの他のモデルだとブリッジという装置が別に必要になってくる)。


明るさや色(蛍光色、電球色)を細かく音声で変えられる。来感があって、しばらく遊べる。



 



 


ベッドに入って、寝た状態で、音声で照明を消す。もちろん夜中起きたときもリモコンやスイッチを手探りせずにすむ。


いまはタイマーで照明消すということができないが、近いうちにできたらいいなと思う。


 


朝早く起きるためには、何より寝る時間を決めること。何か楽しいことをしていても、タイマーで事前に設定していた時間に「消灯」ができればそこで諦めて寝やすくなるのではないか。


 


絶対的に必要なものではないし、スマートスピーカーを使って余計なことばかりをしていても仕方がない。しかし、うまく使えば「こう過ごしたい」と思う習慣を改善してくれると感じている。



Amazon Echo Plus スマートホームハブ内蔵 [image error]


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充電ではなく、コンセントから給電するので場所は定位置になる。


Amazonプライムの動画や、Amazonミュージックの音楽を聞くスピーカーとして、満足できる音質。


Spotifyには今後対応予定だそう(もちろん今も、スマホやパソコンを通してなら普通に聞ける)


 


Philips Hue(ヒュー) ホワイトグラデーション 口金直径26mm


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どんな照明にもつけられて、それが調光可能になるところがいい。調光コントローラーや、調光のリモコンを使っていた頃とは隔世の感。

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Published on April 03, 2018 15:42

Fumio Sasaki's Blog

Fumio Sasaki
Fumio Sasaki isn't a Goodreads Author (yet), but they do have a blog, so here are some recent posts imported from their feed.
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