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骷髏杯

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日本詩人金子光晴,在一九七一年以回憶錄的形式,寫下青春年代,與妻子三千代在沒有後路的狀況下,展開長達五年的歐洲之旅。整個歐洲旅行的回憶,後來一共寫成了三冊。

《骷髏杯》描述他如何因為妻子外遇,為了讓妻子不再留戀情人,急匆匆的收拾行李,買了船票踏上去上海的旅程。全書從二年前上海旅行的回憶開始說起,而暫時完結在爪哇。

這趟旅行,對作者來說,是包含自己在內的生命實體,透過觸覺、嗅覺、接觸和體溫,去體驗赤裸的生存感。從人之生命的深淵谷底所體驗而來的。因此這部旅行回憶錄,絕不是輕鬆愉快的紀行,而是近乎生死交關的生命體驗,也正是這種低下的觀點,才讓這個旅行特別有意思,同時令人深思。

這時對我來說,上海行就像擋在前面的牆崩塌,裂了個大洞,外頭的風不斷吹進來似的解放感。即使只是一夜行程,要是能從另一處地方眺望、反省迷失在狹窄之地,無法動彈的日本生活,絕對是影響我今後人生,改變命運的大事。蔚藍的海洋讓人醒來眼睛一亮,瞧見海水變成洪水濁流,延續至水平線的景況,我突然覺得自己「已無退路」。

288 pages, Paperback

First published August 1, 1979

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About the author

金子 光晴

29 books1 follower
Mitsuharu Kaneko

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Profile Image for Sung-Gi Kim.
149 reviews
December 15, 2017
みすみすろくな結果にならないとわかっていても強行しなければならないなりゆきもあり、またなんの足しにもならないことに憂身をやつすのが生甲斐である人生にもときには遭遇する。

日本からいちばん手軽に、パスポートもなしでゆけるところと言えば、満州と上海だった。
いずれ食いつめものの行く先であったにしても、それぞれニュアンスがちがって、満州は妻子を引きつれて松杉を植えにゆくところであり、上海はひとりものが人前から姿を消して、一年二年ほとぼりをさましにゆくところだった。

私たちの時代の少年は、なにごとにつけて、今日の人たちのように逞しく割切ることができないで、プラトニックラブをえがきながら、娼家の軒先をつたいあることは似ていて、ただその霊肉二面の矛盾に苦しんだり悩んだりしたものだ。そのことは、ややこしいことにちがいなかったがそれを教えたあいては古来文学さんで、文学の手ごとが入らなければもっと簡単に男女のことは成就したにちがいない。

母子が産院から出てきて、赤城の八畳間におちついたとき、それはまるでながい旅路の果ての、どこかしらないがさびしい町の小駅に辿りつき、人気のない、がらんとした構内の待合いの椅子に、親子三人がからだをこすりつけあって、ふるえているといった図であった。これが、果たしてながい旅の終わりなのか、別の新しい旅のはじまりなのか、そのいずれかわからない。出発にしては、喪失感がふかく、ぐったりと疲れているし、終わりにしては、ふたりともまだ若く、しなければならないことや、したいことが、底火となってふすぼりつづけ、そのために落付かなかった。

郷里の女学校時代にマグだやノラの解放思想に唆され、旧い殻を蹴散らして東京へ出てきた彼女には、人間を不幸にする夢が多すぎた。貧乏さえも、彼女のあくがれの一つだった。都会の貧乏には、いなかの貧乏にはない、『ラ・ボエーム』のぼろ天国があると、彼女は本気でおもっていたらしい。

長崎から上海への連絡船は、長崎丸と上海丸が、交代して、休みなく行ったり来たりしている。このときの上海ゆきは、また、私にとって、ふさがれていた前面の壁が崩れて、ぽっかりと穴があき、外の風がどっとふきこんできたような、すばらしい解放感であった。狭いところへ迷いこんで身うごきがならなくなっていた日本での生活を、一夜の行程でも離れた場所から眺めて反省する余裕をもつことができたことは、それからの私の人生の、表情を変えるほど大きな出来事である。青かった海のいろが、朝目をさまして、洪水の濁流のような、黄濁いろに変わって水平線まで盛りあがっているのを見たとき、咄嗟に私は「遁れる路がない」と思った。舷に走ってゆく水の、鈍い光にうすく透くのを見送りながら、一瞬、白い腹を出した私の屍体がうかびあがって沈むのを見たような気がした。凡胎を脱するとでもいったぐあいに、それを見送っている私があとにのこった。上海は二ケ月ほどの滞在だったが、私たちのあいだで通用するのとは全く別なモラルがあることをそこで知った。

アナとボルの反目は次第に激しくなっていた。そして、アナの青年が日とともにボルに寝返りをうつようになっていった。乞食、泥棒、宿なし、暴漢の仲間のアナルシスト革命に、つきあいきれなくなった学生や、知識人が、論理で納得させてくれるコムニストに食われてゆくのは当然のなりゆきだった。おかしなことは、「卑怯者」の歌が、コムニスト青年にもうたいつがれたことで、ただ、「我らは黒旗をまもる」が、「赤旗をまもる」となっただけのことである。

十人町を下りきったところが、大波止で、そこは近海航路の小汽船の出るところで、近くに南京町がある。長崎では支那人をあちゃさんと称ぶ。乾がもう、長崎にとけこんで、
 あちゃさん、ほい。
 太鼓もって、どん。
などという唄をおぼえて、うたう。

上海をたまり場にあつまってきている誰彼が、申しあわせたように、パリをあくがれて、遂の目的地にしているのであった。宇留河君などは、画家修業で画も本筋だからさもあろうと思うが、ダンス教師、デザイナー、料理人、理髪師、その他なんというあてもないままに上海ぐらしに根が生え、それから先はゆくもかえるもできない人、結局そこにふみとどまったままの連中全部と言ってよいほどであった。たとえなにか金づるをつかんでみても、三年、五年たつうちには、この土地に根が生えてパリの方角などは忘れることになるのが一般普通の道すじと言ってよかった。
そもそもこの長安への道とか、バグダットとか、ローマとか、メッカとか、人がその苦しみをしのんで、いのちをかけてまで求める道とは、なにごとW意味するものなのであろうか。旅のはじめに志す情熱が、多くの人を欺くのはただ一ときの瞞着のために、綺羅をもとめてわが生を飾るほかないヴァニティのほあKになにがあるというのだ。パリにせよ、ロンドンにせよ、さらに遠いリスボンにせよ、ミラノにせよ。求めてゆきついた先には、人々が求めたものとは、まったく別なものしかないが人はそれによって失意を抱くよりも、おのが拙い夢の方を修正することで終わる。人の夢のはかなさ、弱さは、それが習性のように変わらないが、それこそは、人の心の無限を約束するカギのありどころをさがす非在の矢印なのではないか。マドリッドへ、喜見城へ、夢で誓いを立て、現実にあざむかれて、主よ、教えてくれ。われらはどこへゆくのか。
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