5巻(最終巻):【亀山君子の証言】、財前の学術会議選のためのさらなる工作、それによる江川の舞鶴への派遣、柳原の苦悩〜 佐々木家の倒産と共同販売所での商売開始、【胃生検】、財前の体調悪化、財前の金沢旅行(ダムの訪問)〜【切除胃の病理検索】、柳原の戸惑う中進む野田華子との見合い、【術前、柳原が断層撮影の進言の有無】〜財前の学術会議選の当選、【化学療法】〜【追い詰められた財前の、柳原への責任転換、柳原の「嘘です!」】、【江川の抄読会記録】〜【第一審の判決棄却、財前の医師としての注意義務怠慢と杜撰な対応の指摘】財前の胃癌の発病と入院〜東の執刀、里見の切実な財前の延命治療、柳原の退学と無医村への赴任、財前の死と遺言による財前の解剖
大好きなシリーズが終わってしまったことによる名残惜しさよりかは、正直、やっと読み終わったぜ…っていう達成感の勝る最後(笑)。長かった!けど、さすがに読み応えはすごかったし、特に柳原の「嘘です!」から財前の死、本当に最後のページまで疾走感があった。ヤングアダルトものと『図書館戦争』以外で、ちゃんと小説のシリーズものを読み終えられたのは何気に初めてかもしれない。(まあ読まなきゃいけない理由があったからっていうのも否めないけど笑)
今回も素直に認めてしまうと、偉大なる山崎豊子先生には申し訳ないけど、裁判の細かなやりとりや医学の専門的なところは全て理解できたとは言えない。そして、連載作品だったから多少の前述内容の重複や要約は仕方ないし、裁判において事実の慎重すぎるくらいの確認は必須であるとは分かっていても、一審の方でも何度も議論されたことが繰り返されるところが、時々くどく感じたりもした。
作品全体を通して一番最初に思うことは、どっちが良い・悪いとかはなく、2003年版ドラマとの相違が思っていた以上に多かったということ。どうしても私はドラマの方に慣れてしまっているから、ドラマではよりドラマチックに演出されているところが小説のページ上では割と呆気なかったり(例:紅会での東VS鵜飼、病室の外で佐々木庸平の死に悔し泣きする里見、財前の最期を看取るシーン、錯乱状態の財前が鵜飼に「用はない」と怒鳴るシーン)、放送時間の限られているドラマだから端折られてしまっていた原作のちょっとした事柄(例:学術会議選、柳原が浪速大学を去ったこと、財前の癌が肺がんではなく胃癌だったこと、財前に息子が二人もいたこと、里見と佐枝子の関係)に若干違和感を覚えたりと、媒体も時代も違うのだからそれこそ仕方ないし、むしろ相違があるからこそ良いんだろうけど、「あれ…?」と、頭と感情が追いつかなかったりもした。そのせいか、全5巻を読み終えた今でも、私の中での『白い巨塔』は唐沢・江口の2003年版のドラマの印象の方が強いし、何せ小学生の頃から何十回と見ているから、そちらの方が親しみが深い。だからと言って、言うまでもなく、原作の小説が面白くなかったわけがないし、次読み返すのがいつになるのかはわからないけど、私の寵愛する作品の一つにもなった。財前や里見、そして柳原、東、佐枝子、その他の大勢の登場人物/キャラクターはいつまでも私と共にあり続けると思う。
キャラクターが多く、おそらく物語の半分以上を使って裁判が描かれていたために自然と心理・状況描写より会話文が多く、また長く、だからかドラマでもっと感情移入していたところを、予想に反してあまり感動で胸が打たれる、みたいなことが作品を通してほとんどなかった。が、財前が倒れてから財前が死んで、里見が財前の屍の前で祈りを捧げる、5巻の最後の最後までは、泣こうとしたわけでもないのに涙が溢れた。泣きながら、読者として純粋に主人公を応援する気持ちを差し置いて、財前の残酷で皮肉な発癌とそれによる死は、まぁ自業自得だったというか、今までの罪がそっくりそのままkarma(業)として最後に財前自身の身に降りかかったのだろう、これ以外(以上)の終わり方はなかっただろう、などと思う一方で、解説でも「(中略)その結末ではじめて、財前の生き方もそれなりに必死のものがあったということを、作者は訴えているようだ。権力に執着し、冷酷さに徹しながら、中途で破れた財前の悲惨な死を、荘厳なミサの調べに包んだこことは、作者のそれなりの感懐をしめすものであろう」(p.415)と書かれているように、医局員に対する身勝手で冷たい態度を始め、佐々木庸平とその遺族への対応など、彼のやってきたことは決して擁護できないけれど、私は財前の生き様と人格を完全否定することはできないどころか、真似なんてできないけどこんな風に情熱と野心に駆られて文字通り一生懸命生きてみたいと思ってしまうし、これまでのレビューでも言ってきたように、財前もまたある意味では「白い巨塔」の被害者だったのだろうと思った。長々と言い訳してるけど、要するに私は財前が好きだ(笑)。他の分野にも通ずることなのかもしれないが、結局のところ文学の論文や本は、なぜ私はこの作品・作者・ジャンルが好きなのかっていうことを色んな言い訳を並べ立てて語るものなんだと思う(自らの体験より実証済み)。
本当に最後までブレない、人間臭くてかっこいい(かっこ悪い?)財前が好きだ。学術会議選でいらん部下をぽいぽい島流ししたり、自らの保身のためなら誰彼構わず非難し責任転換し、こういった数々の卑劣な言動が結局は自分の破滅の一因となったり、どれだけ疲れていたって調子が悪くたって仕事に全てを捧げ、こっちが読んでいて「あ〜も〜」と漏らしてしまうほどやらかしまくって往生際悪く散々悪あがきして、天性のど根性で無理矢理にでも歩を進める、周りにいたらそれはもうやりにくいこと極まりないだろうけど、こんないっそ潔い生き方をしてみたいものだ。その強さとたくましさの半面、ケイコが言っていたように、財前は「内心は淋しがり屋で、脆いところのある人」(p.377)で、自分以外の人間になど興味がなさそうでいて、いつだって故郷の母親を想い、毎月欠かさず仕送りをし、いざって時に頼った人間は医師会の岩田でも鵜飼でもなく、結局里見であり東教授で、あれだけ裏工作して嘘もついて倒れる寸前にも「最高裁に上告だ!」なんて言っていたのに、引き取る直前、意識が朦朧とする中、苦しみながら零したのは佐々木庸平への懺悔だった。ある意味誰よりも純粋でひたむきだった財前だったからこそ、最後に里見、東、大河内などのわだかまりがあった者を含め、あれだけの人が彼の周りに集まったんだろう。
もう一人の主人公・里見に関しては何も付け加えることがない。完璧人間(笑)。佐々木庸平の死後、山田うめ以外にもきっとページの外で佐々木庸平のことを思い出していただろう彼のことだから、財前のことも深く自分のこころに刻み込み、財前の遺体解剖後も財前のことを思い出しながら医学界のあり方についてや医者としての義務、命の尊厳について考え、悩み続けるんだと思う。里見のことを考える時、必ずドラマでの大河内教授の、林加奈子(製薬会社)の治療に悩む里見にかけた言葉を思い出す:「医療に絶対はない。だから医者は悩み続けなければならん。君の苦悩を私は支持するよ。」(5話)
キャラクターについて全体的に感じていたのは、この作品は非常に対比とalter-ego/double/もう一人の自分/別の自己の使い方が上手いということ。助手時代に同じ研究室で肩を並べ切磋琢磨していたのが、最後は第一外科教授兼学術会議員と、浪速大学を辞め癌センターで日々治療と研究に心血を注ぐ医学者とで大きく進路が分かれた財前と里見のペアはもちろんのこと、生真面目で熱心な苦学生だった財前と柳原、どちらも医局の末端にいた、地味で勤勉な医師だったのに裁判のために大学に残された柳原と学術会議選のためにとばされた江川、辿った運命は違えど同じように胃癌患者だった佐々木庸平・安田太一・山田うめ——このような何かしらの似ている(大体は置かれた境遇)人物たち(ダブル)の相反する人生の歩み方・展開の仕方に焦点を当て、「なぜこうも違うのか?もしあの時こうしていれば、あるいはこうだったのであれば、同じ道筋を辿っていたのか?」ということを問いかけ、彼らを通して医者としての責任、価値観、生き方から人間の命の尊さ、運命について、人間の良心や正義感などの答えのなく曖昧ながら重要なことまで、物語の主要テーマについて考えさせる。これについてはどのペアをとっても10枚ほどのエッセイが書けてしまえるくらいに見事にキャラクターが作られているし、ちゃんと考え始めたらすごく面白いと思う。
私の親が生まれるよりも前の物語だから、専門的なことや今現在の医学界が実際のところ未だに封建的で閉鎖的なのかどうかはわからないけど確実に医学は何歩も進んでいるし、日本の家庭のあり方一つを取っても、前時代的なところは多々あるだろうと思う。佐々木庸平の件も、今じゃ亡くなった直後にニュースになってしまうくらいに大問題になるかもしれない。だけど続編が書かれるよりも前に映画化されて以来、何度も映像化され、つい一昨年の2019年にもドラマのリメイクがされているくらいだから、いくら古いとは言えど、普遍的なテーマを扱うこの作品はやっぱり今でも、もちろん独特な人間ドラマの面白さという点でも色褪せず、通用するところがあるんだと思う。恥ずかしながら私も医師になることを夢見るものとしてはその職業倫理について否が応でも考えさせられた。言うまでもなくどの職業・分野も何かしらの形で命と人の生活に関わっているけど、医者はその一番近くにあるから、戦後70年以上経った今でも未だその全てが解明されていない、神秘的で尊い命というものの畏れの前に跪き、一つ一つの症例とどこまでも真摯に向き合い、考えられるあらゆる方法を尽くし、勉強を怠らず、医学と命の限界に悩み続けねばならないのだろう。もちろん医学界にだって社会経済的な要因とは切っても切れない密接な因果関係があるから同じ病でも治療の受けられる人と受けられない人がいるし、そもそも医師になれるだけの恵まれた家庭に生まれる人なんて一握りなのに、医療従事者の労働環境はレベルの違いはあれどどこであってもいつであっても過酷で人手不足が常だし、命を扱う現場とは程遠いように思われる予算限度の現実と隣り合わせで、里見のような生き方をできる医師は何かと進歩した今でも少ないだろうと思う。だけど他ならない命に直接関わる医学界、医者と患者の現場だから、やはりそこは他のどこよりも神聖で、万人が信頼できるこの世の唯一の支柱であってほしい。
2003年版の20話の3、4倍くらいの長さになってしまうかもしれないけど、いつか学術会議選や江川(結構お気に入り)も入れて、裁判も省略せずに、全て原作通りのドラマが作られたらな〜と思う。